2007年9月16日日曜日

ケーニヒスベルクの男


ケーニヒスベルク。現在のカリーニングラードというかつてはプロイセンの支配下にあり、第2次大戦後はロシアの支配下に置かれた街。七百年もの間、ドイツ人を中心にした街だったので、今でも北東プロイセンと呼ばれることもある。

この街にかつて、生涯一度たりともこの土地から離れたことのない男がいた。
毎日、規則正しく、同じ時刻に家を出、同じ時刻に戻ってくる。そのあまりの正確さに、男の歩く姿で時間が分かったほどだ。雨の日も風の日も、毎日同じ時刻に家を出て、大学で講義し、同じ時刻に帰ってくる。
その男の名はイマニュエル・カントといった。

狭い、本当に狭い生活空間と体験の中で、人類に価値の転換を迫った男の生涯から、想像の力という実体験以外のもうひとつの力の存在を感じ取ることができる。

常識の中で暮らし、平凡な日常を過ごし、規則正しく生き、それを通し、だからこそ頑なな時代の認識、或いは価値観に「否」を突きつけることができたのだ。純粋理性というキリスト教的教義の不寛容に、ケーニヒスベルクという町の中で気づき、告発することができた。

時代はメインストリームで変化するのでない。
フロンティア、つまり辺境で変化の兆しが現れるのである。
ケーニヒスベルクのこの地味な男の生涯は、この事実を雄弁に物語り、教えてくれている。



ドゥーアップじいさん

我が家の前の道をよく通る老人がいる。

通称「ドゥーアップじいさん」。妻が名付けた名前である。本名は知らない。
ひょろりとした細身の身体を、ヘッドホンのリズムに合わせ、全身をゆすり歩きながらドゥーアップしている。なんなんだあれは?あのノリはなんだ?
あれはどう見ても、ロックでもジャズでもヒップホップでもない、ドゥーアップなのだ。

太陽の照りつける昼日中、ドゥーアップじいさんは今日もiPodの音楽に合わせ歩いていく。

シュビドゥビ、ドゥビドゥバッ!
ドゥビダバ、ドィビッバッバー!

近くの小学校で、町民運動会が開かれているので、参加するのかもしれない。パン食い競争か?
いや、彼はプロだ!今夜のステージのために身体をほぐしているのかもしれない。
あるいは、CM出演が決まってその振り付けを覚えているのかもしれない。新型iPodだったりして。
おっと、孫と行く今夜のコンサートが待ちきれず、身体が勝手に動き出したのかもしれない。

ドゥーアップじいさんは今日も行く。
窓の外に彼の姿を見ると、つい脳内妄想してしまう自分がいる。

やがて、遠ざかる後ろ姿を見ながら思う。
結局はドゥーアップしているもんが勝つ、と。
シュビドゥビ!


2007年9月15日土曜日

80’sを遠く離れて

八十年代を二十代で過ごしたが、今思えば時代に合わせることができず、僕にとっては苦しい時代だったような気がする。
バブル全盛期。ポストモダン花盛りで、意味が次々と解体されていった。
軽佻浮薄が尊ばれ、如何に無意味に生きるかが問われていた時代。
確かに、先立つ世代から顰蹙を買うことが重んじられた時代だったような気がしてならない。
芝居は常に笑い笑い笑い。如何に笑えるかがすべて。しかし、喜劇というのでもない。
如何に無意味でいられるか、如何に馬鹿馬鹿しい存在でいられるか、如何に吐いた言葉に言質を取られないようにするか、如何に言葉遊びを巧みにやるか。
必死であることや、真剣であることは馬鹿のすること。笑いの種にしかならない。
そんな時代。それが八十年代だった。

先日、親しくしている友人の田中和生さんの評論を読む機会があった。
文学界・十月号に載った彼のエッセーは『ポストモダンを超えて』と題されている。
高橋源一郎に対する反論という体裁で書かれてあったが、僕は若き文芸評論家として、彼の現代に対する矜持を感じた。
言葉が暴力であり嘘をつくというポストモダンの持つ前提は確かに正しい。
しかし、言葉は暴力以外の装置にもなりうる。時には人を慈しむものにもなりうるのである。
ポストモダンの存在意義は、二十年という歳月の中で常識に堕し、頑なな不寛容になり果てているのかもしれない。
その意味で今この時期に、彼がこうした小さいけれども強力な論を展開してくれたことに心から感謝しているのである。なぜなら、時代は今、静かに変わりはじめているからである。

八十年代を通過した者にとって、あの時代から二十数年がたち、今時代が大きくシフトしているのだと感じずにはいられない。
時代は確実にポストーポストモダンに入りつつある。
それは、複雑なものは複雑なままに、そして単純なものは単純に受けとめつつ、それらを味わい自らの糧にすることを良しとする時代だ。それは「完全に何も信じられない」現実から生じる感覚だろう。勿論それはこの世界のある一部での話ではあるのだけれど。だからこそ、徹底的に何もかもが信じられないからこそ、言葉の暴力性と同時に言葉の別の側面も想像し受けとめることのできる時代。

