2006年6月29日木曜日

Joe Cockerを聴きながら

雨が降り続いていた。
窓に降りかかる雨粒が音もなく流れ落ちるのを、僕は見ている。

30年も前に聴いていた懐かしい歌声を聴いている。
Joe Cocker。

もう六十をとうに過ぎたロッカーだ。あのしわがれた絞り出すような声は健在だった。
かつてラジオに耳を擦りつけるようにして聴いていた声を、僕は聴いている。

‘Every Time  It Rains“から始まり、”Respect yourself”、”This is your life"、そして“You can’t have my heart”まで、僕の中で雨がやむことなく降り続く。

この人の決して順調とはいえなかった人生の断片が、唸り声のような歌声からかすかに見えてくる。人生は悲劇であり、同時に喜劇だ。そして、どんな人生にも意味がある。たとえ虫けらのごとき人生にも意味がある。そのことに気がつくことがない限り、僕らの人生は無意味である。

太陽の光が嬉しかった十代も二十代もとうの昔に過ぎ去った。
思えば、いつだって光はかすかで、いつだって雨が降っていたのだ。
かつては分からなかったことが、今は少しだけ分かる。
雨粒の中にも、光があることを。

しわがれた声のむこうがわに、時の無情より、むしろ時の恩寵が聞こえる。
永遠とは、絶望の果てに見える一瞬の煌めきのことかもしれない。
ガラス窓を滑りおちる雨粒。
雨粒は、涙だ。

2006年6月24日土曜日

腹八分目なんだな

とにかく腹一杯飯を食わないと機嫌が悪くなる僕である。
この性格のおかげで、いままで幾度となく馬鹿みたいに不機嫌になったものだ。

だが、最近、腹八分目の喜びを知り始めた。

焼き魚と青菜のおひたし、そして納豆かなんかがあって、熱い豆腐の味噌汁に切りたての葱がばらばらと入っている。ふーふー言いながら、まずは味噌汁を一口すする。それから、魚を頭からがぶりといく。適度に脂がのっていて、その後、口に放り込むご飯!これが旨いんだ。

ご飯もお代わりは二杯までがいい。
お茶を時々飲みながらゆっくりと食べる。そうして時間をかけると食べすぎることもない。
満足感がゆっくりとやってくる。
これが、結婚以来妻が僕に仕込んでくれた食べる喜びである。

僕には、結婚する前、妻が作ってくれたおせち料理を大晦日の晩に食べ尽くしてしまった過去がある。その年の正月には食べるはずのおせちがないのよ。なんとまあ、喜びの少ない男であったことか!

腹八分目は幸福への準備かもしれない。
あともうちょっと、という地点が時には必要だし、次の機会を強く求める動機にもなりうる。
腹八分目は幸福への動機づけだ。

なんでも目一杯が良いわけでもないだろう。
時には腹八分目もいい。

雨降りのあいまに

六月の雨のあいまに、太陽がひょっこり顔を出すときがある。

人生というのは不思議なもので、予測とは異なる展開をしているにもかかわらず、後になって様々な小さな出来事の、その意味に気づかされる。
それはまるで雨の降り続く梅雨の季節に射す光のようだ。

陽光のまぶしさに照らされて、それまでやり過ごされていた意味が目の前に広がる。
光は音楽のように、身体に染みこんでくる。

己の愚かさも、他人の愚かさも、すべて人間の為せる業。
愚かさを雨が洗い流し、光の音階が聞こえるのだ。

人はひとり。

ひとりになったときにはじめて、射す光の真の意味が理解できる。

今日も光の音楽を聴きながら、この路を歩こう。

2006年6月12日月曜日

世界は陽の出をまっている!

感動という言葉の持つ意味が「浅薄で軽々しく」なっているらしい。
確かに、今の世の感動のなんという薄っぺらさよ。
シニシズムの反対の際にありそうな「感動」もまた、病の兆候を帯びているようだ。

感動とは「痛切」なものだ。決して、単なる心の浄化というわけにはいかない。

スミアゴルという忌まわしい生き物が「指輪物語」の中に登場する。この物語を感動と共におぞましくしているのも、このスミアゴルの存在である。スミアゴルは物語の登場人物中、もっとも汚れ、愚かな存在であり、他の登場人物の負の部分をすべて抱え持たされた存在である。

スミアゴルの最も薄汚れた部分は、呪われた指輪の魔力にはまって、欲望に屈してしまうその精神的虚弱さであり、意志の脆弱さである。弱さは人間の誰もが抱え持つ部分だが、その弱さの虜になるところに、作者トールキンの鋭い文明批判が隠されている。
最近の感動は弱さの肯定と、弱さを吐露する行為を神聖化する態度によって、強化されているようだ。だとすると、トールキンの態度はその逆、つまり、弱さを受け止め、それと戦う態度が示されているが故に、指輪物語は現代の感動作品からほど遠いと言わざるを得ない。
しかし、だからこそ、僕はトールキンを支持する。

