2013年6月29日土曜日

チーフ・シアトルの手紙


Dances with Wolves 1990
この前、映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ』を考えていた。

不思議な映画で、1990年に公開されたときは高評価プラス大ヒットプラスアカデミー賞受賞とという華々しさだったが、いつしか忘れられてしまった。
勿論、忘れられてなどいないが、今やテレビで放映されることもない、話題に上ることもない、更にその価値も振り返られることがない。
何故なのだろう?

現在、アメリカでネイティブ・アメリカンの権利運動を行っている人物にデニス・バンクスがいる。

Dennis Banks (born April 12, 1937), a Native American leader, teacher, lecturer, activist and author, is an Anishinaabe born on Leech Lake Indian Reservation in northern Minnesota. Banks is also known as Nowa Cumig 

かなり過激な運動家である彼だが、その精神は過去の歴史上の祖先たちと何ら変わらない。神聖な髪を伸ばし、三つ編みにし、デニムに身を包む。その生活はダンス・ウィズ・ウルブズさながらである。実際、映画は彼らの生活を描いていたとも言えるのではないか。そんな風にも思う。
ダンス・ウィズ・ウルブズが忘れられていったのは、AIM(American Indian Movement - インディアン権利団体の「アメリカインディアン運動」)というデニスたちの運動に対するネガティブな反応と軌を一にしているような気がする。
彼らの主張は過去のものではない。
かつて、シッティング・ブルと呼ばれたスー族の酋長・タタンカ・イヨタケは、白人の学校にスー族の若者を入学させようと合衆国政府が言い出したとき、次のように言ったそうだ。「・・・むしろ逆に、君たち白人の若者を我々の所によこしたまえ。自然の中で生き抜く方法を教えてあげよう」
勿論、合衆国政府はすぐに断った。

今もなお、ネーティブ・アメリカンたちのこれまでの過酷な運命をしっかりと世界に伝えられてはいないのである。僕らは彼らの現実をどれだけ知っているだろう。
同様に、僕らは僕らの過去も実はあまりよく分かっていないのである。
デニスたちの態度に、日本人である僕らも学ぶ必要がありそうだ。すなわち、歴史はなにも終わってはいないのだということ。日本人も、ネイティブ・アメリカンも、共に検討し直さなければならない深い歴史の溝を抱えているのである。
そんなことを考えていたとき、不思議なことに、ミュージシャンの友人「キリロラ☆」さんから、一枚のテキストを頂く。
それが、「チーフ・シアトルからの手紙」であった。

はじめに断っておくが、実際にチーフ・シアトルという人物の手に成る手紙かどうかは不確かだ。だが、仮に別の人物によるものだとしても、その手紙の内容は陰るどころか、輝きを増すように思う。ここに書かれているのは、単なる自然保護に対する言説ではない。むしろ、世界と僕らの関係を的確に表現した「世界に対する覚え書き」といった類いのものだと思う。人は、常に傲慢になっていく可能性がある。その傲慢さは、己が世界の中心であるという錯覚から生じるのだが、チーフ・シアトルの言葉は、世界の中心は己にあっても、他のすべてが、同様に世界の中心なのだから、特定の何かがトップに立つなどということはあり得ない、という自然の状況を伝えている。
現代の人間はどこか不自然なのだ。その不自然さを認めないかぎり、その不自然さを受け止めないかぎり、人間は果てしなく自分本位の傲慢で脆弱で破壊的で破滅的な存在に堕してしまうだろう。そんなことをこの手紙は考えさせてくれる。ここには、たとえば鯨を捕ることが残酷だとか、その代わりに牛を喰えだとか、そんな陳腐なことは何ひとつ出てこない。すべてを商業的な視点から見てしまう現在のこの世界において、この手紙には、商業から最も遠い、見事なまでの「詩」があるのである。
僕たちに必要なのは、詩のような世界認識なのだと思う。あの青い空を僕らは、そもそも売り買いできるはずがないのだ。



