2012年8月9日木曜日

木曽川のほとり


木曽川のほとりを見る。
真夏の太陽は容赦なく照りつけ、肌を焼き、瞳を焦がす。
なんて言いながら、洗濯物を取り込んで、ベランダから木曽川を見る。
小学生ほどの大きさのオオサンショウウオは元気だろうか?
明日の花火大会はどれだけ人が集まるのだろうか?
濃い青緑の川面に太陽が照り返し、夏の香りを伝えてくる。
遠くから飛行機の飛ぶ音。
東京とさして変わらぬ音だけど、太陽の暑さと漂う空気感が違うのだ。
やはりここに来て良かった。
木曽川よ、流れよ。
流れて、やがて海へ向かえ。
その源の流れを、僕は今、見ている。

2012年8月5日日曜日

「出会いが再会」なら「別れは・・・」

『すべての出会いは、再会である』
僕は講義でこう語りました。
そして、こんな質問がありました。

「出会いが再会」なら「別れは・・・」何だろう?
すべての出会いは、再会である。この言葉の続きはこうです。

『別れは出会いの始まり』

僕らは何かに出会うには、別れなければならない。というのは、一度孤独になってからでなければ、出会いが再会であることに気づけないからなのです。僕たち人間は慣れと惰性の生き物のようです。すぐに馴染んでしまう。すぐに怠惰になり、すぐにすべてが当たり前のこととして、受け流してしまう。馴染んでしまうことを避けたい、と僕は思う。馴染んで当たり前になるよりも、むしろできる限り毎瞬新鮮な瞬間として生き直したい。
生き直す瞬間を僕はモーメントと呼んでいます。
従って、僕の表現は正確にはこうなります。

『すべての出会いは、再会である。
だから、別れこそ出会いのはじまりなんだよ。
すなわち、僕らは、絶えず一瞬一瞬を生き直してるんだ。
絶えず生き直すこと。それを僕は人生と呼びたい』

僕の答えは、今のところ、こうです。



窓の外には、真っ青に晴れ渡った空に、雲がぽっかり浮かんでいます。
我が家ではそんな雲を「ジブリ雲」と言ってます。
今朝はジブリ雲を眺めながら、こんなことを思いました。

2012年8月4日土曜日

とうとう

ボアソナード・タワーから見た東京の空

夏真っ盛り!
汗をかきつつ通った市ヶ谷の講義も、とうとう今日で最終日☆
熱血でしゃべり続けましたが、なにか意味のあることがひとつでも伝われば、僕はそれで満足。
無意味感と虚脱感とイライラが支配的な今日の世界にあって、意味を見いだそうとすることは、少なくとも人間の取るべき一歩だと思う。
毎日、青空と白い入道雲と蝉の声という夏の真っ只中で、思考が途切れることなく続く。
人は生有る限り思考し続け、行動し続ける。これは宿命だ。
今日もジーパンとスニーカーで、リュック背負って大学に通おう!
ひたすら「ここに存在することの意味」を求めて。
意味を嘲笑うことなく、冷笑することなく、必死で、滑稽で、愚かしくも、夢中になって生きよう!
朝の七時を過ぎると、蝉の声も大分多くなるようだ。
書庫の窓の外にはすでに入道雲がニョキニョキ立ち上がる姿が見え、緑の桜の葉に夏の光が降り注ぐ。
ああ!生きてるっていうのはなんて素晴らしいんだ!
生きるとは、感謝そのものだね。
勝手に生きてるんじゃないね、生かされてるんだね。
すべてに感謝だね!
ありがとう!愚かしくも素晴らしき世界!
明日は、久しぶりのバンドのリハ☆
ガッツンガッツン!ロックするぜい!!!