弱さとは聖なる部分ではない。邪悪そのものである。
己の邪悪さを直視することしか、真に感動へは行き着けないのだ。
なぜなら、「感動」とは「共感の次元」に至る道筋だからである。
その意味で、真に感動するとは痛々しく、痛切なものである。痛みの伴わない感動は、どこか偽物なのではないかと僕は思う。

世界は陽の出を待っている。
だが、その陽の出は、痛みを乗り越えたものだけが見いだすことのできる、苦しみの果ての光だろう。
確かに、世界は陽の出を待っている。
それは、傷つくことを恐れぬ、己の弱さと対峙する勇気の代償なのである。

僕らのいる場所

僕らはどこにいるのだろう。 
場所。空間。集団。組織・・・。

だが、僕らは決してどこにも所属することがないのである。
生活の基本単位であるのはずの家庭ですら不変の場所にはなり得ないのだ。

僕らの祖先から繋がる家族を想像してみる。
祖父母の時代、父母の時代、そして僕らは父母の家を出た。
僕らに家族ができる。妻がいて子供たちがいる暮らし。しかし、それは不変ではない。
やがて、子供たちが家を出るだろう。
僕ら夫婦のどちらかが、おそらく先にこの世を去るだろう。
そして、一人になる。

家庭ですら、不変の場所にはなり得ない。僕らはどこまでいっても一人だ。
まして人生で関わりを持つ組織も場所も、ある時期の場所の共有体験に過ぎない。

僕らは場所に対しても一期一会なのだと強く思う。
だとしたら、今この瞬間を共有する場所がいとおしく思えてくる。
それは二度と戻ってはこないから。
それはたった一度の経験だから。

こうして僕らは僕らの場所で日々を暮らしている。
苦しいこと、悔しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、すべてがここにある。

僕は君とここで出会ったんだ。

2006年5月23日火曜日

遠い夜明け

幕末の志士たちは、夜明けを待っていた。

ずっと昔、遠くの空を彼らは眺め、自分たちの置かれた環境を変え、現状を乗り越えようと必死だった。若い彼らには、誇るべきものも確実なものも何一つなかった。あるのはただ今を越えていこうとする意志だけだった。もちろん、これは理想論に過ぎるかもしれないが。

この時代に生きる僕らは、いつの間にか牙を抜かれてしまったようだ。
遠い夜明けを夢見る愚かさを軽蔑し嘲笑いながら、牙を失った腑抜けども。匿名でなければ、言葉ひとつ発せぬ弱虫ども。
生き残ることだけにしがみつき、人を手玉に取ることだけ、批判することだけに汲々とする現代人。あるいは弱さに閉じこもる現代人。彼らは、世の東西を問わず夜明けを見ることはないだろう。

本物の牙は、相手や敵を噛み砕くものではない。
本物の牙は、己自身を切りさいなむものである。

それはあまりにも危険なので、畏れる者は、せめて他者との関係のみで勝負すればよい。それを政治や経済と呼ぶ。
その勝負は決して太陽の光に照らされることはないだろう。つまり、今を越えることが決してないからである。

弱さは確かに罪である。それは弱さに安住し居座るから。
弱さは事実を知ることはあっても、真実を見ることがないから。
そして、最も重要なのは、弱さが優しさと無縁だからだ。

志士たちにも癒される瞬間はあっただろう。
しかし、彼らはことさら癒しを求めたりはしなかった。癒しとは、今や卑しさそのものになり果てている。彼らはむしろ、傷つくことを甘んじて受け入れ、死ぬことすら受け入れた。そしてそれは、国家だとか大望とかいった望みよりむしろ、生きるということの喜びに忠実だったからだと僕は思う。その意味で、傷つくこともまた癒しの一形態なのである。

遠い夜明けは、己をさらけ出すほんのちょっとの勇気の果てに現れるものだろう。だからこそ、この世の夜明けはまだまだ遠いのだ。

人助けする前に、まず己を救い出すこと。
世のため人のためを口にする前に、自己をさらけだすこと。
自分探しをする前に、今日を本気で生きること。
他人に託す前に、孤独に準備すること。
肩から力を抜く前に、力を感じること。

夢中という、その中に夜明けの兆しを感じる。
夜明けは遠いが、今ここに光は射しているのだ。

2005年12月22日木曜日

サンクチュアリ

家のすぐ近所にある中央公園に、「バード・サンクチュアリ」というこんもりと木の生い茂った場所がある。「鳥獣の保護区」という意味なのだろう。鳥たちやリスがたくさん集まってくる。
だが、僕にとってそこはひとつの小さな「聖域」そして、「墓」である。