『チーフ・シアトルの手紙 ーすべての人々へー』翻訳:上野火山

【チーフシアトルはアメリカインディアン・スカーミッシュ族の酋長であり、伝えられるところによれば、1800年代にアメリカ政府に手紙を書いたと言われている。その手紙の中で、彼はあらゆる物事の中にある神というものについて最も深い理解を示したのだった。ここに彼の書いたその手紙がある。それは世界中のあらゆる国々のすべての親や子供がその心や精神に刻みつけておくべき言葉である。】

「チーフ・シアトルの手紙

ワシントンの大統領が、我々の土地を買いたいと言ってくる。
しかし、あなた方は、空や、大地を、どうやって売り買いすることができるのだろう?そのような考え方は我々には奇妙に思える。もし我々が空気の清らかさや水のきらめきをそもそも持っていないとしたら、あなた方はそれをどうやって買うことができるのか?
この地上のすべてのものは我々人間にとって聖なるものだ。すべての輝く松の葉の一本一本が、すべての岸辺の砂粒ひとつひとつが、すべての暗い森に煙る霧が、すべての牧草地が、そしてすべての音を立てるあの虫たち、そのすべてが我々人間にとって、記憶や経験の中の神聖なものたちなのだ。我々は木の中を流れる樹液の存在を知っている。我々が自分の血管の中を血液が流れているのを知っているように。我々はこの地上の一部であり、この地上もまた我々の一部なのだ。あの香しい花は我々の姉妹であり、熊も、鹿も、大鷲も、すべて我々の兄弟なのだ。
岩だらけの頂も、牧草地の露の滴も、子馬の身体のぬくもりも、人も、すべて同じ家族の一員なのだ。
せせらぎや川を流れる輝く水は、単なる水ではなく、我々の祖先の血そのものだ。もし我々があなた方に我々の土地を売るとする、ならばあなた方はその土地が聖なるものだということを忘れてはならない。湖の透明な水に反射するその艶やかな輝きひとつひとつが我々の先祖の生活に起こったことや記憶を伝えてくれる。その水の呟きは、我々の父の、更にその父の声なのだ。
川は我々の兄弟。川が我々の喉の渇きを癒やしてくれる。川が我々のカヌーを運び、子供たちに食べ物をくれる。だから、あなた方は自分の兄弟に与える優しさを、川に与えなければならない。
もし我々があなた方に我々の土地を売るならば、空気が我々にとって貴重なものであり、空気がそれを支えるあらゆる生き物とその魂を共有し合っているということを忘れてはならない。我々の祖父に最初の息を与えた風は、彼の最後の溜息も受け止めたのだ。その風はまた我々の子供たちの命にその魂を与える。だから、もし我々が我々の土地を売るとすれば、あなた方はその土地を他とは区別し神聖なものとしておかなければならない。すなわち、人が牧草地の花によって甘く香る風を味わいに行けるような場所として。
あなた方の子供たちに、我々が我々の子供たちに教えてきたことを教えてはもらえないだろうか?つまり、大地が我々の母だということを。地上に降りかかるものは地上のすべての息子たちに降りかかるということを。我々が知っているのはこういうことだ。大地は人間のものではない。人間こそが大地のものなのだ、ということ。
すべてのものは我々皆を繋ぐ血液のように結び合っている。人が生命の網の目を編んでいるわけではない。人は単に生命の一本の撚糸(よりいと)にすぎないのだ。網の目に対し何をしようとも、人は自分に向かっているだけだ。
我々が知っていること。それは、我々の神も又あなた方の神である、ということ。地上は神にとって貴重なものであり、地上を汚すことは地上の創造者に対し侮辱することになる。あなた方の運命は我々にはわからない。バッファローが絶滅させられた後、何が起こるのか?野性の馬たちが飼い慣らされたら、どうなるのか?
森の秘密の場所が多くの人間の匂いで充満し、熟した丘の景色も、電話線で汚されたら、どうなるのか?雑木林はどこへ行ってしまうのか?消えてしまうのだ!あの鷲はどこへ行くのだろう?消えてしまうのだ!そして、何が、足の速い子馬にさよならを言って、それから狩りをすることになるか?生きることが終わり、生き残る事が始まるのだ。最後の赤い人間がこの野性と共に消えてしまい、彼の記憶はただ平原を吹き渡る一片の雲の影にすぎなくなる時、これらの岸辺や森はこれからもここにあるのだろうか?我々の仲間達の魂が、幾何かでも残っているのだろうか?我々は生まれたばかりの赤子が母親の鼓動を愛するように、この大地を愛する。我々が慈しんできたように、大地を慈しんで欲しい。大地の記憶を、あなた方がそれを受け止めたときのように、心の中にとどめておいて欲しい。すべての子らのために大地を守り、愛して欲しい。まるで神が我々を愛するように。
我々がこの大地の一部であるように、あなた方もこの大地の一部なのだ。この地上は我々にとってかけがえのないもの。それはあなたがたにとってもかけがえのないもの。
我々が知っているのはこういうことだ。
独りの神しかいないということ。赤い人間であれ、白い人間であれ、人は分けることはできないということ。我々は、結局は、皆兄弟なのだから。」


