六月の雨のあいまに、太陽がひょっこり顔を出すときがある。
人生というのは不思議なもので、予測とは異なる展開をしているにもかかわらず、後になって様々な小さな出来事の、その意味に気づかされる。
それはまるで雨の降り続く梅雨の季節に射す光のようだ。
陽光のまぶしさに照らされて、それまでやり過ごされていた意味が目の前に広がる。
光は音楽のように、身体に染みこんでくる。
己の愚かさも、他人の愚かさも、すべて人間の為せる業。
愚かさを雨が洗い流し、光の音階が聞こえるのだ。
人はひとり。
ひとりになったときにはじめて、射す光の真の意味が理解できる。
今日も光の音楽を聴きながら、この路を歩こう。
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