最近様々なところで「サブリミナル広告」なんてものはない、という話をよく耳にします。
昔、有名なコカコーラのCMの話がありました。映画の中に目には見えない形で挿入されたコカコーラの映像に刺激され、休憩時間に客が売店に殺到したとか。
でも、この話は全くでたらめだったということが、この実験を行った本人の口から明らかになったらしい。
というわけで、今やお亡くなりになったウィルソン・ブライアン・キィ氏の名著『メディア・セックス』もお笑いぐさのトンデモ本というわけです。
彼の主張するように、広告写真にいかがわしい文字や映像を一見見えない形で挿入することで、いったいどんなコントロールが働くんだ?という話があります。その通りだと思う。写真に書き込まれたSEX等という文字で、人は何か行動を具体的に起こすだろうか?
しかしながら、90年代、僕はたまたま米国の雑誌TIMEを定期購読していて、かなりの期間、定期的に雑誌を精査することができました。その頃アメリカの敵であったフセイン元イラク大統領の画面に無数に書き込まれたSEXの文字に愕然としたのを覚えています。
で?だから?と言われそうですが、毎週そのような無数の否定的な文字に晒されれば、いつの間にかその人物に対する評価もサブリミナルな影響で変わってくるとは言えないでしょうか。それこそが一種のメディアによるコントロールではないですか。
「トンデモ」という表現で、様々ないかがわしいものの権威を剥ぎ取ることは大事なことでしょう。
ですが、トンデモにも気をつけなければならない。利口そうなしたり顔で「トンデモ」などと言う連中の言葉も疑う必要がありそうです。
サブリミナル広告がなくなったわけでは決してありません。
科学的根拠がないと嘲笑うことで、その存在を煙に巻いているのです。
確かに、フロイトやユングすら、未だに科学とは見なされてはいません。彼らの著書もトンデモ本ということになるだろうな。
僕らは自分の目でしっかりと見据えなければならない時期にきています。
思い切り評価の下がっている本であっても、しっかりと判断しなければいけない。
その意味では、ネットはテレビや新聞と違って正しい情報があると信じている向きは注意が必要でしょう。
ネットはそもそもゴミ溜めです。
ネット上で「トンデモ」扱いされているもので見直さねばならないものがたくさんあります。この本もそのひとつですが。
リテラシーがこれほど試される時代もこれまでなかったのでしょうね。
簡単な否定は、簡単な同調と同じほど愚かなことです。
最近、サブリミナルな広告はますます猛威をふるっているように思います。
だって、ウィルソン・ブライアン・キィの死後、サブリミナル広告なんてものは、そもそもなかったということになっているのですから。
1988年のアメリカ映画にジョン・カーペンター監督の『ゼイリブ』があります。サブリミナルに大衆がコントロールされ、消費者へと堕落させられている世界を描いたSFですが、まさに今日の世界を彷彿とさせる作品です。
現在、残念ながらこの種の作品は作られず、むしろニヤニヤ笑いながら「トンデモ」などとレッテル貼ることで『ゼイリブ』の世界が実現してしまっているのではないかという既視感に捕らわれます。
やはり、目をつむってはいけないと、僕は思うよ。
Subliminal messages
1988 John Carpenter “They live”
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