■原文■
Chief Seattle's Letter To All THE PEOPLE

【Chief Seattle, Chief of the Suquamish Indians allegedly wrote to the American Government in the 1800's - In this letter he gave the most profound understanding of God in all Things. Here is his letter, which should be instilled in the hearts and minds of every parent and child in all the Nations of the World: 】

CHIEF SEATTLE'S LETTER 

"The President in Washington sends word that he wishes to buy our land. But how can you buy or sell the sky? the land? The idea is strange to us. If we do not own the freshness of the air and the sparkle of the water, how can you buy them?
Every part of the earth is sacred to my people. Every shining pine needle, every sandy shore, every mist in the dark woods, every meadow, every humming insect. All are holy in the memory and experience of my people.
We know the sap which courses through the trees as we know the blood that courses through our veins. We are part of the earth and it is part of us. The perfumed flowers are our sisters. The bear, the deer, the great eagle, these are our brothers. The rocky crests, the dew in the meadow, the body heat of the pony, and man all belong to the same family.
The shining water that moves in the streams and rivers is not just water, but the blood of our ancestors. If we sell you our land, you must remember that it is sacred. Each glossy reflection in the clear waters of the lakes tells of events and memories in the life of my people. The water's murmur is the voice of my father's father.
The rivers are our brothers. They quench our thirst. They carry our canoes and feed our children. So you must give the rivers the kindness that you would give any brother.
If we sell you our land, remember that the air is precious to us, that the air shares its spirit with all the life that it supports. The wind that gave our grandfather his first breath also received his last sigh. The wind also gives our children the spirit of life. So if we sell our land, you must keep it apart and sacred, as a place where man can go to taste the wind that is sweetened by the meadow flowers.
Will you teach your children what we have taught our children? That the earth is our mother? What befalls the earth befalls all the sons of the earth.
This we know: the earth does not belong to man, man belongs to the earth. All things are connected like the blood that unites us all. Man did not weave the web of life, he is merely a strand in it. Whatever he does to the web, he does to himself.
One thing we know: our God is also your God. The earth is precious to him and to harm the earth is to heap contempt on its creator.
Your destiny is a mystery to us. What will happen when the buffalo are all slaughtered? The wild horses tamed? What will happen when the secret corners of the forest are heavy with the scent of many men and the view of the ripe hills is blotted with talking wires? Where will the thicket be? Gone! Where will the eagle be? Gone! And what is to say goodbye to the swift pony and then hunt? The end of living and the beginning of survival.
When the last red man has vanished with this wilderness, and his memory is only the shadow of a cloud moving across the prairie, will these shores and forests still be here? Will there be any of the spirit of my people left?
We love this earth as a newborn loves its mother's heartbeat. So, if we sell you our land, love it as we have loved it. Care for it, as we have cared for it. Hold in your mind the memory of the land as it is when you receive it. Preserve the land for all children, and love it, as God loves us.
As we are part of the land, you too are part of the land. This earth is precious to us. It is also precious to you.
One thing we know - there is only one God. No man, be he Red man or White man, can be apart. We ARE all brothers after all." 


