2010年9月14日火曜日

IZの歌が聴きたい☆

ゴアがなんと言おうと、地球が温暖化しているはずはないのですが、今年の夏は厳しい暑さでした。

そんな夏もいよいよ終わりそうです。

季節が巡るのは本当に素晴らしいと僕は思います。

そこで、IZ。

イズラエル・カマカヴィヴォオレ(Israel Kaʻanoʻi Kamakawiwoʻole)という歌手がかつてハワイにおりました。

体重なんと340キロ!!

その体重が仇となり、38歳で亡くなりました。

でも、彼の残した音楽は今もなお活き活きと輝いています。

彼のことを知ったのは数年前に、我が弟からCDを頂いたのがきっかけでした。すでに亡くなったとは聞いていましたが、その見かけの大きさとまるで違う、予想もしなかったような「天使の歌声」に魅せられました。

亡くなってハワイの海にその遺灰が撒かれた彼は、僕より一歳若かったんだな。僕が39の時、彼は38でこの世界を後にした。

人生は果てしなき旅だから、この世界を去った後、彼はまた新たな旅の途上にあるのだろうけど、僕はまだしばらくこちらの世界にいるつもり。それには残された彼の歌が必要だと思っている。そこにあるのは生の喜びそのものだから。こうして生きて死んでいくことがかけがえのない体験だと思わせてくれるから。精一杯生きることしかないと教えてくれるから。人をだまそうがだまされようが、人生は一度きりだと気づかせてくれるから。だからこそ、この一回の人生を台無しにしたくないとつくづく思わせてくれるから。

そうだ。

生を考えることは、死を考えること。

死を考えることは、生を考えること。

文学も音楽も演劇も、すべて一度きりの人生の光と闇を伝えようとしているんだ。

だから、遠いハワイで歌われたIZの曲は今日も聴く者の魂に深く語りかけてくるんだよ。

夏の終わりに、僕はIZの音楽を聴いている。

イズラエル・カマカヴィヴォオレ(Israel Kaʻanoʻi Kamakawiwoʻole)

“ Somewhere, over the Rainbow”


2010年9月3日金曜日

恵比寿でボッサ

僅かな時間をぬって、恵比寿です☆

これから数時間ボサノバで過ごそうと思います。友人の八反田リコちゃんのバンド「コルコバード」のライブです。

恵比寿の天窓だよ!
19時開始だから、暑い残暑の宵をボッサしたい人は集合!

というわけで、今はライブスポットの近くのコーヒーショップで涼んでます。

ありッ、蚊に刺された。


☆上野火山☆

2010年8月22日日曜日

昨日、新宿の夕陽

子どもたちは、近所の公園で夏祭りを満喫。


大人たちは、近況などを話しつつゆったりと時を過ごします。

年に何回か催す懐かしい友との、この家族の集まりは子どもたちの成長と共に、なんかとても心ある集まりになってるな、と僕は思います。
それぞれの人生が垣間見え、なんのてらいも、なんの権威もない、そんな会話が可能だということが嬉しい。


ふと、窓の外を見ると、美しい夕陽☆


いろんなことのある日常ですが、美しいものは実に何気なく存在していて、気づいてもらうのを待っているのでしょう。


大久保の駅でさよならをして、吉祥寺の駅でさようなら。
こうして僕らは日常に帰るんだ。


みんな、ありがとう!!


☆上野火山☆

2010年8月21日土曜日

蝉しぐれ

うるさいほどの蝉の声。

今年はそれでも例年に比べて数が少ない気がします。

意外なのは、アブラゼミよりもミンミンゼミの方が多いこと。
耳を済ませば、ミンミンゼミの鳴き声が響きます。

玄関先で鳴いていたミンミンゼミを撮りましたよ☆

もうすぐヒグラシの声がするでしょう。


今夜は、古い友人たちと夏の家族パーティー☆
二十代の頃は考えもしなかったこと。
かつて一緒に舞台で闘った連中が、再びそれぞれの家族を連れて集まるというのは、なかなかのもんです。


蝉しぐれの中、大久保で会おうね☆

☆上野火山☆

2010年8月18日水曜日

中央線よ、空を飛べ!

