2009年7月19日日曜日

夏祭り

近所の神社で「夏祭り」が開かれていました。昨日と今日の二日間。

境内には露天が沢山出ていて、雰囲気ばっちりの夏祭りでした。夕方近くに行ってみたのですが、もう御神輿なんかは終わってましたが、浴衣姿の女子たちで賑わってました。

うちの子たちも、風船の巨大なバットみたいなヤツや綿菓子やヤキトリなんかで盛り上がってました☆

お参りもすませ、六時半過ぎに帰宅。

その道すがら、道の向こうに大きな「虹」が出ていました。

雨が降ったわけじゃないけど、今日は一日ものすごい湿度でした。

それで、虹ってことになったんじゃないの?ってのが、隣近所の結論です。たぶんそうなんでしょう。

そして、並木道を歩いて我が家へ向かうと、素晴らしい空の風景が見えたんです!!!

それが、これだい☆

なんかカナダかどこかの森林の上に見える雲の風景って感じです。

我が家の目の前って感じはしません。

でも、そんなもんなんだろうなぁ。僕らはファインダーを通して見るように普段から目の前の景色を味わうことができたらいいのになぁ。

それができないからこそ、写真が存在するのかもしれません。

とにかく、夏祭りの帰り道、僕は僕らの住む「地球」の美しさに唖然としました。

この世界は、捨てたもんじゃない。

でしょ?


☆上野火山☆

されど私の人生

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13976040_v1224555306 posted by (C)コックン

斉藤哲夫:日本のボブ・ディラン(だと、僕は思っている)

(生年月日)1950年4月4日生まれ。
(出身地)埼玉県鴻巣市
(血液型)AB型
東京・大森で大衆食堂を営んでいた両親の一人息子。
現在は東京・町田在住、妻と二人の娘の父親。


先日、吉祥寺の歌をご紹介しましたが、斉藤哲夫さんというフォークシンガーについて、語っておこうと思います。

年齢は僕より八歳年上。でも、妻と二人娘の父というのは僕と同じ境遇ですね。

「されど私の人生」という曲があります。
吉田拓郎さんが歌っていて、長いことナイーブな僕は吉田拓郎さん自身の曲だと思い込んで中学、高校時代を過ごしてしまいました。ですが、それは間違い。しかも、吉田拓郎さんの方はあるMCの間違いでいつの間にか「されど我が人生」という誤ったタイトルが流布されてしまうといういきさつもありました。
吉田拓郎による「されど私の人生」も力強くシャウトして聴き応えがあるのですが、本家である斉藤哲夫さんの歌はやはり胸を打つものがあります。
これぞ青春の一曲だと思います。
初期の頃の斉藤さんの曲想は限りなくボブ・ディランを意識したもののような気がしますが、それでも、彼独自の人生観世界観が表現されていると思います。それは今のこの時代にも通ずる個人的な事柄の普遍化とても言うべきものかもしれません。

個人の些末な経験のしっかりとした観察と反芻によって、世界に広がる扉は開かれる。
この目の前のありふれた街の風景の、ありふれた人間の行為の、その向こう側に、無視することのできない強い激しく息づく人間の普遍的な営みがある。
以前も書いたように、世界は「いまここで」その扉を開くのである。

そんなことを思いながら彼、斉藤哲夫さんの曲に久々に耳を傾け、その魅力にすっかりやられています。
昔聴いていて、懐かしいとか、そんなんじゃないんだな。
今だから一層良くわかる、そんな感じ。

彼がフォークの哲学者と呼ばれようが、文学するフォークシンガーと呼ばれようがそんなことはかまわない。
そんなレッテルよりもむしろ、その言葉の持つ普遍的な意味に注意を傾けたいと思う。