2013年4月24日水曜日

新年度講義開始 ☆ 世界の狭間で考える時間

先週、ボアソナード・タワーから!
本年の大学の講義も開始して二週間とちょっと。
今日で三回目の講義です。

当初の予想よりも受講生の数が多く、ありがたいかぎりです。なにしろ後にも先にも演劇と政治経済もしくは思想史と比較しながら進める講義は、この講義しかありません。まったく比較対照されることのない別次元に見える事柄を、僕はあえて関連づけてみたいのです。
「知」とは、細かく分けることばかりではありません。要素還元で知ることのできる知の代表が「科学」だとすれば、人文学は寧ろ分けられてしまったものの関連性を取り戻す作業のことではないでしょうか。
一見無関係の要素を「関連づける」ということが、文学乃至は芸術的営為の本質だと僕は思います。


2009年以降、世界はあからさまになり、これまで巧妙に隠していたことを、大胆に見せ始めています。これは自信の表れなのか末期症状なのかは分かりませんが、いずれにせよ、目を開き、耳を澄まし、直感と推論とを駆使して様々な無関係に見えるものを積み上げてみれば、世界の今向かおうとしている現実が見えてきます。
その現実を新世界秩序(New World Order)と呼ぶのでしょう。
世界中で連続して起きる災害もテロ事件、そしてその後のショック・ドクトリン的政策決定も、多国籍企業(例えばユニクロ等)による世界で賃金統一を行うという宣言や、世界中で「水道事業」等のライフラインのインフラが私企業により民営化されていく流れも、金融資本によって市場原理のみで価値が決まっていく有様も、民主化という名の下で暴走する資本主義も、TPPというあからさまな不平等条約も、もはや何はばかることなく世界を揺るがせながらその邪悪な姿をさらけ出しています。

しかしながら、それも個々の「点」にのみ気がとられていては気づけない。関連づけること、関係性に注目し、点を「線」で結ばなければ、見えてこないのです。だからこそ、あからさまに、嘲笑うように人々の心を揺さぶり不安に陥れているのではないでしょうか。人々が点にばかり目が行く装置こそテレビであり新聞であり劇場であり、メディアそのものだと思われます。一度冷静にテレビや新聞や劇場を見つめ直してみれば、装置として機能するものと、装置であることを拒否し戦うものとが区別できるようです。もちろん単純に分けることはできませんが。


今日は現在公開中のアメリカ映画「リンカーン」について語る予定です。
このスピルバーグによる映画で描かれているリンカーンは奴隷解放のヒーローでありながら、苦悩する人間的で慈愛に満ちた実に魅力的な人物です。しかしながら、僕が興味を持ったのは脇の登場人物であり、キーパーソンのサディアス・スティーブンスです。リンカーンはこの共和党の議員である絶対的な平等主義者サディアス・スティーブンスに妥協を迫り、奴隷制の撤廃を謳う修正第13条を通そうとする物語を縦軸にした物語です。正しいことを実現するためには「妥協」と「裏工作」の必然を描いているこの作品は、確かに政治の本質的現場を描いているのでしょう。ですが、「正しいこと」もしくは「正義」の基準とは、サンデル教授に訊くまでもなく「曖昧」で「不透明」です。
その不明の「正義」を土台に政治は行われている。その辺を、同監督の映画「ミュンヘン」なども重ねながら考えたいと思います。

今日は更に、名作の誉れ高いイギリス映画「英国王のスピーチ」についても、その内容の素晴らしさと同時に、隠された「意味」を読み解きたいと思っています。
昨今氾濫する「伝記映画」はいったいどのような真の目的を背後に抱えているのだろうか。
これは是非考えてみる必要がありそうです。

また後ほど☆教室でお会いしましょう!!