生まれてまだ半年ほどの上の娘を胸のあたりにぶら下げて、所沢に買い物に行ったことがある。
人込みの中をかき分けるようにして買い物をし、疲れ果て、いつのまにか外はだいぶ暗くなっていた。夕食を何処かその辺でとろうということになった。どの店も人で混み合い、赤ん坊連れの夫婦を入れてくれる店などなさそうだ。妻は溜息をつき、「帰ろうか」と言った。
僕もほとんどその気になりかけた時、目の前の飲み屋兼定食屋の寂れた感じの小さな入り口に気がついた。その店の中には人の気配があまりない。妻の方を見ると、いいんじゃない、という諦めた顔。二人でさっそく入ってみることにした。

ボックス席が六つほどで、僕らを含めて客は三組。皆ひそひそ話をし、静かである。
妻は弁当定食、僕はうな丼を注文する。肩紐をはずし、寝ている娘を胸のあたりから隣の椅子へ下ろし、転がす。幼い娘はまあるい顔で、唇をむにゃむにゃ動かし、髪の毛はすべて逆立っている。僕らは他愛もない話をしながら、食事をする。
しかし、僕は食事の間中ずっと視線を感じていた。すぐ隣のボックスに座っている抜けた歯に煙草を挟んでスパスパやっている男と厚化粧の女。女の化粧の匂いがそこら中に充満している。二人とも五十はとうに過ぎているようだ。さっきから別れ話のような話をぼそぼそやっているのは知っていたが、女の方が寝ている赤ん坊を強い視線で何度も何度も見るのである。

「だからよ、おんなじこと言わせんなよ、お前は・・・」と男。女は男の方に視線を移す。
「あんたでしょ、人の話聞いてないの・・・」女の目が再び娘に注がれる。
娘も何か感じたのか、突然泣きだし、ぐずりだす。僕が抱き上げ、それでも泣きやまず、妻が受け取る。妻の腕の中で身もだえする娘。すーっと脇から赤ん坊を抱き上げる手。あの女だ。呆気にとられて見つめる妻。
「ああよしよし、可愛いわねぇ。名前は?」
「花琳です・・・」と妻が答える。
「かりんちゃんか、女の子なんだ。いいなまえね、ほらほらもう泣かないの、ねぇ・・・」
娘は不思議に泣きやむ。キョトンとした顔で女を見つめている。産毛のような逆立った髪を撫でる女。
「柔らかいね、髪の毛。たまんないね。赤ちゃんてみんなこうだよ・・・・柔らかいね・・・・」
女の声は、酒で焼けたのか、ざらついていた。
「おい!」男の声に女が振り返る。
「お前、いい加減にしろよ」男が煙草をくわえた口の右端をひきつらせながら言う。
「いいじゃないかちょっとぐらい・・・赤ちゃんの匂いかがせてよ。連れて帰っちゃおうかな」
ええっ!と妻の目が大きくなる。女が大声で笑い出す。
「冗談だよ。冗談に決まってるじゃないか。ねっ、頬ずりしてもいい?」女が妻に聞く。
妻がほっとしたようにうなずく。
女は赤ん坊を見ると、ゆっくりと顔を近づけていく。まるで薄いガラスでできたワイングラスの感触を確かめるように、慎重に、そして大切に頬を重ね合わせる。深く息を吸い込む。ゆっくりゆっくり頬を擦りあわせる。
「赤ちゃんの匂いだね・・・昔この匂いかいだことがあるよ・・・女の子だった。女の子だったんだ・・・・」
僕たちはその時、女の目のはじっこにキラッと光る水晶玉を見た。水晶玉は、やがて頬をつたい、落ちていった。
顔を上げようとしない女を僕らはただ見つめていた。

食事が終わり、店を出ようと立ち上がった時、女が慌ててトートバッグから何か取り出して、妻の手に握らせた。
「店であまったご飯で作ったおにぎり。松茸ご飯なの、あんまし松茸入ってないけど食べて、ね、ね。せっかくだからさ」
あんまりしつこく言うものだから、僕らは断りきれず、ラップに包まれたおにぎりを持って店を出た。

翌朝。冷蔵庫から出したおにぎりはもうだめになっていた。
「どうする?」と僕。
公園に行こうと言い出したのは妻だった。僕らは公園の端にあるバード・サンクチュアリまでやってきた。妻は、ちょっと待ってて、というと林の中に入っていった。
やがて、林から出てきた妻の手は泥だらけ。
「おにぎり、埋めてきた・・・・」とポツリと言った。

その日以来、公園のバード・サンクチュアリは僕らにとって本当のサンクチュアリ(聖なる場所)になった。忘れられた娘の墓に。
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