2006年8月18日金曜日

あさがお

娘たちが、夏の旅に出た。
その十日ほどの間、僕は飼っている金魚に餌をやり、成虫になったばかりのカブトムシの世話をして過ごした。
玄関の脇に、娘が学校で育てた朝顔の鉢がある。かなり成長し背の高くなった朝顔の蔓が棒に巻き付いて、必死に天に昇ろうとしているのが分かる。本当に天に昇るほど蔓の先端が空中で踊りを踊っている。僕は、この朝顔も世話をすることになると思っていたら、娘たちが勝手にお隣のおばさんと取り決めしていて、隣の彼女が水をやり、なんと不在中の観察日記まで書いてくれるという。
あまりにチャッカリ者の娘たちに、半ば呆れながらも、なかなかやるな、とちょっと感心したりもした。

というわけで、僕は仕事に出る前と、帰ってから朝顔を玄関先で観ることになるわけだが、不思議なことが起きていた。

娘たちが旅立つ日まで、最低四つは毎日のように咲いていた花が、彼女たちがいなくなってから、ぱたりと咲かなくなってしまったのだ。十日間で咲いたのは、ひとつきり。僕は植物を育てるのがあまり上手くない。ああ、このまま枯らしてしまうのか、などど気が重くなってくる。朝と夜に緑の葉を撫でながら、頼むよ、枯れないで、などと気弱に頼んでもみた。
それでも、朝顔はいっこうに咲こうとしない。

僕が彼女たちと旅先で合流する日が来た。
早朝、家を後にするとき、朝顔に「どうか枯れないでおくれ」とお願いしてから駅へと向かった。

娘たちと再会しても、朝顔のことは言えなかった。

五日経ち、僕たちはそろって家の玄関先に立っていた。
そこには四つの花をつけた、朝顔の鉢があった。
紫とピンクの朝顔の花が、二つずつ。

それは、我が家の家族の人数。

奇跡はこんなかたちで、何気なく僕たちを祝福してくれているのかな。


2006年7月25日火曜日

せんこうはなび

「線香花火みたいなもんなのかね・・・」
線香花火の先端の小さな火球を見つめながら、彼が言った。

近所に住む娘たちの同級生の家族と、花火大会をするようになって5年が経つ。
今では決まった夏の行事になっている。

今年も四家族、合計十六人が我が家の目の前の公園に集まり、まずは食事会。それからいよいよ花火大会だ。打ち上げ花火を中心に集めて持ってくる家族。地面において派手な光の噴水を撒き散らすドラゴンをたくさん持ってくる家族。わりと地味な線香花火系を持ってくる家族。皆で持ち寄った花火に次々と着火していく。
辺り一面に火薬の喉をヒリヒリと刺激するような匂いが立ちこめ、蚊に刺されながら、大人も子供も無心になって花火を見つめている。
子供たちの叫び声と笑い声が空気に充満する。
身体を壊して落ち込んでいた人も、仕事に追われ疲れ切った人も、職場の人間関係で鬱気味だった人も、大人たちもみな笑っている。

そんなとき、彼がふと言ったのだ。
「線香花火みたいなもんなのかね・・・」

「なんで?」と僕。
「子供たちがさ、大きくなったら、俺たちはもうこんな風にして集まることもないんだろうな」
彼はそういうと、眼を大きく開きながら線香花火を見つめる。
「んなことないさ。んなことないよ」
僕は言う。

子供を理由に集まっているが、職業も違えば、生き方も違う親たちである。
子供たちの関係がなくなってしまえば、もう会うことはないのかもしれない。

でも、と僕は思う。
でも、親父として君がどれほど息子たちと妻を愛しているのか、僕は知っている。
だから、僕は君を尊敬し人生の同志と思っている。
たとえ、時代が変わり、場所が変わっても、君は愛情のある人生を歩むだろう。
線香花火のかすかな火花のように、一生懸命君は家族を愛するだろう。

僕が彼に言いかけようとした、その瞬間、彼の線香花火の火球が落ちた。
振り返ると僕を見つめて、彼は言った。

「わかってるさ」
そして、にやりと笑った。

2006年7月23日日曜日

立ち乗り自転車

小学生の娘の自転車が、いたずらされて壊された。
近くの公民館で友達と遊んでいる間にやられたらしい。
チェーンがはずされ、ベルはバネを引きちぎられ、後輪の泥よけは蹴飛ばされたらしく歪んでいた。

なんとも哀れな自転車を引きずるようにして娘が帰ってきた。
彼女は自転車を撫でながら泣いた。

幼い頃、僕らは息をしないものにも命を感じていたような気がする。
命はそこら中にあった。
そして、少しずつ、他の命を利用しながら自分が生きていることを学び始めた。

自転車は生きている相棒だった。
僕はスピードをだすためによく立ちのりをした。
前のめりになりながら、立ちのりで自転車をこぐと、自転車が僕と一緒に呼吸しているのがわかった。僕はこいつとどこまでも行ける!って感じていた。
そうだ!僕は立ちのりしていたんだ!

今僕はバイクに乗る。でも、バイクではさすがに立ちのりはしない。
立ちのりは少年時代の遠い想い出。

本日、無事に治った自転車で、娘と立ちのり競争することにした。
もちろん、僕はママチャリですが。

2006年7月18日火曜日

最低の基準

The higher type of man clings to virtue, the lower type of man clings to material comfort. The higher type of man cherishes justice, the lower type of man cherishes the hope of favors to be received.