僕は、今のこの時代を、どこか新たな「ニヒリズムの時代」と見ています。
なにかすべてわかってしまったかのような錯覚に陥っている時代。実はなにひとつわかりはしないのに。熱くなることを冷笑する時代。人一倍熱くなりたいくせに。
ずるいとか調子がいいとかいうより、むしろ意地の悪さが目立つ時代。自己保身のためにあからさまに他人を踏み台にする時代。傷つくことを恐れるあまり、無関心を装いながら、他人の評価に汲々とする時代。
馬鹿であることを恥じなくてもすむ時代。いや、むしろ馬鹿を演じなくては何事も動かなくなってしまった時代。馬鹿を演じるという前提で、本質的な己の馬鹿とは向き合わなくてもすんでしまう時代。。。。。

そんな時代だからこそ、斉藤哲夫の音楽は大変意味があり、必要性を増しているだと僕は思う。
今、聴くべき曲はこれだ☆
こんな音楽を聴いて、生き直さなくては。

されど私の人生


悩み多き者よ


吉祥寺

過去と向き合う

田園に死す:寺山修司 1974

寺山修司の映像作品の中で、僕が東京に来て最初に池袋・文芸地下で観たのが『田園に死す』だったと思う。
高校生の頃、月刊シナリオで脚本は読んではいたのですが、岩手の映画館では上映されることはなかった。ATG(アート・シアター・ギルド)系の映画は地方ではまず観ることができなかったので、東京に来た当初はそんな映画を貪るように漁るように観ていたのです。


「もし、君がタイムマシーンに乗って数百年をさかのぼり、君の三代前のおばあさんを殺したとしたら、現在の君はいなくなると思うか」


これはWikiでも取り上げられている科白ですが、この「田園に死す」という映画のちょうどイントロダクションを過ぎて本質へ入り込むきっかけになる場面(主人公の映画監督と評論家の対話)で評論家が監督に問いかけた科白です。

映画を要約すれば、捏造された記憶と真実の記憶の葛藤、ということになるでしょうか。

作家は記憶と向き合わざるを得ない。
いや、むしろ積極的に向き合わなくてはならない。
しかしながら、この主人公の監督のように過去の記憶の最も核になる部分は決して他言してはならないという意識も良く理解できます。というのも、彼の言うようにすべてを作品を通じてさらけ出してしまえば、もぬけの殻になる。
この作家としての恐怖心に寺山の姿が見えるのです。どこかで修飾せずにはいられない作家にもかかわらず、寺山自身、カラッポへの恐怖があったことがよくわかります。
過去を表に引きずり出せば、自身の存在の重さが目減りする感じがする。
ですが、木村功さん演じる評論家が紫煙の向こうで笑い飛ばすように、目減りするようなものなどなにひとつない。
何故なら、記憶は「解釈」にすぎないから。
解釈は無限であり、果てしないものだから。
僕らは、過去の記憶と向き合う時、その時々の解釈に身を委ねるほかないのです。
だからこそ、空っぽになることはないのだと、僕は思う。

他の作品の例に漏れず、この「田園に死す」という作品も絢爛なイメージと観念的な言葉や場面で、決してわかりやすいものではないけれど、天井桟敷を彷彿とする舞台的に映画へアプローチした傑作だと思います。

主人公を演じる管貫太郎さんと評論家を演じる木村功さんの対話シーン。
その馥郁たる香を楽しみましょう。

2009年7月17日金曜日

フェンダー・テレキャスターの巻☆☆☆


「相手の頭をブン殴るには、やっぱりギブソンよりフェンダーなんだよな。完璧だぜ、あれは。
テレキャスターのカーブほど首筋にピッタシはまるもんはないって!」
    ー KEITH RICHARDSのお言葉


キース・リチャーズといえば、なんてったって「Fender Telecaster」。
そして、僕が一番敬愛するギターでもあります。
スタラトほどの柔らかさには欠ける無骨な音ですが、だからこそ、やはりロックの中のロックというイメージを勝手に自分で描いています。
ギブソンのレスポールもいいし、クラプトンを聴けばストラトキャスターもいいとは思うんですが、が、がやっぱり俺はテレキャスター派っす☆



