今日は午前中気持ちがいいぐらい夏を感じさせる快晴だ。
妻は朝食の準備、子供たちを学校へ送り出すと部屋の掃除、お風呂場の掃除、洗濯と休む暇もない。
そして僕は、食器洗いが終わった後は、相変わらず授業の準備と原稿に向かっている。
これが僕らの生活だ。
今、作業中の書庫の中にはColdplayが流れている。
僕はいろいろなところで「目的(Purpose)」の話をする。
日本に暮らす僕らには、目的とか目標なんてものは一部の前向きな人のPositive Thinkingぐらいの認識しかないようだ。しかし、前向きであろうとなかろうと、僕らは目的に支配されている。
僕は目的を持たない人間の行動というものを知らない。
一見ぼんやりとスローライフで、特に何の目的もなくその日を暮らすということもありそうだが、そんなことはない。「何の目的もあえて感じないように生きたい」という目的がそこにもあるのだから。
目的が僕らの周囲の状況を生み出している。状況があって目的が決まるわけではない。
僕らがこの世界という状況を、絶えず創り出しているのだ。
必ずしも前向きな生き方が良いとは限らない。むしろ、時には後ろ向きの自分を自覚すべきなのだ。しかし、どんなに悲惨な状況の下でも、僕らにはその瞬間を生き延びる目的がある。
願うなら、その目的が少しでも貨幣的価値観から遠い方が望ましいとは思ってはいるが。
貨幣的価値観のシステムの下では僕らは誰もが奴隷である。その自覚によって、別の少しはましな目的も見いだせるだろう。
後ろを向いて確認し、前を向いて走り出す。運転の初歩となんら変わりない当たり前の現実である。そして、目標を明確にする努力は、目標をロック・オン!する。
そこに向かって、まずは走りだそう。
Lock On!!
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