2013年4月12日金曜日

キリロラ☆ライブ


ライブスポット・南青山まんだら

先日、青山のライブスポット「まんだら」にて、キリロラ☆のライブを観ました。
いや、聴いた、かな?でも観て聴いた感じ。
ロック系ではなく、むしろ岩と対話する「岩系」を自称するアーティストにしてperformerのキリロラ☆さん。

今回、縁あって新曲「樹氷族」の作成のお手伝いをさせて頂きました。
僕の参加部分は歌詞の日本語版と英語版の作成。
キリロラ☆さん自身の言葉と、彼女の持つFacebook上の数々の樹氷の写真から小さな物語をクリエイト。そして、それを歌詞に置き換え、更に言語の壁を乗り越えるという、実の面白い体験でした。まったくキリロラ☆さんには感謝です。おもしろかったよ!!

そして迎えたライブで新曲の初披露があったのでした。
さすがに隙のないパフォーミング!圧巻は言葉が音楽そのものに変質していくその様だろうか。いや、インプロの音楽と共に今生まれていくその生命力に打たれたのかもしれない。いずれにせよ、前の日に「めちゃめちゃキンチョー!!」みたいなメールを送ってきた人とはとても思えない堂々たるパフォーミング・アーツでした。
きっとこの後控えているフランス公演もアメリカ公演もきっと成功することでしょう!信じてるぜい!!

彼女は自分を芸人と呼びます。実にさわやか。
人やこの時代が求めているものを本能で感じ取っているのでしょう。そして、それは自らの生活から、自らの肉体から、実感として生まれてくる力なのでしょう。その率直で滑らかな瑞々しい「力」を僕は彼女のパフォーマンスから感じるのです。
この前、キリロラ☆本人の口から彼女のバックグラウンドにダンスの歴史があることを知り、僕は彼女の舞台上での所作の美しさの秘密を知ったような気がしました。
まず、この人の舞台上の滑らかな所作を観なくてはならない。
そして、声だと思うんだ。
日本の歌い手の中でも、その所作の美しさをもっと評価されていい存在ではないかな。そんな風に思います。

ますます輝きが増していて、ますます応援したくなるアーティストだな。

2013年3月9日土曜日

ポストグローバル社会の可能性

『ポストグローバル社会の可能性』
最近読んだ本のご紹介です。

タイトル『ポストグローバル社会の可能性 』
ジョン カバナ (編集), ジェリー マンダー (編集), John Cavanagh (原著), Jerry Mander (原著), 翻訳グループ「虹」 (翻訳) 

内容(「BOOK」データベースより)
世界貿易機関(WTO)、国際通貨基金(IMF)、世界銀行などが中心に推進している経済のグローバル化は、世界を急速に蝕んでいる。本書は、経済のグローバル化がもたらす影響を、文化、社会、政治、環境というあらゆる面から分析し批判することを目的に創設された国際グローバル化フォーラム(IFG)による、反グローバル化論の集大成である。「グローバル化を求めないのなら、何をめざすのか」という問いに、あらゆる側面からこたえることを通じて、ポストグローバル社会を構想する。仏・独・西・中など8カ国語で翻訳出版されている本書は、グローバリゼーションを考えるための必読書。 (引用終了)

ということで、2006年の11月に初版が出たこの本は、七年近くも経つというのに今だ議論は古びてはいません。
むしろ、現在を把握する上で非常に貴重な資料で溢れています。
残念ながらamazonでも扱っている冊数が少ないらしく、中古で手に入れるしかない場合もあるかもしれません。でも、ぜひ手にとってじっくり読んで頂きたい書物のひとつです。
この本の興味深い部分は大きく分けて二点あります。勿論、様々な議論全体が興味深いのですが、「コモンズ」に関する部分と、「オールタナティブ」の部分が秀逸です。

コモンズとはcommons(共有物、共有財産)ぐらいの意味かな。
しかし、この意味するところはとても深く重要です。というのも、今、全世界的にコモンズの民営化、すなわち公共の共有財産であったものが民間企業に売り渡されているのです。
例えば、アルゼンチンやボリビア、南アフリカ、インド、カナダ、米国、といった場所で次々と「水」が公共から企業による私有へと取って代わられているのです。ですが、これらの国々ではこの人間が生きる基本的財産である「水」を公共の手に取り戻そうと反対運動が起こってボリビアなどでは、水を独占した多国籍企業であるベクテル社の計画を放棄させました。コモンズとは元来は「共有地」の意味ですが、今やもっと広い意味で使われはじめているわけです。コモンズを守らねばならない。
また例えば「遺伝子」や「国民皆保険制度」などもコモンズの範疇に入るものです。

