2010年5月14日金曜日

大空のサムライ


坂井 三郎(さかい さぶろう、1916年(大正5年)8月26日 - 2000年(平成12年)9月22日)は、大日本帝国海軍の戦闘機搭乗員(パイロット)。太平洋戦争終戦時は海軍少尉、最終階級は海軍中尉。太平洋戦争時における日本のエース・パイロットとして知られる (Wikipedia)


戦争などあってたまるか!という気持ちがある。
そして、それは同時に、経験者や先人に対するリスペクトと彼らから学びたいという気持ちでもある。

現代のこの国の問題は、すべてにおいて「自粛」から生じている。
報道も教育も芸術も、あらゆる分野で「黙殺」という名の「自粛」がこの国を腐敗堕落させているのである。
たとえば、現在九州で日本の畜産史上例を見ない数の「口蹄疫」による畜牛の大屠殺が行われていますが、少なくともテレビでは全く報道されず、新聞でも微かに触れられる程度です。
江藤淳の言を待つまでもなくかねてよりの「検閲」から始まったこの「自粛」という姿勢は、確実にこの国をだめにしているのだと思う。

戦争に関しても、自由に語り合えるムードがこの国には生まれにくい。
反戦や反核は正しい。
同時に、その正しさに隠されて、何があって、何が見えなくなっているのかがわからなくなっているのも事実だと思います。
時には、戦った人々の経験を受け止める必要もあるだろう。国家によって犬死にさせられるというのは、第二次大戦中の日本のみならず、あらゆる国のあらゆる戦争で起こっている極めて共通し一致した事実です。だからこそ、死地に赴いた経験に耳を傾け見つめる必要が戦後世代の僕らにはある。
戦争は「悪い」ことだから、語ってはならない、というのは実は反戦でも反核でもありはしない。
あらゆるものに対する「自粛」こそが、現実を見誤らせているのだと僕は思う。

悲惨な戦場ではありましたが、それでも微かに存在した「サムライ魂」を知るにつけ、今後はこのような戦いは二度と、そして完全にあり得なくなっていることに気づかずにはおれません。
かつてあった「サムライ魂」は戦場ではなく、日常でもっと見いだすべきなのだろうと思います。
これからは大量殺戮兵器による一瞬の戦争の時代でしょう。そして、その一瞬を関係企業は持続させることで利益を上げていくのでしょう。イラクやアフガンは、その例でしょう。そこには「サムライ魂」の入り込む余地はありません。
昔の戦争が良かった、などと言う気はさらさらありません。しかし、現代は戦争のあり方すら「なんでもあり」になってしまったのだと思います。勿論それは原爆投下から始まったのかもしれませんし、第一次大戦の毒ガスから始まったのかもしれません。

かつて「大空のサムライ」と呼ばれた撃墜王の戦いぶりとその言葉を聞くことで、今失われているものを見いだしたいものです。先人に対する「尊敬」からはじめませんか?
そこから、この時代の堕落の別の側面が見えてくるかもしれません。

坂井三郎氏は語る!
兎に角、自分の仕事に対して職業に対して、もっとプライドを持たなければいけない。
俺の仕事が一番いい仕事なのだと。そして、研究し、努力する事がまず大切ですね。
周りにある全てのものが常住座臥、自分を磨く教材です」

坂井三郎空戦記


Saburo Sakai's testimony (English sub)

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