2009年4月4日土曜日

これから移動

西荻から田無に移動なんですが、おっと、地下鉄が来ました!

乗り込んだ途端に発車!!

携帯で更新できると、ブログって、実況中継になっちゃうね。

ただ西荻の駅の看板をアップしたかっただけなんですけど。。。

今、阿佐ヶ谷出ました!
実況中継終了☆

☆上野火山☆

一人旅


家の娘が、一人旅から今日帰ってきます。

親類の家に世話になりながら、関西方面を歩いてきた模様。

いい旅だったに違いない。

僕たちは、あるときから、みんな、一人旅をはじめるんだ。

その旅は、遠いこともあれば、近いこともある。

大事なのは、一人だということ。

いろんな人の世話になるのが自分一人だということ。

一人からはじまって、一人で終わる旅。

途中でいろんな人と出会い、人間の輪が広がりながら、それでも、やがて一人になる。

僕は、旅の、その道を行く、君の後ろ姿を想像してみた。

こうして、僕らは、少しずつ大人になっていくんだ。

詩人ブルース・リー

The Dying Sun

by Bruce Lee

The dying sun lies sadly in the far horizon.


The autumn wind blows mercilessly;
The yellow leaves fall.


From the mountain peak,
Two streams parted unwillingly,


One to the West, one to the East.


The sun will rise again in the morning.


The leaves will be green again in spring.


But must we be like the mountain stream,


Never to meet again?



カンフースターであったブルース・リーは僕ら昭和の子供たちにとって忘れることのできないヒーローだった。
蹴りで学校の廊下の羽目板を割っては、しょっちゅう先生に叩かれていたような気がする。ヌンチャク振り回して、頭にタンコブ作っていたのもあの頃だ。
でも、ブルース・リーが詩人だったことはあまり知られていない。
アクションスターとして伝説になった人物だが、その心の底には、哲学し、詩を書き留めるもう一人の人格があった。その詩的な営みの中で「截拳道(ジークンドー)」と呼ばれる彼独自のカンフーが完成していったのだと思う。
上の彼の詩は、男女を詠ったものなのか、友情を詠ったものなのかは分からない。
ただ、この詩の中に、時の流れと、言い知れぬ孤独があり、ただの手慰みやメモ程度を越えた「詩」を、僕は感じる。「考えるより、感じろ」と言ったのはまさしく彼だが。
山から下り落ちる川の二筋の流れは、人と人の出会いと別れ、あるいは、存在の孤立、そんなものを言っているような気がする。相容れない、僕らのそれぞれの存在とその行く末。
この小さな詩の中に、彼のこの世との関わり方が、少しだけ垣間見える。
見栄や虚栄心も人一倍あっただろう。でも、それを越えるような深い生の感覚の中から、あの鋭いアクションが生まれてきたのだろう。彼のアクションは様式美そのもの、つまり、京劇や歌舞伎に繋がる永い東洋の伝統の中から生まれてきたものだ。
あらためて「燃えよドラゴン」のワンシーンを眺めて、その様式美を感じます。
僕の演劇的土壌であるMethod Actingには、様式を嫌う傾向がありますが、様式を否定しすぎると飛躍もなくなるんだな。様式は必要です。
アクション映画と馬鹿にするむきも世の中にはありますが、ブルース・リーの様式美が不滅の輝きを放っているというのは、真実だと思うな。
彼のこの詩と、戦う姿を見比べて欲しい。比較することで、そこに何か共通したブルース・リーという人物の残した別の印象を発見するかもしれない。

2009年4月3日金曜日

Have you seen the light!


The Blues Brothers:1980


“ Have you seen the light! ”
これはハチャメチャな名画「Blues Brothers」の中の台詞だよ。

空虚で荒んだ時代八十年代が幕開けしようとしていた頃、ひとつのアメリカ映画が公開された。
それが、この「The Blues Brothers」だッ!

刑務所を出所してきた孤児の兄弟が、最高のブルースバンドを生み出すまでのナンセンスな物語。
でも、何故か、馬鹿馬鹿しいのに、どんどん引き込まれていく。
「あなたがた・・・警察の方?」
「いえ、ミュージシャンです」
と真顔で答える主人公の二人に、僕なんか最後は兄弟のように心が一体化してしまいます。
「お前ら最高!」なんて、織田ユウジのように叫びたくなります。
言い過ぎですか?

どんどん引き込まれていくその原因は、この映画の「徹底的な人生に対する肯定感」にあるような気がします。
とにかく思うんだ、生きてて良かったってな!
その感覚はとっても大事なんですが、何故か時代の中でやがて失われていく感覚でもありました。

主人公ジェイクを演じる俳優・ジョン・ベルーシがこの後すぐ亡くなってしまうのは、どこか時代が彼の体現したはちゃめちゃな元気さとは対極の所へ向かっていることの現れだったのでないかなと思います。ともかくも彼はこの世から去り、ブルース・ブラザースは伝説になった。

今、この時代は彼を理解できるだろうか?

