2011年4月6日水曜日

見えない戦争

この一月の間に起こった出来事は、予想もしていなかった途方もないことだった。

でも、正直言ってまったく予想していなかったかと言えば嘘になる。何かが起きる予感はあった。確かに心のどこかにあった。
次は大きな災害か戦争か…いずれにせよ、途方もないことが起きる予感が、ずっとがあった。

僕にはとても単なる天災だなどとは思えないのだ。
あまりにも腑に落ちないことだらけ、どう考えてもこれは現代日本に向けられた攻撃だろうと思う。
何故原発から漏れる穴が見つからないのに海の放射線は高いのだろう?
何故地震は三度も連続して起こったのだろう?
何故TPP参加を求められているこの時期に、日本の第一次産業は大打撃を被るのだろう?
何故日銀の102兆円という膨大な緊急資金援助金が民間のメガバンクに渡り、その後の行き先が不明なのだろう?
何故どこかの国のデフォルトが近づいた今、復興資金としてその国の国債を我が国は売ることがないのだろうか?

疑問だらけである。
偶然がこれほど見事に無数に重なるはずがないのである。
テレビが死に、新聞雑誌が死に、メディアは今瀕死の状態だ。全て市場経済至上主義の結果であろう。株主と購買層に媚を売るだけが仕事になり果てた結果であろう。
この一ヶ月何一つまともな報道はなかった!!馬鹿野郎!!

見えない戦争の時代を僕たちは生きていることを忘れまい。
何かに対する反対運動も、デモも、暴動も、まったく意味をなさない。集団で騒ぐな。
この見えない戦争の時代は、様々な事実を「個人的」につなぎ合わせ、全体を見わたす努力が必要なのだ。そして、理解すること。

幸い東京は静かだ。
政府とマスコミの煽りに踊らされることもなく、静かな日常を取り戻しつつある。被災地は想像を絶する環境だろう。それを意識するからこそ、ここで静けさと落ち着きと冷静さを取り戻すことはとても重要なことだと思われる。

僕は僕の仕事をする。誰もが皆、自分自身の仕事を淡々とこなす。見えない戦争は、その挑発に踊らされることのない人間には効果がないのだ。これまでも、この国の長い歴史の中で、日本人はそうして生きてきたようだ。生きているその自分の存在する時代に、そんな歴史を肌身に感じるとは、それこそ想像だにしなかったことだ。しかし、これは事実なのだ。

昨夜、僕の高校時代の友人の死を知った。
僕は、この見えない戦争を、僕なりに戦おうと決意している。そして、それは生き直すことでもある。
目を覚まそう。これは天災ではない。
戦争だ。仕掛けられた戦争なのだ。

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