去年の今頃、フォークの友部正人さんの「一本道」という曲についてこのブログで紹介したことがありました。

『一本道』

作詞:友部正人 作曲:友部正人

ふと後をふり返ると

そこには夕焼けがありました

本当に何年ぶりのこと

そこには夕焼けがありました

あれからどの位たったのか

あれからどの位たったのか

ひとつ足を踏み出すごとに

影は後に伸びていきます

悲しい毒ははるかな海を染め

今日も一日が終ろうとしています

しんせい一箱分の一日を

指でひねってごみ箱の中

僕は今 阿佐ヶ谷の駅に立ち

電車を待っているところ

何もなかった事にしましょうと

今日も日が暮れました

あヽ中央線よ空を飛んで

あの娘の胸に突き刺され

どこへ行くのかこの一本道

西も東もわからない

行けども行けども見知らぬ街で

これが東京というものかしら

たずねてみても誰も答えちゃくれない

だから僕ももう聞かないよ

お銚子のすき間からのぞいてみると

そこには幸せがありました

幸せはホッペタを寄せあって

二人お酒をのんでました

その時月が話しかけます

もうすぐ夜が明けますよ

一年に一度、僕はこの曲を聴きます。

たぶん自分の座標軸を無意識に確認しているのだろうと思います。ともすると見失いがちの初心と若い憧れを、僕はこの曲を聴くことで新たにすることができる。

若さというのは素晴らしい。でも、それは一瞬のようにして過ぎ去っていく。もし若さに胡座をかく者がいるとするなら、愚かなことだと思う。なぜなら、若さとは通過地点であり、人生のほとんどが若さ以外の要素で出来上がっているようだ。

でも、僕は確認したいのだ。

何のためにここに来て、何のために今を生きているのか。

何をしようとして、何をしてきたのか。

どこから来て、どこへ行こうとしているのか。

愚かさから始まり、少しは利口になったのか。

今は僕の望んだ今なのか。

今も時々、阿佐ヶ谷の駅のホームに立つ。

世相も変わり、価値観も変わったかに見えたが、実は一回りして、元の場所に戻ってきたような気がするのだ。

もう僕は若くないけれど、あの頃に戻りたいとも思わない。

白髪頭を撫でながら、中央線よ、空を飛べとつぶやいてみる。

落ち着くには、早すぎる。

悟るには、幼すぎるのだ。

若くはないが、老成するほどでもない。

時々、こうして友部正人の音楽を聴いて、自己を調整し直し、精神のチューニングを合わせてみる。

世界は驚くほど輝いていることに気がつく。

若さに光があるのではない、光に気づくことが、世界を生み出すのだ。

恐れるな、若者よ!

君の若さはいずれ消え失せる。だが、光に気づく知恵が、君に道の在処を示してくれるのだ。

中央線よ!今日も、空を飛べ!


友部正人『一本道』1972

2010年8月16日月曜日

逆光


逆光は写真撮影で嫌われることが多い。

でも、実は、僕は「逆光」が好きなんだ。

背景の光で、周りの対象物が黒く塗りつぶされてしまうけれども、逆光は世界の「深さ」を教えてくれる。

世界は僕らが意識しているより遙かに深いようだ。当たり前だと思われるかもしれないが、この深さに案外気づかずに暮らしているような気がする。

この世界の彫りの深さ、意味の深さ、味の深さ、不安と恐怖の深さ、絶望の深さ、そして希望の深さ。

逆光を通して見ると、目の前に並んだ普通の車の列が、奇妙なほど意識を持って感じられるのだ。

僕は科学者ではないので説明も何にもできないけれど、逆光の中で人は気づかなかったもう一つのリアリティを感じられると思うんだ。

それは、あまりに強すぎる光のせいで目がくらんだお陰で、残りの四感で感じようとするからだろうか。
普段、あまりにも視覚に頼りすぎているので、逆光の目つぶしは、ちょうど良い残り四感の解放のチャンスかもしれないな。

いずれにせよ、逆光はなかなかに良いものだと、僕は思っている。


☆上野火山☆

2010年8月15日日曜日

やっと

東京に戻って来ました!

写真は岐阜で撮った窓からの風景。

どこか壁にかかった油絵のようです。
雨が一日中降り続き、その雨に幽かに煙る風情は、湿度が高く、暑いのに、どこか夏の終わりも垣間見せてくれました

数日間でしたが、良い旅でした☆


ありがとう!!

☆上野火山☆

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