2009年1月30日金曜日
善福寺公園
先日、公演用チラシの撮影がありました。
俳優達とグラフィック・デザイナーの武田和香さん、そしてカメラマンのYUKi-TOさんと西荻窪周辺を歩きました。
陽が沈みかけた頃、善福寺公園で最後のショットを撮ることになりました。
正確には、遅れて合流した俳優とアパート前のショットを最後に撮ったのですが、公園の撮影が全体の最終ショットだったわけです。
夕陽というより、金色に輝く西からの光線で、公園は光に満たされていました。
寒い冬空の中の撮影ではありましたが、見慣れた景色も何故か新鮮に感じられます。
逆光というのもいいものですね!
今回の舞台は本当に手作りの感じがします。商業的な公演ではありませんが、だからこそ、作り手の意気が大切。きっと素敵な舞台が現れると思います。
皆さんもぜひ観に来て下さいね!
2009年1月15日木曜日
すこしずつ
2009年1月13日火曜日
水鉄砲
2009年1月11日日曜日
さよなら こんにちは
’70年代初頭に観たテレビドラマに『さよなら こんにちは』という作品がありました。
下落合の古い家が取り壊され、一家が離散していくまでを静かに優しく描いていたと思います。
今はもうそのビデオすら局(日テレ?)に残っていないそうですが、忘れられないドラマのひとつです。
番組の中に何度も登場する坂道と陽の沈む夕暮れの東京の風景。
遠い岩手で暮らしていた僕は想像をかきたてられ、東京の暮らしに様々思いをはせた記憶があります。
先日中央線のホームから沈む太陽を見て「さよなら こんにちは」を思い出してしまいました。
人生は、さよなら こんにちはの連続ですね。
この世には様々な絶望があり、様々な希望があります。
ただひとつ言えることは、深い絶望を体験しなければ、希望の萌芽はないということ。
「さよなら」を体験しなければ、「こんにちは」は永久にやってこないのだ、と僕は思います。
沈む太陽を見る度に、昇る太陽を夢見ます。
去年から随分チョムスキーとハワード・ジンを読みましたが、この世界の絶望的な状況に今更ながら愕然とします。それは遠い地球の向こう側のお話ではなく、今ここにその絶望的状況が広がっているのだと。チョムスキーは誰も語ることのない小さな事実を表に出すことが仕事だと言います。ジンは誰もが気づこうとしない歴史の側面を露わにしたいと語ります。
ならば、僕は僕でなければ誰も語ることのない物語を話さなければならない。たとえエゴイストのレッテルを貼られようと、僕は僕の物語をお話ししたいと思います。きっとそれが僕以外の誰かの物語と重なるはずだから。そして、その物語こそが、絶望を希望に変える力を持つと信じているから。
だから今日も、さよなら こんにちは。
2009年1月5日月曜日
2009年1月4日日曜日
路地裏
今日は五月の公演に出演する俳優とモデルになった西荻窪のアパート跡を訪ねてみました。
羽目板張りの昔ながらの塀の細い路地裏にその建物が姿を変えて建っておりました。
この細い路地を、三十年前の僕は何度も往復し、泣き、怒り、そして笑って暮らしていたのだなぁ、と今更ながら思います。
その頃はまだ生まれていなかった若い俳優と、共に同じ空間を共有しているのが不思議な感じです。
恐らく、共感とは時代も場所も越えて在り得るのでしょう。
むしろ、その時代を生きた人間の方こそ、簡単に忘れ、共感を失ってしまうことがあるような気がします。
意識的にならねばなりません。
それは僕自身、記憶喪失の裡に暮らす可能性があるからです。
あの路地裏から始まったことを忘れまい。
2009年1月2日金曜日
並木道
2009年1月1日木曜日
青空と一緒に
いろいろなことがあった2008年が終わり、今日から2009年が始まります。
ベランダから空を見上げると、一羽のカラスと二羽の鳩が飛んでいました。
そして、青空に雲がぽっかり浮かんでおりました。
日々の暮らしの中には様々な象徴が隠されているようです。
ただ、それに気がつくか、気がつかないかの差で今日の日は決まってくるのだと思います。
今を見据えるということは、時に厳しいものですが、決して自分自身の眼差すものを無視せずに生きていきたいものです。
ごまかすこと、言い訳すること、責任を他人に押しつけること、身の不遇を託つ怠惰に陥ること、この全ては、自分自身の人生のドラマを、自ら台無しにすることと肝に銘じたいと思います。
自分自身の関わる事柄は、全て自分自身の責任だと思います。
今日もまた引き受けましょう。
すべてを。
あの青空と一緒に。
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