「きぬかわ」のたい焼き☆尻尾まで餡こたっぷり! |
岩手県一ノ関市の真ん中を流れる磐井川。
その磐井川にかかる上の橋を渡ってすぐの交差点。その交差点の角にある小さなお店。
そこが「きぬかわ商店」だ。
僕は子供の頃から、そのお店で春は団子、夏は氷と心太(ところてん)、秋と冬はたい焼きを食べた。高校生までずっと、当たり前のように、友達と学校帰りに寄ったりして、食べていた。
朝、母に納豆が足りないからといってお使いに行かされたり、油揚げを買いに行かされたり、弟と二人でお使いに行って、油揚げを途中で半分以上食べてしまったこともあった。
その「きぬかわ」のたい焼きを送って頂いて、家族で食べました。
昔ながらの、持ち重りのする、餡このたっぷり詰まった、少し堅めのたい焼きは、我が家の人々もどこか懐かしさと共に味わったようでした。
子供頃当たり前のように食べていた「たい焼き」を、東京の我が家の居間で、何十年ぶりに味わうとは想像もしていなかったことでした。
過去の感情は味や匂いと共に存在しているようです。
それは、これまでもこのブログでも度々語ってきたことですが、食べるという行為はただ生きるための消化にあらず、食べることは生きること全体を表しているように、僕には思えるからです。
小学校の頃、お父さんが病気で貧しかった友達の「チッカ」と冬、二高の校庭の端っこできぬかわのたい焼きを分け合って食べたことがあった。チッカは元気にしてるだろうか?
高校の時、台湾から来た「陽くん」と学校帰りに、自転車を家の前に置いて、きぬかわのたい焼きを食べに行ったこともあった。
その度に、きぬかわの親父さんが丁寧にたい焼きの鉄の型を裏返しながら焼いてくれたのを僕らは見ていたんだ。
今は息子の「てっちゃん」が後を継いでいるらしい。
てっちゃん☆
ありがとうございました!
てっちゃんの送ってくれたたい焼きを僕はいろいろな思い出と共に食べましたよ。
たかが、たい焼きかもしれない。ですが、そこに僕の暮らしたあの「日々」が、確かにありました。
ありがとう。
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