(本書P183から引用)
『国際技術評価センターのアンドリュー・キンブルによると、「いま企業は、金銭的に価値の高い植物、動物、そして人の遺伝子はないかと地球を隅々まで探し回り、あたかも自分の発明品であるかのようにそれらの私的所有権を主張しようとしている。すでに数千に及ぶ遺伝子特許が企業に与えられていて、これらの企業は今やあらゆる生き物の特許をとって、それを私物化することができる」。
こうした活動のほとんどは、生命科学産業によって行われている。モンサント、ノバルティス、デュポン、パイオニアなどの企業は、WTOのTRIP協定(貿易関連知的所有権協定)によって膨大な恩恵を与えられてきた。この協定はこれからの企業に対して、遺伝子操作を行えば植物や種子の品種の特許をとることができると認めているのだ。」

生物に対し、遺伝子まで特許が認められてしまえば、人間存在のアイデンティティさえも商品化されてしまうのではないか。今気軽に行われている家庭菜園も種子の特許化が進む中で、禁止される可能性が出てくるのではないか。いや、実際すでに家庭菜園禁止の方向が出ているのですが。特定の企業による特許化が進み、様々なコモンズが占有されていく様子が見えるのです。コモンズとは本来何者かによって占有されてはならない世界の欠くことのできない部分。コモンズとは商品化してはならないもののことです。

オールタナティブとは代替案のこと。
果たして、現在のグローバル化の後、我々はどこへ向かえばいいのか。この問に対する答えは、ひとつではない。そして、ひとつにしてはならない。
例えば、ここに一つの提案がある。ブレストンウッズ体制の三つ子である「世界銀行(WB)」、国際通貨基金(IMF)、世界貿易機関(WTO)という機構を全廃する。そして新たな国際機構に置き換えたらどうだろう。この書物の提案は率直にして明快である。現在我が国が巻き込まれているTPPという環太平洋戦略的経済連携協定も、実はその背後にこれら三つの機構が深く絡み、ISD条項という国の政府よりも他国の投資家を優先する考え方も、全てこれら三つの機構が絡んでの話なのである。


一筋縄ではいかない現代のこの「新世界秩序(New World Order)」への道程を疑問視する者は、この書物を是非読まれることをお勧めする。
この国の貴重な農業のみならず、国民皆保険制度の解体、国の固有の文化の破壊もしくは収奪までもくろむ現在のグローバリゼーションの波をなんとか押しとどめたいものです。
この書物にそのヒントがあるような気がします。

2013年3月7日木曜日

春の日差しの中で



久しぶりに暖かな春の日差しの中、 こんな写真を頂きました。

すぐ近所の「紅梅」の写真。

甘い匂いが漂ってきそうな梅の花。うれしいな。桜はまだだけど、確実に春は近づいてるな。

素敵な写真をありがとね!!!

殺伐とした時代に、こんな鮮やかな花を見ると心が和みます。


2013年3月5日火曜日

TPPに関する覚え書き

ここ数日は大学の新年度の講義ノートを作成しつつ資料の整理をしている。
いくつかこのブログにもメモっとこうと思う。


まずは、去年同様今年も触れなければいけないのが「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」についてである。

先日の某産経新聞によると:
「国益守る」条件に容認 自民調査会 TPPで決議
産経新聞2013年2月28日(木)08:02
 自民党の「外交・経済連携調査会」(衛藤征士郎会長)は27日、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への交渉参加について、国益を守り抜くことを条件に容認する決議を採択した。安倍晋三首相はこの決議や党内議論を踏まえ、3月上旬にも交渉参加を正式表明する方針だ。
 決議は政府に対し「守り抜くべき国益を認知し、どう守っていくのか明確な方針を示すべきだ」と主張。「守り抜くべき国益」の具体的項目として