On the beat☆


劇団のブログの表紙を変えてみた。
それが上の画像です。

「beatnik」ゆかりの人々のコラージュですけど、気に入ってます。
あっちのブログのレイアウトが今ひとつ決まらずにいたのですが、やっぱり自分のハートに従うのが一番ざんす。
少々デカイんですけど、インパクトと、なんか、そうだなぁ、ココロ?ってのかな、やろうとしている演劇とどこか重なる気がするんです。
Beatだもんね、やっぱり。心拍数、Heartbeat、うん、beatnikは遠い昔の話ではなく、今もう一度必要とされてるのかもしれないな。
ケルアックが、beatの持つ社会不適合者というネガティブなイメージを、On the beatという表現を生み出して明るく変えていったように。
この時代のネガティブは明日の希望かもしれないんだ。

もしよかったら、劇団ブログのトップをご覧下さい。
このトピックのタイトルをクリックしても飛べますよん!

このブログにも何度か登場したケルアックのお言葉「On the beat」も、結構古びることなく、今でも通用する感じがします。
「のってけ!」ぐらいの意味なのですが、On the beat! いいじゃない!
やっぱりくよくよくよくよ悩んで動かないより、On the beatで動き出した方が、短い人生、なんかの役にはたつだろう。
上手くやろうとして、石橋を叩いても渡らない人間がいるけれど、そんな生き方は、人生を最初から棒に振っていますね。
怖がって、ただ待っていても、何も起こらない。
やるか、やらないか、そのどちらかだな。

だから、
石橋は、とりあえず渡ってみようよ☆
んでさ、おっこったら、また振り出しに戻ればいいじゃない。

そう!まずはOn the beatだ!!!

2009年4月2日木曜日

仕事の合間に☆

こんな本を読んでます♪

Jonah Goldberg;" LIBERAL FASCISM "

最近、アメリカで話題になった本だそうで、ちょいと目を通していたのですが、う〜む、この本は現代のファシズムは左翼が中心であり、実際は一般的に思われているようなファシズムというものは保守陣営や右翼が最終的に至る思想状況ではない、と言いたい本なのですね。

だいだいね、右と左に分ける前提からこの本は出鱈目です。
日本においても、一部でファシズムの復活待望論が出始めていて、世界でも同じ状況のようです。

いずれにしろ、保守であれ革新であれ、政治的立場に関係なく、一部の企業の利益のために国家を破綻させていく者たちがいる。
彼らは口々に、より良き未来を語るのだが、それは騙しの手口。
ファシズムは甘い言葉と共にやって来る。

この本、タイトルはいいし、良いとこ突いてるんですが、いかんせん、主張が現在の保守派の擁護論から一歩も出ていません。
こういうダメダメな本がヒットするアメリカって。。。。おわってんじゃね?



☆上野火山☆

2009年4月1日水曜日

ソローの家

walden

ウォールデンの森には今もなお、ヘンリー・ソローの家が(小屋ですね)残ってるんだな。
「森の生活」という本は、もう何度も読みましたが、決して色あせることのない書物です。

演劇を営んでいる僕にとって、森で暮らすことになんの意味がある?と言われれば、確かに遠い生活環境に思えます。
ですが、演劇は「追体験」の場です。
僕自身、山と川の間で育ち、小学生から高校生に至る時代は、それこそ森のすぐ近くに暮らしていたことを忘れまい。
山椒魚を捕ったランバイ山の小さな森の中の沼、そして、崖にぶら下がった蔦でターザンごっこをしたこと。イワイ川で泳ぎ、魚を捕り、田んぼではイナゴを捕って、佃煮にして食べた。。。。。
そして、いつも手には小さなナイフがあった。

小さな出来事を思い出してみると、ソローのウォールデンの森は案外近くになったような気がします。
ナイフ一本だけで森に入って行ったソローの決意は、都会生活で小さな十徳ナイフすら携帯を許されない生活を当たり前と思い込んでいる今の僕らには、理解しがたいものかもしれない。

でも、道具なんてものは案外それほど種類を必要としないのかもしれません。
携帯電話より一本のナイフの方が便利だと思える生活は、やっぱり魅力的なんじゃないだろうか。
携帯電話で逮捕される人はいませんが、ナイフを持っているとたちどころに逮捕です。

ときどき、いつか森に暮らしたいと、夢見てしまいます。
ナイフを一本だけ持って。
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