四谷駅の青空

2012年8月3日金曜日

あれからもう・・・

あれからもう一年以上が経過して、過去のものになりつつあるのだろうか。
311である。

苦しみを癒やすには時の経過が必要だ。そして、楽しい明るい話題が必要なのだと思う。しかし、絶えず僕の心の中には棘があり、その突き刺すような痛みが胸を刺す。

僕の友人、岩手大学で教鞭を執る佐藤竜一君の著書を紹介したい。

『それぞれの戊辰戦争』現代書館 佐藤竜一著
この本の精神はその帯に強く表れている。
「戊辰戦争の悲劇は再び繰り返されるのか!! 2011年3月11日ー東日本大震災、続く原発事故。福島から多くの人々が転出せざるを得なくなり、苦しんでいる。140余年前の戊辰戦争の負の遺産を引き受けたのも、東の人々だった。戊辰戦争とは何だったのか?その意味を改めて問い、敗れた人々の誇り高い生き様を評価し、被災地の再興を願う。」
そして、
東北の、東日本大震災後の苦難と戊辰戦争後の辛酸が重なる。
「 ……その戦いで最も悲惨な目にあったのは会津藩の人々です。戊辰戦争後、会津藩の人々は斗南藩士(現青森県むつ市)として生きる者、会津に残る者、北海道へ渡る者など、離散しました。福島第一原発事故の影響で今、福島に住む人々は、それこそ、全国各地にちりぢりになっています、まるで百四十余年前のように……。盛岡藩や仙台藩の人々など東北に住む人々も、辛酸をなめました。戊辰戦争に敗れたために、「白河以北一山百文」と蔑まれ、東北の開発は遅れ、経済的にも苦しい時期が続きました。それでも、東北の人々は反骨心をバネにして自らの運命を果敢に切り拓いてきました。」本文より引用(海文堂書店日記ホームページより)

311後の様々な試練は、実は140年ほど前に日本の東が味わった悲劇と共通したものがある。
この言説は重い。少なくとも、福島の、いや東北の今は去年から始まったわけではないのだと思う。この書物で描かれた140年という過去の歴史的事実は、その後の様々な東北の状況と重なって見えるのである。
たとえば、昔、北海道に当時のソ連の戦闘機ミグが飛来したことがあった。
その時、一般市民の僕らはほとんど知らされることがなかったが、北海道に自衛隊の戦車部隊が集結し、北海道にその後飛来する可能性のあるソ連空挺部隊に備えていたのだ。北海道ないしは東北で食い止めるために。
かねてより噂されていたのだが、関越トンネルは日本海側から進入する敵戦闘部隊の進入を防ぐため爆破する準備がとられているらしい。すなわち、日本が北部方面から攻撃された場合、速やかに東北地方は閉鎖され、捨てられる体制が出来ていたらしい。
これが、単なる憶測や妄想であればいいとおもう。しかしながら、現実には日本の東側に対する「棄民」的な政策がこれまでもすでにあったのでは?と僕は思う。

小さな思い出をひとつ。
僕は岩手の小学校で六年生になるまで「脱脂粉乳」を飲まされました。戦後の食糧政策の一環で給食には付き物の脱脂粉乳。ですが、その正体はアメリカが日本に戦後もたらした「豚の飼料」でした。東京近辺では脱脂粉乳はいつまで飲まれていたのだろうと、実はいろいろ調べたことがありました。平均的には昭和33年生まれの小学生は小学校三年か四年で終了していたのです。教えていただきたいのですが、九州等の南や西の方ではどうですか?やはり小学六年生くらいまで飲まされましたか?
これまで聞き取りでは、圧倒的に最期まで脱脂粉乳の給食だったのは、東北地方のように思われます。
これは被害者意識でも何でもありません。
「東」は百年以上も前から同じだったのだということを忘れまい。
『それぞれの戊辰戦争』お勧めです!

詳しい内容に関しては、下記のホームページで☆
 

2012年7月31日火曜日

この道が好きだ!

大学へ行くには市ヶ谷から、もしくは飯田橋からになるのだが、あ、勿論JRの場合ね、んで、僕が選ぶのは市ヶ谷駅からのコース。
狭いし車の通りは多いし人は行き交うし自転車は訳もなく疾走するしで、ぜんぜん不便な道ですが、僕は好き。

夏は特に「蝉の声」がいいんだ!
そして、青空はその青さで暑さを忘れさせてくれる。
時々カレーやラーメンやコーヒーの香りが漂ってくる。
汗が噴き出るけど、アスファルトの道路は照り返しで真っ白に見えるほど色が飛んでるけど、夏のこの道を僕は忘れない。