『徳の高い人間は、常に徳を積もうとする。それに対し、徳の低い人間は物質的な快適さを求める。徳の高い人間は、義を心に抱くが、徳の低い人間は人に認められたいと望むのだ』
           - Confucius  「孔子」(551-479BC) Chinese philosopher

この地上に生きるにあたり、最低の基準だけは身につけたいと思う。
どんな暮らしをしようと、徳を求めるべきなのだ。
快適な生活も、人に認められるなどということも、どちらも結果に過ぎない。
何千年も前から、このことだけははっきりしている。

メインテーマは徳を積むことにありそうだ。少なくとも生きている限りは。
徳とは恐らく、この世の損得を諦める態度にあるようだ。

この最低の基準を、人は未だに乗り越えられないでいる。
徳を語りながら、それを嘲笑う人間もいるし、徳自体を軽蔑する人間もいる。
しかし、徳というものに振り回されるのも、そうした人間だろうと思う。

徳が何であろうと、実はどうでもいい。
大事なのは、単純に「最低の基準」だけがあればいい。
さもなければ、僕らは他人と状況に振り回されっぱなしになるから。


この人生は誰のものでもなく、私のものだ。

2006年7月17日月曜日

素朴論

素朴であることは何にもまして良いことだ。

どんなに状況が複雑であっても、素朴さは力強さと共にある。
もし素朴さを失ったら、僕らはどこまでも抽象化された生命から最も遠くかけ離れたものになるだろう。死を意識したとき、僕らは素朴さに立ち返ることができる。挫折したときに、僕らは素朴さを取り戻す。愛を失ったときに、素朴さに戻るチャンスがある。

何かを失うことなしに素朴さに至ることは難しい。

成功して舞い上がっているときに人は成長しない。だが、失敗したとき人は成長するのだ。素朴さは成功より、むしろ失敗と共にある。

ものを知らないことが素朴なのではない。
愚かであることに居座ることが素朴なのでもない。
うかうかと騙され、搾取されることが素朴なのでもない。
怠け者が素朴なわけでもない。

目の前にあることを、しっかりと見つめることのできる者が素朴なのである。
明日を思い煩う前に、今できることを必死に行うことのできる者が素朴なのである。
他人の目も評価も関係なしに、己の喜びで生きることのできる者が素朴なのである。

風に吹かれながら、その風に向かって、愚か者として必死に生きることのできる素朴な者に、僕はなりたい。

2006年7月15日土曜日

雷雨の中で

午前中はまさに夏という感じで晴れていたのに、突然雷の轟音と共に激しい雨が降り出した。

家の近所の軒下に黒っぽい虎猫が一匹暮らしている。
ミーちゃんと下の娘が呼んでいる。

雷雨の中、ベランダからミーちゃんが路を渡っていくのが見える。
ミーちゃんには右の前足がない。
雨に打たれながら、ぴょこんぴょこんと歩くミーちゃんはずぶ濡れである。
ミーちゃんは、確かにみっともない猫である。
毛並みも美しいとは言い難い。
猫なのに敏捷でもない。
声をかけても、返事を返してくれることもあるし、返してくれないこともある。

でも、ミーちゃんは決して嘆かないし、諦めないのである。
生まれたときから、前足がなかったミーちゃんは、娘たちに言わせれば「ふてぶてしいぐらい強い!」猫なんである。

ミーちゃんが路を渡った直後、大きなトラックが行きすぎた。
ミーちゃんは、生け垣の葉っぱの中に隠れ、空を眺めている。
ほとんどない右足の先端をときどき舐めている。

決して長いとは言えない生命の一日。
ミーちゃんは雷雨の中で、今日を味わっているのかもしれない。

ふいに雨がやみ、光が射し込んできた。
生け垣の下に、
ミーちゃんの姿はもうなかった。

2006年7月5日水曜日

カラスが鳴いた

公園のベンチに座る。
午後の二時。ホームレスの段ボールハウスが鉄棒の脇にあるが人の気配はない。食べ物を調達する時間らしい。
僕は一人ベンチに腰掛け、一息ついていた。
人の多い場所が、実際あまり好きではないので、一人になれる場所をつい探してしまう。

冷たいお茶の入った缶を口に持っていき、一口飲もうとしたその時、すぐ頭の上でカラスが鳴いた。

見上げると、斜め後方のアパートの屋根にカラスが一羽とまっていた。
カラスは再び声を上げると、その隣のアパートの屋根へ移動する。
不思議だなと思ったのは、いつまでたっても、そのカラスが周辺から移動しないことだった。

ははぁ、ホームレスの残した食べ物でも狙ってるんだな、と僕は思った。
あるいは遊びに来た子供たちの落としたお菓子の欠片でも探しているのかもしれない。
何しろ、そのカラスは異常なほど屋根の上から下を見下ろし続け、何度も何度も鳴き続けるのだ。

静かな空間を求めてきたのに、こうカラスに叫かれたのでは落ち着かない。
僕は、手に持ったお茶を飲み干すと、立ち上がり、その場を去りかけた。
その時、段ボールハウスのすぐ脇に黒いものを見た。
僕が近づこうとすると、屋根の上のカラスが更に大きな声で鳴く。

僕は足を止めた。
地面に転がっているのは、黒い羽の小さなカラスの雛だ。
雛は死んでいた。

僕はゆっくりと踵を返し、その場を離れた。

背後でカラスが鳴いた。
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