7月までの喧噪が止み、少しばかり静かに集中できるようになりました。
教える仕事以外の時間は、作品造りに集中しています。
こんなに熱いのに、なぜか蝉の声がちょっと少ない気もします。今日は薄曇りだからだろうか?
You Tubeに懐かしい映画の予告編がアップされていました。
1975年のATG映画『祭りの準備』です。
この作品に関してはかつて何度か書いたことがあるので、このブログを読んでくれている皆さんはもうすでにご覧になっているかもしれません。
中島丈博さんのシナリオが強く胸に迫る青春物語ですよ。
ひょっとして文学が映画よりジャンルとしては上にある、などと思っている人がいたら、それは間違いです。
下らぬ文学より、優れたドラマは映画であれテレビであれ舞台であれ、文学を遙かに超えます。
この映画は映像小説といってもいいかもね。
ワンカットワンカットが濃く出来上がっています。
今風の薄っぺらな薄笑いを浮かべたシニカルなポストモダン派には、到底作れるはずもない良い意味の「濁り」があるんだな。
八十年代以降、この「濁り」のようなものを排除して美味しい生活をかさね、格差を基礎にした奴隷社会が今立ち現れているんじゃないですか?
濁り。
この濁りを見つめることで、泥臭く小綺麗ではないが、しっかりと踏みしめるべき大地の在処がわかる。
この三十年間の中で、よって立つべき足下と濁りのような得体の知れない「希望」を失ってしまったのだと思う。
青春という言葉は、メディアに植え付けられたイメージよりずっとどす黒く情けなく濁っているんだよ。
でも、だからこそ忘れられないのさ。
昔が良かった、というのでは決してありません。
置き忘れてきたもののひとつだろう、と僕には思えるだけなんです。
ブザービートの青春もいいけれど、濁ってみっともない「祭りの準備」の青春を僕は置き去りにしたくないだけなんだ。
あの映画の中に、恥ずかしながら、僕はいましたよ。
たぶん、あれは、僕です。
それは、確かだ。
1975年 ATG映画『祭りの準備』予告編
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