2010年11月30日火曜日

落ち葉の音


窓の外に落ち葉を掃く人がいます。

遠くでカラスの声がする。カラスが少し数が減ってるそうですね。

秋というよりもう冬になってきました。

太陽は明るいです。

空も青く澄み渡っている。

本当に悲しいとき、人は笑うんだ。無理するなよって言いたくなるけど、僕は黙っている。

人は何かを信じたいんだよ。

だから

信じたいから、笑うんだ。

だから

哀しいのさ。

僕は今日も電車に乗って、落ち葉を見ています。

君のことを思い出したよ。

僕にできることは、それだけさ。


『落葉のコンチェルト』アルバート・ハモンド

2010年11月29日月曜日

テレビドラマってやつ


あまりこのブログではテレビドラマについて語ってこなかった気がするので、これからはもう少しあれこれ語ってみたいと思います。

それは何故かと言えば、最近こんな記事を見たからです。
ある雑誌記者の話らしいのですが、「・・・『Q10』というドラマがありますが、一部で脚本家が良いので期待なんて言われてるけど、この脚本家が何年も前にヒットさせた『野ブタ。をプロデュース』はアイドル達のお陰でヒットしたに過ぎないんだよね・・・」

人々のテレビ離れが言われはじめ、軒並み視聴率が下がり続けるテレビ業界の中にあって、ドラマがより一層険しい時代に入っているように思えます。次々と量産される作品はまさに消費されるために創れらる、そんな感じです。

でもね、良いドラマもあるんですよ☆ほんとに。
『木更津キャッツアイ』『タイガー・アンド・ドラゴン』、最近では『MOTHER』・・・本当は挙げだしたら切りがないほど良質のドラマはあるんです。良いものもダメなものもごちゃ混ぜのまま、視聴率で判断されたり、アイドルが出ているから「軽くてダメ」などという評価が繰り返しマスコミの紙面を飾り、小馬鹿にした言葉が踊るんですね。

僕は、もう何年も前に放送された『野ブタ。をプロデュース』が大好きです☆

このドラマはオンタイムでは最終回しか観てませんでした。たまたま最終回を観たとき、あまりの出来の良さに衝撃を受け、DVDで見直したのでした。その後DVDも購入しましたよ。原作も読みました。
原作の斜めに少し歪んだ感じをドラマでは、良い具合に調整し、高校生の恋愛ドラマになりそうなのをあえて捨てて男女の友情物語に昇華させました。脚本も演出もベストです!青春期が決して輝き美しい季節だなんて描かなかった所、にもかかわらずあえて偽悪的も描かなかった、「孤独」を観る者に感じさせる所が、他にはない深みがそこにあった。これは脚本の勝利であり、演出の勝利であり、若い俳優達の挑戦の勝利だったと思うんだな。決して油断して観ていてはいけないと思うんです。

にもかかわらず、アイドルが出たからヒットしたなどという知能の欠片も感じないコメントをする雑誌記者!馬鹿者が!!こういう馬鹿者達が日本の演劇、映画、テレビドラマをダメにしているんだと心底思うよ。

木皿泉という脚本家は素晴らしいと僕は思うな。
この後の『セクシーボイス&ロボ』というドラマも孤独な少女とオタク青年の物語で秀逸でした。不幸なことに一回だけ実際にあった事件とかぶるという理由で欠番になった回があったのですが、それもまた放送という世界に蔓延る「自粛」の犠牲になったのだと思います。是非観たかったなぁ。自粛なんかするなよ!ドラマと現実はまったく別物だって!何でそんなことがわかんないんだろなぁ~あああ!

そして、現在放送中の『Q10』。これもなかなかいいんだよ。時々抽象化しすぎて観念に入り込むところが今後どう展開するのか気になるところではありますが、今回は特に青春期の「死」を扱っているところが、やっぱりエライ☆
十代は「死」の観念に囚われている時代かもしれない。それから、あの頃ってやっぱり寂しい年頃だったんだぜ。若さって不自由なんだよな。
忘れていた大人も、ボンヤリと己の十代を思い出すかもしれない。
「あなたの青春はどこにありましたか?」
そして、
「あなたは、あの頃、どこへ行こうと思っていたのですか?」

この作者のドラマは絶えず僕たちにそんな問いを突きつけているんだぜ☆

『野ブタ。をプロデュース』から「真夜中のギター」の場面:

2010年11月23日火曜日

生きよ、今日が最後の日のように

今朝の新聞に韓国のドラマ「私の名前はキム・サムスン」の最終回に使われた詩が載っていました。

踊れ、誰も見ていないかのように。
恋せよ、傷ついたことがないように。
歌え、誰も聞いていないかのように。
働け、金が必要でないかのように。
生きよ、今日が最後の日のように。
                 「恋せよ、傷ついたことがないように」by アルフレッド・D・スーザ

いい詩だね☆
残念ながら僕はこのドラマを観てません。が、最終回に出てくるそうです。
この詩の引用だけで、きっと良いドラマなのだろうと想像できます。
今度観てみよう!