(1)コメ、麦、牛肉、乳製品、砂糖など農林水産品の関税
(2)自動車の排ガス規制や安全基準などの維持
(3)国民皆保険制度の維持
(4)食の安全安心基準の維持
(5)国の主権を損なうようなISD条項(投資家と国家間の紛争条項)には合意しない
(6)政府調達やかんぽ、郵貯、共済など金融サービスのあり方は日本の特性を踏まえる-を明記した。
 
このほか、混合医療の全面解禁を認めないことや、医師や弁護士など資格制度や放送事業における外資規制、書籍の再販制度の維持などを挙げ、「わが国の特性を踏まえる」よう求めた。反対派の議員連盟「TPP参加の即時撤回を求める会」の主張に最大限配慮した内容だ。会合では新たに外交・経済連携調査会の中に「TPP対策委員会」を設置することも決定。委員長には反対派の西川公也衆院議員が指名された。
 公明党も27日の会合で、交渉参加の判断を首相に一任する方針を確認した。

ーーーーーーーーーーーーーーー以上引用終わり

いやはや、この前の選挙の時と打って変わった首相のTPPに対する積極的な参加姿勢。
国益を守り抜くと言いながら、上記の(1)~(6)のうちひとつでも「聖域なき関税撤廃」に含まれないものがあれば、首相判断で即合意、という話らしい。
このかつての「日米修好通商条約」にも似た明白な不平等条約によって、単純に国益が損なわれるだけではないのですよ。
例えば、コメを聖域と見なす、と言ったからといって、他は米国の多国籍企業の要求に従わざるを得ぬのだろうか?ちょっと待てよ!(1)~(6)は漏れなくすべて主権国家足る我が国の自国内で決定すべき重要項目である。これらの項目に外国が要求すること自体そもそも内政干渉だろう。しかも、それを企業や投資家が行うことになるのである。しかし、いつの間にやら、これが当たり前の状況になっている。驚くべき事に、「守り抜くべき国益」といって上げたものはすべて、実際、米国の多国籍企業が標的にしているものそれ自体だということ。これらの項目は取引する対象ではそもそもないのだよ。

TPPには「ISD条項(投資家と国家間の紛争条項)」がある。
ISDとは、ある国家が自国の公共の利益のために制定した政策により、海外の投資家が仮に不利益を被ったとする、その場合、世界銀行傘下の「国際投資紛争解決センター」という第三者機関に訴えることができる制度である。日本が海外の投資家に損失を出した場合、その賠償を日本政府が行わなければならないのである。先日、米韓FTAにおいても、韓国はアメリカに莫大な賠償金を払ったばかりであり、米国とカナダとメキシコの自由貿易協定であるNAFTA(北米自由貿易協定)においても、同様の事態が起こっている。国家の主権が蹂躙されているのである。これは今後の日本の未来と考えられるのだ。

