2006年7月3日月曜日

アリの生活

下の娘と近所を散歩していた。
ベンチに腰掛けて、彼女が自転車でくるくる回りながら走っているのを見ていた。
サンダルを履いた足がくすぐったい。見てみるとアリが一匹這い上がってくる。
周囲を見ると、無数のアリが走り回っている。
近くに巣穴もあって、アリたちが出入りしているのが見える。

空を見上げることも少なくなったが、地面を見つめることも少なくなった。
僕らが見ているのは、この目の高さの現実のみだ。
己の目の高さの世界を、僕らは現実と呼んでいる。

しかし、現実は僕らの上にも、下にも存在している。

目の高さは、精神の境界線、もしくは限界でさえある。
世界のどれほどの要素を僕らは知覚し、認識し、理解しているのだろう。

今日君は挫折し、悲しみにくれているかもしれない。それでも僕らの上でも下でも生活は続いている。
今日君は望みを成就し、喜びと自尊心で一杯かもしれない。それでも僕らの上でも下でも生活は確実に、相も変わらず続いているはずだ。

人がこの世界からすべて去ろうとも、宇宙は動き続ける。それは無情であり同時に希望でもある。

人の悩みは絶えずしてもとの悩みにあらず。
人はいつの日も悩み深く、苦悩の中に暮らす。

宇宙の視点から見れば、この人間の暮らしもまた足下のアリの暮らしと変わらぬものだ。
それはとてつもなく軽い。
同時に、一匹あるいは一人の重さはとてつもなく重い。

人間の自意識は人間自身を他の生物と区別する特質だが、その自意識故に存在の比重がアンバランスになっている。ナルシズムを背景にした自己憐憫は、人間特有の問題なのである。
僕らの抱える悩みの全てではないにしても、多くは自己憐憫によって深まる。

重さと軽さのバランスを取り戻したい。

足下のアリは僕であり、君だ。
その小さな存在は、この世界から忘れ去れているが、同時に、この世界を生み出している要素そのものなのである。

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