今日一日、最後の日のように生きたいものです。
そうして明日を始めよう☆

チャイナ・リスク

「日本の鉄道技術“盗用”中国が各国に売り込み攻勢

産経新聞 11月22日(月)19時41分配信
 【ワシントン=古森義久】中国の国有企業が日本の高速鉄道技術を基礎に日本製より速度の高い高速列車を作り、中国独自の製品として諸外国に売り込もうとしていることについて、日本側から「約束違反」との抗議が起き、新たな日中摩擦となりつつある。米紙ウォールストリート・ジャーナルが18日、報じた…。」(←クリックでニュースソースへ)



尖閣諸島の話もまだホットな状況ではありますが、だいぶ前から日本の中国進出企業による「技術提供」という名の下に次々と大切なこの国の技術がただで中国に渡されています。
例えば、携帯電話の金型(プラスチック成型用の金属製の型)はかつては日本の専売特許で下町の工場で専門の技術者による精緻な手作業による技術でした。携帯電話等の小型で複雑なデザインはそうした日本の工場の技術者とその個人的に技術によって支えられていました。
しかし、現在日本では携帯電話の金型の生産は一切行われておりません。(どこかで行われていたら貴重なものなので教えて下さいね☆)
何年も前に大企業が小さな町工場に発注をかけなくなり、その代わりに技術の提供(コンピューターソフト化への協力)を求め、職場を失った技術者の一部を中国に呼び、日本の金型工場は潰れ、金型技術は中国のモノとなりました。この国は中国にその技術をただでくれてやったというわけです。

中国という大きな国の経済的、もしくは市場的メリットばかりに目を奪われて、貴重な技術やノウハウ、知的財産を次々にただで手渡していく今の日本の企業とは、いったい何なのだろう?
チャイナ・リスクとはいずれ来るであろう巨大な中国金融バブルの崩壊だけでなく、このような現在の日本の企業による無思慮な技術提供がやがてはこの国を蝕んで行くであろうという警鐘なのではないだろうか。
戦後65年の日本の表面的な太平な世は、目の前の利益ばかりを追い求める限りなく無思慮で無頓着な愚か者を生み出してきたのかもしれません。

我を振り返りながら、もう少し遠くを見つめてみたいと思います。

2010年11月22日月曜日

超ピタゴラスィッチ☆

先ほどツイートした「すんごいピタゴラスィッチ☆」はこれだッ!!
ピタゴラの大好きな僕のお気に入り☆

OK Go - This Too Shall Pass - Rube Goldberg Machine version - Official

あれこれ

久しぶりに歯医者さんへ行った。
歯は丈夫な方で、だいぶ前に親知らずを抜いたとき、その隣の歯が虫歯になったのを除けば、歯医者さんは眼科より縁遠いお医者さんだったと思います。

しかしここに来て、歯自体が丈夫な分、歯茎とそれを支える骨の部分が弱っているようです。
あれまぁ~、歯が丈夫ってのも油断しますね。

うん、いろんな問題が実際油断から生まれるってのも最近感じることなんだな。
自分だけは大丈夫だとか、自分は問題ないなんて思っていると、あるとき足下からすくわれるのかもね。雨の中さっき病院に行ってきましたが、予約もなかなか取れないんだな。
あれこれあれこれ考えてもしょうがないけれど、あんまり行ったことのない病院って緊張するのね。
いい歳して緊張かよって思ったけど、結構します。緊張。
そんなことをあれこれ考えてしまった。

みなさんも歯は大切にね。
あれこれ考える前に☆

待ってる間、これも久しぶりに「ラモーンズ」聴きました!よかった~☆

2010年11月20日土曜日

全体主義への道

以前よりグローバリズムの広がりは新たな世界規模の全体主義の始まりに違いないと書いてきた。
ここに来て大きく報道されることのない記事の中に、確実に一歩全体主義に世界が近づきつつあることが見て取れるような気がする。

「【ロンドン=松井学】スウェーデンの検察当局は十八日、イラク戦争やアフガニスタン駐留米軍の機密文書をインターネットで暴露した内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者ジュリアン・アサンジ氏に対し、レイプなどの容疑で逮捕状を請求したと発表した ...」(産経ニュース)

この出来事に対するTwitterにおける本人のツイート:
“ @wikileaks WikiLeaks
Julian Assange: the charges are without basis and their issue at this moment is deeply disturbing.”

現在彼は特定の所在地を持たないために国際手配されているようだ。

最近ではCIAの内部文書等の掲載などといった「内部告発」サイトとして認知されている貴重なデータベースである「ウィキリーク」(Wikileak)はその存在だけで脅威だと思われているはずである。いずれこうなるだろうとは予測されてはいたが、やはりという感じがする。日本においても様々な形で「国策逮捕」が行われている。僕らが自分の目で見ようとしないだけで、途方もない数の国策逮捕者がこの日本国内でも出ているのである。その意味でも、このウィキリークの事件を遠い外国の出来事として切り捨てるのではなく、その後に注目すべきだろう。

更に今日、アメリカが一歩インターネットの検閲に乗り出すという記事が出た。
Internet censorship one step closer to law(←クリックで元サイトへ)

この世界はいったいどこに向かっているのだろうか?
今日もいい天気だ☆
とりあえず、一歩外に出て歩き出そうか!
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