更にTPPには「ラチェット規約」という条件が付随していることも忘れてはならない。
ラチェットとは、一方にしか動かない爪歯車のこと。ラチェット規定とは、現状の自由化よりも後退を許さないという規定。
このことによって、一旦TPPで決定したことは、後戻りすることなく、徹底的に推し進められることになる。一度実験的に参加してみるという類いの条約では決してない。このラチェット規定が入っている分野は、「銀行、保険、法務、特許、会計、電力・ガス、宅配、電気通信、建設サービス、流通、高等教育、医療機器、航空輸送など多岐にわたる」そうだ。どれも米国企業に有利な分野ばかり。
このように確認してみると、如何にTPPというものが邪悪で有害なものかが分かってくる。
経団連はこのTPPをなんとしても推し進めようとしているのだから、経団連という組織の性質もよく分かるというものだ。そして、そうした動きに追随するメディアの論調も相変わらず、大東亜戦争の真っ最中と変わらぬ腰巾着ぶりである。戦争中あれほど国威発揚を叫んだ朝日新聞が、今やTPPに擦り寄る報道を行うのだから、まったく長いものには巻かれろ、もしくは、付和雷同を地でいったものと見なすことにする。
しかしながら、このTPPの動きを米国だけが得をする条約と考えたら、それも間違いになる。
この動きは米国国民をも不幸にする条約なのだ。TPPで利益を得るのは米国ではない。多国籍企業である。だからこそ日本の経団連も一丸となって推進しようとしているのである。まさに、世界中の多国籍企業という、その企業の利益によって政策が支配されるというおぞましい姿がTPPの本質なのだと思われる。
コーポラティズム(Corporatism)という言葉がある。
本来は、共同体を人間の身体組織のように見なした政治や経済や社会の組織のシステムの1つのことである。
だが、ここでは本来の意味とは異なる「コーポラティズム(Corporatism)」が問題になるのです。
この場合のコーポラティズムとは、「大企業と政府が一体になった国家運営体制」を言います。その意味で、今グローバルな形で進行している様々な世界の歪みは、デモクラシーという民主化へのこれまでの幻想から、実際はコーポラティズムへのドラスティックな変容過程なのだと思われます。世界は決して民主化などされてはいない。世界は急激にコーポラティズムへ移行しているのだと思う。


とても質の良い情報源であるアメリカの「デモクラシー・ナウ」という番組が鋭いTPP批判を行っています。

2013年2月20日水曜日

ボートに乗った日

笑っちゃうけど、俺だぜぃ☆
最近のこと、書庫を片付けているといろんなものが出てくるんだ。
数日前、ポロッと本の間から落ちた写真がこれ。

恥ずかしながら、僕の三歳頃の写真です。どこだっけ?と、あれこれ考えていると不意に鮮やかに思い出されたボート乗り場の風景。

あの日僕は、父とボートに乗りに行ったのだ。
たぶん、ボートに乗るのは初めてだったはず。僕は揺れる木のボートに恐る恐る乗って、父に「すぐにしゃがむんだ」と言われたのを覚えている。
正面に座った座った父が、僕と向かい合ったまま、ボートを漕ぎ出す。いつも見ている川の流れが、いつもとは違って見えた。
川には小さな魚たちがいた。オイカワやハヤやフナなんか。でも、その日僕がボートから見たのは、巨大な青く光る鯉だった。
悠々と流れに逆らって泳ぐ大きな鯉を見つめながら、こんな大きな魚がいるんだと、幼い僕は思っていた。

川は流れ、すぐ近くに蒸気機関車が通り過ぎる鉄橋が見えた。
父はゆっくりと片方の櫂を大きく動かしながら方向を変え、上流の方へ、もと来た方へとボートを動かしていった。


たぶん、ほんの数十分だったのだと思う。僕はその記憶を忘れないでいたようだ。
この写真は、アメリカ人の宣教師さんから頂いた服を着たその日の僕。
もう五十年も前のことです。
被っているハンチングも、母が背負わせてくれた肩掛け鞄も覚えているんだよな。


この写真を見ていると「It’s only a paper moon」ていう曲を思い浮かべた。
たとえ、紙でできたお月様でも、信じればそれは本物の月になる。そんな曲。
幼い頃は信じる力があった。それは今だって変わらない、はず。
それでも、大人になると人はとてつもなくリアリストになる。いや、リアリストにならなくていけないのだ。
しかし、そのリアリストの中にどうしょうもなく三歳の幼かった自分を感じる瞬間がある。
なにもかもが初めて、というあの感覚。
いい大人になって、リアリストとして責任をとり、それでもなお、紙のお月様を信じられる。初めての感覚を取り戻す。そんな生き方がしたいものです。
人生は、あるネーティブ・アメリカンが言ったように夢そのものだから。
紙は紙として見ながら、その紙を信じて本物の月にすること。
ボートに乗った日。遠いあの日。紙の月を信じることのできたあの日。初めて鯉を見て驚いて感動したあの日。
あの日から、実は今のこの瞬間まで、僕という人間は続いているのだ。

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