恐らく、春よりも、秋よりも、冬よりも、夏がいいと思う。僕の経験的観測。
今日もまた、様々な心に去来することをできる限り話すことにつとめた。
出し惜しみせず、確信の持てるものは、まずは差し出すこと。
そして、更に言葉に責任を持って考察を深め、行動すること。
講義は、他者に押しつけるものではなく、むしろ自らに戒めを与えるためにするものかもしれない。
言葉は諸刃の刃だと本当に思う。
外に向けて差し出したものは、すなわち自らを切り刻むのだ。
だからこそ、防御するより差し出す方を選びたい。引っ込めるのではなく、あえて提示しよう。

きっと、昨日より今日が、今日より明日が、良くなると思うから。
気がつくことが、すべての始まりだと思うから。
久しぶりに自分の影を撮ってみた。

あっ、まずい。

太ったな。

比較演劇学・夏の集中講義開始☆

昨日から、法政大学にて担当する比較演劇学の夏の集中講義が始まりました!



熱い日差しと蝉時雨の中、市ヶ谷キャンパスにたどり着くと、熱くて汗だらだらなのにかえって燃えるんです☆
昨日は序論でしたが、今日はカレル・チャペックをベースに「人間奴隷化の過程」を演劇とともに語ろうと思います。夕べ暫く振りに読み返したチャペックの「山椒魚戦争」にあらためて戦慄を覚えました。現代世界の有様がこんな昔、1920年代から30年代に、すでに予測されていたのだと思うと、胸が痛くなる。そして、現状を正しく理解し己自身の頭と身体と精神を使って思考し行動することの重要性を再認識しているのです。


僕らは単なる傍観者や消費者であってはならない。
僕らは当事者なのだ。
そして、今を形成させている一要素こそ、僕ら自身なのだ。
客観性という一見正しそうな美名の元、受動的な態度を捨てきれないでいることこそ一つの罪なのではないか。
主観的で構わない。もっと大胆に仮説を立ててみたい。
その仮説を更に追求してみたい。
その向こうに、絶望を超えて、かすかな希望の光が見えるはずだ。
馬鹿と思われても良い。
愚か者と呼ばれても構わない。
絶望的な状況認識こそ、次の希望を見いだす力なのだ。
止まってはいけない。
動き出せ!   そこから!


2012年5月29日火曜日

映画試写会のお知らせ

吉祥寺ニューロカフェ

友人の映画監督、前田大介君が吉祥寺でニューロシネマテークという1950年代以前の古典映画の連続上映会を開催することになりました。
今や滅多に見ることの出来ない貴重な作品群をこの機会に是非観ていただきたいと思います。
古典を知ることで今映画界に何が失われ、何が必要なのかを探る良い機会ではないでしょうか?
先日は同じ吉祥寺のニューロカフェにて、前田君の新作映画「サークル サークル」を上演したばかり。
今、独立制作による映画が熱いんデス☆
この心意気を演劇と共有したいと思います!
ぜひ、皆さんお誘い合わせの上ご来場ください!!

■ニューロシネマテーク■
吉祥寺にあるニューロカフェというところで映画上映と作家や役者の出会いの場を兼ねたシネマテーク開催することになりました。
近々のイベント企画の詳細お送りします。
上映作品は、来てのお楽しみということで。
それから、ニューロカフェのサイトにニューロシネマテークの告知をしてます!
【シネマテークの概要】
七月以降、月に数回古典映画上映会やサイレント映画+ライブなどの企画もの、さらに厳選された自主制作映画の上映などを行う予定。企画の提案や、我々の映画こそ上映すべきだという方々随時募集中。kooybrothers@gmail.comまでご連絡を
下記が、最初のイベント。ぜひ!

<試写会>
日時:6月1日(金曜日)19:30~21:00
場所:ニューロカフェ Lab 吉祥寺
〒180-0003東京都武蔵野市吉祥寺南町1-11-11武蔵野ビル7F
入場料:500円
内容:ニューロシネマテークのご紹介とフィルム映画の上映
今回はジャンルノワールの『マッチ売りの少女』です☆

<映写機ワークショップ>
日時:6月5日(火曜日)19:30~21:00
場所:ニューロカフェ Lab 吉祥寺
〒180-0003東京都武蔵野市吉祥寺南町1-11-11武蔵野ビル7F
入場料:2,000円
内容:映写機の使い方説明、短編のフィルム映画鑑賞
(お時間がある方はその後の交流会に是非ご参加下さい。)
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