俺ん中でギター弾きのイコンは、キースでごんす。
キースにはじまりキースに終わる。
ぶん殴るのにちょうどいいテレキャスターで、しょっちゅう遊んでる男。
椰子の木から落っこちて頭を割った男。
毎年、死ぬ死ぬと言われながら、とうとう還暦を五歳も超えてしまった男。
パイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロウのモデルの男。
映画の宣伝で、コカインについて語った男。
くわえ煙草が気になる男。
どうしょうもないろくでなし顔なのに、惹きつけられるんだよなぁ。

ロックのギター奏者の数ある中で、キース・リチャーズほどロック自体を体現してきた男は見あたりません。
なによりも、彼には古さが皆無であること。
いつ見ても、いつ聴いても、キースはキースのまんま。

永遠のロック少年はキース・リチャーズをめざすんだ。
テレキャスターは永遠の憧れさ☆

2009年7月16日木曜日

名人芸


「いいですかい?貧乏なんてぇものは、するもんじゃありぁせん。味わうもんです」
古今亭志ん生



数年前、今は大阪に暮らす義理の父に「古今亭志ん生全集」なるレコードを聴かせて頂いたことがある。
「火焔太鼓」や「風呂敷」なんかを聴きました。
我が家の子供たちも大喜びで志ん生のファンになったのでした。

やはり名人芸には、確実に人を惹きつける何かがある。それは、まるできちんと仕事のされた江戸前寿司を食うがごとく、例えば、小骨を丁寧に取り酢でしめたコハダのごとき味わいとでも言うのでしょうか。
幼い日に、親父に聴かされた浪花節の廣澤虎三の「清水次郎長伝」、「馬鹿は死ななきゃなおらない」の名台詞が忘れられないように、志ん生の酔いどれたどこかいい加減な台詞回しも、一度その味を知ってしまうと何度も聴きたくなるんです。
廣澤虎三の方はサバの押し寿司(バッテラ)を石松は食うわけなんですが。
なんか、寿司の印象があるんです、僕には。

好き勝手に生きた志ん生さんではありますが、こと芸に関してはストイックで探求心そのもの。そして、人生すべてが高座で語る栄養源でありました。
日常の馬鹿馬鹿しくも悲しく可笑しいあれこれを、彼は味わい尽くして、仕事をしたんですね。
素晴らしい寿司職人の仕事とまったく同じ。
細かく手の込んだ、それでいて、どこかに遊び心があって、そん時限りのいい加減な即興性に満ち、なのに構造上の破綻がない。即ち至高の職人技。

職人、アルチザン。
僕は、どこかこの職人、アルチザンという言葉の響きが好きです。そして、心の底から憧れる。職人をめざすことは、人生の目標として正当なんじゃないだろうか。
どんな仕事に就こうとも、職人をめざしたい。
職人こそ、大いにめざし、いずれその境地に近づきたい憧れの地位だな。

古今亭志ん生「風呂敷」を聴きながら、密かに(ほんと密かに)職人をめざそうと決意しました。ここだけの話だよ。もう言わないけどね。でもほんとだよ。



2009年7月15日水曜日

この人を見よ☆

本当に自分の好きなことに夢中になるってことはいいなぁ!!

まるで神のようにギターを弾きまくる人々がおります。

好きで好きでしょうがない!ってのが画面から噴出してきます。

まずはウォタクファイターの「トトロック」
ととろがロックしてます。これがものすげぇ~んだ。アレンジが神!


そして、続いて「仮面ライダー電王 OP」アレンジぶっ飛びます!
ライダー系でも、とくに僕がお気に入りだったやつです。電王は音楽が最強でした!!
最初から最後までクライマックスだぜィ☆


姫と呼ばれる女の子の超絶ヘビメタ!イントロでやられます☆


その姫に憧れたNikumanちゃんのこれまた超絶テク☆
弾いているギターは、オークションで手に入れた中古のギター。
その名もないギターに、最高の歌を歌わせる。泣かせるぜぃ☆
Nikuman最高☆



何故日本人は顔を隠す?とアメリカ人は言うけれど、いいじゃないか!これが日本人の奥ゆかしさです。このロックする若者たちを見て、不思議に「奥ゆかしさ」という古くからある日本の伝統様式を感じるんだな。
例えば「礼節」であるとか「潔さ」だとか「羞じらい」とか、そんなものを音楽を聴きながら、画面を見ながら思う。
今の大人たちがすっかり忘れて知らん顔しているような日本の風景が、こういうロックする若者たちから伝わってくるというのがうれしい。

