2011年6月10日金曜日
アインシュタインはかく語りき
“ Strange is our situation here upon earth. Each of us comes for a short visit, not knowing why, yet sometimes seeming to a divine purpose. From the standpoint of daily life, however, there is one thing we do know: That we are here for the sake of others...for the countless unknown souls with whose fate we are connected by a bond of sympathy. Many times a day, I realize how much my outer and inner life is built upon the labors of people, both living and dead, and how earnestly I must exert myself in order to give in return as much as I have received. ”
- Albert Einstein
「奇妙だな、この地上にいる私たちの状況はね。私たちは一人一人ほんのわずかな短期滞在のためにここに立ち寄ってるんだよ。理由も知らずに、でも時にはなんだかとても崇高な目的に思われる場合もある。しかしながら、日常生活という視点から見れば、我々はひとつだけしっかりと知ってることがあると思うんだ。それはすなわち、私たちがここにいるのは他者のためであるということ。その人の運命と共感という絆で結ばれた数え切れない見知らぬ人々のために・・・私たちはここにいる。一日のうちに何度も、私自身の外側の社会的生活も内側の内面的精神的生活も人々の働きによって如何に築かれてきているか気がつくのです。その人達が仮に生きていようと亡くなっていようと・・・・そして、自分が受け取ったものに負けないだけのものを返すために、どれほど全力を尽くさなければならないのか、気がつくのです」
ー アルバート・アインシュタイン(訳:上野火山)
使い古された「共感」という言葉を取り戻すために僕は芝居作りをしています。
物理学者のアインシュタインは舞台とはまったく無関係ではありますが、その残した言葉の数々は力強くこちらに迫ってきますね。
先日、たまたまFacebookのお友達に教えて頂いた彼のこの言葉ですが、とても気に入っているので、勝手に和訳しましたよ☆
共感というのは、勇気のいる態度のことだと改めて思います。
なにしろ共感するには、相手に伝えなければ、単なる受け身で終わってしまうから。アインシュタインのように受け取った分をお返しするには更にパワーがいるはずです。だから大変。多くは僕も含めて、時々諦めてしまうこともあるかもしれません。
しかし、人生は死ぬまで「過程」に過ぎません。結論なんて出やしない。
だから苦闘します。苦闘の連続です。無口は駄目です。有言でなければ。黙っていてわかれというのは傲慢です。今の時代は被害者の時代ともいわれます。それは被害者であれば責任を取らずに済み、傷つく事柄から免れていられるからです。でもそれは駄目だ。好きこのんで痛みを求める必要はないけれど、痛みを避ける無表情を装うことは、共感から遠のくから。
アインシュタインのこの言葉は、人生という短い旅の中で人が生きる中で受け取る希望と同時に背負う責任という重荷の話なのだと思う。
自ら行わなければ、どんな批判も意味はありません。
客観的というの幻想です。客観よりも熱い共感の次元をめざしたいと僕は思うね。
アインシュタインのもう一つの痛烈お言葉は次のものです。
「私の学習を妨げた唯一のものは、私の受けた教育である。」by アインシュタイン
実に痛いお言葉です。
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