2005年11月24日木曜日

桜のころ

娘が小学一年生になった春。
桜はなぜかいつもより早く咲いた。三月のうちに満開になり、入学式の日には一斉に散ってしまっていた。残っていたのは、一本だけ植えられていた八重桜だけだった。
娘にはタッ君という幼稚園からの友達がいた。タッ君は三人兄弟で、二番目。上はお姉ちゃん、下は妹で、中に挟まったタッ君はとても優しい男の子だった。我が家の娘はこのタッ君が大好きで、いつもなんだかんだとついてまわり、世話してもらっていた。
学区がわずかに違ったため、娘とタッ君は別々の小学校に通うことになった。最初寂しがった彼女も、入学式を過ぎると、あっという間に新しい友達をつくり、新たな生活を送り始めていた。
一ヶ月が過ぎ、五月になった。
朝の九時ぐらいだったろうか、書斎で仕事をしていた僕は一本の電話を受けた。
「・・・今朝八時三十五分に逝きました。穏やかな顔でした・・・」
タッ君のお父さんから、タッ君のお母さんの死の知らせであった。
彼女が癌だと分かったのは、前の年の夏頃。幼稚園の年長さんの役員で、夏祭りの時に張り切っている姿を見たのが最後だった。
タッ君のお母さんには、僕も妻もとても感謝しているのである。それは、我が家の娘のことを理解してくれた、初期の数少ない人物の一人であったからだ。他の子供たちより、ほぼ一年年齢も精神的にも幼い娘は、いつも落ち着きのない、我が儘な、何をやるか分からない困った子供という印象がその頃確かにあった。少なくとも周りの大人たちの評価は、大方その傾向があったのだ。
しかし、タッ君のお母さんは違う印象を娘に抱いた人だった。
ある日、娘はタッ君の家に遊びに行き、ビデオのアニメを見たのだそうだ。そして、なぜか娘は泣いたのだという。
「・・・あんなに物語に入り込んで、あんなにその世界を感じとるなんて、この子はすごいわ!・・・」
彼女はそんな風に娘のことを僕らに伝えてくれた。
僕は、むしろこう思う。人が本気で感じ取っていることを、何の偏見もなく受け止めることのできるあなたの方が素晴らしい。なぜなら、人は多かれ少なかれ偏見の中で生きているので、あまりにも目の前で起きる素晴らしい出来事を、偏見のフィルターで蓋をしてしまうことが多いからだ。
だから、僕ら夫婦は今は亡き彼女に心から感謝しているのである。
彼女は亡くなるまで、息子のことを心配していたそうだ。心ない、病に対する誹謗や中傷が息子の耳に入ることを恐れた。息子が入学式を終えるまでは死なない。彼女は心に決めたのだ。そして、その通りに生きた。
桜が散り、入学式が終わり、五月の声を聞いたとき、彼女は自分の使命を終えたことを悟ったのかもしれない。
「・・・もう疲れたわ・・・死んでもいい?」
彼女の夫は、ゆっくりとうなずく。
やがて、水が地上から蒸発するように、音もなく、彼女は逝った。
桜のころ。
僕はこの出来事を決して忘れることはないのだ。
人は決して孤独ではない。なぜなら、いずれ失われるにしろ、存在の記憶は意外なところで保たれているものだ。
桜のころ。それははじまりの季節ではないと思う。桜が散るように、子と親が別れる惜別の季節でもあるのだと、僕は思う。

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