この人たちを見よ☆
恥ずかしそうに、でも嬉しそうに、そして幸福な瞬間を生きている。
この人たちを見よ☆
発見することがなにかきっとあるはずだから。

2009年7月14日火曜日

「閉された言語空間」は今もなお


『閉された言語空間』- 占領軍の検閲と戦後日本       江藤淳

あと一週間で、文芸評論家・江藤淳さんが亡くなって十年になります。
この方のほぼ最後の仕事と言っても良い『閉された言語空間』は今もその輝きをなくしてはいません。
今読むべき本はこれだ☆

この書物こそ、僕の中で江藤淳という人物と、アメリカの言語学者ノーム・チョムスキーという人物がまったく国家や文化という枠組みを超えて一致して見える部分なのです。

この本は、「一部:アメリカは日本での検閲をいかに準備したか」そして「二部:アメリカは日本での検閲をいかに実行したか」という二部構成で語られていく。
アメリカという国による、戦後の目に見えないもうひとつの戦争、すなわち、思想と文化の殲滅戦が一方的に開始され、その後の日本はそこで植え付けられた価値観(閉された言語空間)を当たり前の自明のこととしてきました。
占領期間中、CCD(民間検閲支隊)といった秘密の占領軍検閲機関によって、民主主義や言論・表現の自由等が極度に物神化され、拝跪の対象になる一方で、現実の言語空間は逆に「厳格」に拘束されて不自由化し、無限に閉されていくという不可思議な状況が生み出されてきたのです。
昭和二十二年にある日本の雑誌社の代表がアメリカのCI&E(民間情報教育局)の人間に言ったように「日本には自由な報道はなくて免許制の報道がある」だけなのです。
戦後の日本の問題の端緒は、実際ここにあるのではないか、というのが江藤淳さんの「閉された言語空間」という書物の提起する問題点です。

なんとも不思議な、既視感に捕らわれます。
近い過去においても、ベトナム、南アメリカ、東ヨーロッパ、イラク、アフガニスタン・・・・、枚挙に暇がないほど、アメリカはまったく同じ「民主主義の物神化」を背景に他国に対する内政干渉と文化・思想の破壊を繰り返しています。

最早、僕らが気がつかねばならぬのは、「右も左もない」ということ。
ただひとつ、アメリカ型市場経済とアメリカ型自由主義、そしてアメリカ型民主主義をベースにした価値観のみが正しく、それらに対する批判は、自粛するか密かに検閲され人の目につかないようにされているということ。
たとえば、この書物自体が、他の江藤淳作品とは違って、ほとんど書評も載らず、ながらく絶版になっておりました。まさに出版界の自主規制。
この国では、今もなお、あからさまに「無視」するか、穏やかに「無視」するか、いずれにせよ、検閲以前に無視が横行しています。まぁ、それ自体が検閲行為なんですが。

この本の第九章終わりに書かれているように、「いったんこの検閲と宣伝計画の構造が、日本の言論機関と教育体制に定着され、維持されるようになれば、CCDが消滅し、占領が終了したのちになっても、日本のアイデンティティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊をつづけ、また同時にいつ何時でも国際的検閲の驚異に曝され得る。」ということが、現実化しているのだと思う。
つまり、自己検閲の常態化がこの国では何十年も前から起きており、僕らがそれに気づくこともなく、言語空間というリアリティーが狭められて納得させられているというわけだ。

僕がロックしよう!と言うとき、それは面白可笑しく、カッコイイんだぜ、などと言っているのでありません。
ロックするってことは、「閉された言語空間」を超えよう!とすることそのものなんだ!
簡単に現状に納得すんなってことなんだ!
江藤さんには申し訳ないが、俺たちは、この本をしっかり読んで、もっともっとロックして、この閉された言語空間から意識的に出ていこうじゃないか☆

たぶん、江藤さんは天国で笑ってくれると思うけどね。
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