世界は明らかに拝金主義と利害関係の中でグズグズに腐り果てはじめているけれど、同時に個人の内部では、これまでなかったほどの静けさと落ち着きのある時代でもあるかもしれないのである。引き籠もりも、良い意味でこの表れかもしれない。この時代は一見表面的な繁栄に隠されてはいるが、戦時中に劣らぬほど不幸な時代でもある。外国との交戦こそないが、日常ではそこら中で心理戦が行われ、人々は疲弊しきっている。
だが、不幸な時代ほど、人は本質的になれるのも事実だろう。
それはパラドックスかもしれないが、この時代はまぎれもなくそのパラドックスを内包しているのだと思う。
心理戦から降り、愚か者として生きること。本質はそこにある。

だから、僕は諦めない。
知性は複雑なものを単純に、単純なものを複雑にしていく傾向がある。いや寧ろ、その傾向こそが知性と呼ばれるものの正体かもしれない。
だが、この時代の中で、複雑さは複雑そのものとして、単純さは単純そのものとして、まるであたかも八十年代であれば愚か者と呼ばれたであろう存在として、ますます生きていきたいと僕は願う。

80’sは確かにひとつの蜃気楼であった。

2007年9月2日日曜日

タイフーン、そして人生は遊びだ!


今日は夏が戻ってきたかのように外は晴。
蝉もこの数日間静かだったのに、息を吹き返したかのように窓の外で鳴いている。
空は真上に雲がひとつもなく、地平線に雲が突き出ている感じ。

でも、本当は太平洋上を巨大なタイフーンが東京めがけて突き進んでいるのだよ。
そんなことが信じられないくらい今日の天気はまさに帰ってきた夏だ!

前世の脳内イメージとかいうものを、友人に面白いからやってみな、と言われた。
さっそくやってみる。
すごい!僕の脳内はほとんど「遊び」でできている。
やっぱりね。予想はついたけど、ビジュアルにさらされるとグッときますね。
他の要素がほとんどないというのは、圧巻でしたぜ。

本日、仕事をひとつやめました。そして、やるべき仕事がまたひとつ増えました。

明日のことなど何ひとつわかりゃしない。
人生なんてやっぱり遊びだと思うよ。
どれだけ必死に真面目に遊びに取り組めるか。
遊びに対してふざけている連中はほっとこう!
こっちは人生賭けて遊んでんだから。
ホンモノの遊びは大人になってからするもんです。

で、台風はくるのか?
明日のことは、明日悩もう。

2007年8月31日金曜日

天国のような地獄、そして地獄のような天国


久々にブルーハーツのRinda Rindaを聞く。

ロックするとは何なのか?今さらのように思う。
政治も、経済も、制度だ。その人間が作り上げた制度に僕らは手足を縛られている。
それはリアルではなくて、寧ろ一種の形而上のものの筈なのに、まるでそれ無しでは生きられないかのようだ。

たとえば、アメリカ合衆国は軍産複合体という政治経済的構造ゆえに、まるで輸血するように、絶えず新鮮な血を注入するために戦争を止めることができないでいる。日本はそのアメリカに六十年もの間寄りかかってきたために、追随しなくては最早何もできなくなっている。
そして、個人の日常もまた、輸血と追随にあふれかえっている。
自分たちが作りだした形式にがんじがらめになっているのは、この地上の人間の基本的姿だろう。

ロックするとは、やむにやまれぬ緊縛状態からの絶叫だった。
反体制などという薄っぺらいものではない。常識という鎖の自覚。制度という魔術の認識。それを蹴り破りたい衝動。
ドブネズミみたいに美しくありたいという歌詞は、その新しい価値観への衝動に溢れていた。

そうだ。
美しい肉体を守るために輸血と追随を繰り返すことをやめよう!
僕らは一人一人が薄汚れたドブネズミであり、だからこそ輝けることを胸に秘めておこう!
この世界は、天国のような地獄であり、同時に地獄のような天国なのだから。

もうすぐ夏も終わりだぜ!

ご無沙汰しておりました!
また、このブログを再開することになりました。かなり過激に忙しくなりつつあるのですが、できるだけ頻繁に更新するつもりです。よろしく!

早速ですが、11月に銀座博品館にて芝居を上演いたします。
2002年にロンドンで公開された作品の本邦初演です。今回は翻訳脚本で関わっております。
この作品に関しても、今後少しずつ語っていきたいと思います。

タイトルは『ねぇ、夜は誰のためにあるの?』。原題は『What the night is for』です。
不倫の男女を描いた二人芝居ですが、これがなかなか深く味わい深い作品です。単なるメロドラマをはるかに超えた戯曲ではないかと思っています。作者はマイケル・ウェラーという映画『ヘアー』とか『カッコーの巣の上で』等の脚本を書いた方ですので、一筋縄ではいきません。上演時間二時間。その間、わずか二人の登場人物に観衆の目を釘付けにできたら成功かもしれません。更に、ご覧になった方々がそれぞれ自分たちの人生を振り返ることができたなら、そして、その人達の明日が変わったなら、創った人間にとってこの上ない悦びでしょう。

キャストは、元宝塚トップの「絵麻緒ゆうさん」と元東京キッドブラザースの「水谷あつしさん」。お二人とも非常によく戯曲を理解してくれているので、きっと素晴らしい演技が観られると思います。そして演出は「竹邑類さん」。スマートでスタイリッシュな美しい演出をしていただけると今からワクワクしております。プロデュースするショービズプランニングの「臼田典生さん」は、現在日本でも屈指の舞台監督であり、同時に優れたプロデューサーでもあります。彼は僕のクリエイティビティーを絶えず刺激し続けてくれる、僕の演劇における真の友であり盟友と呼びたい人物です。その皆さんにとにかく感謝しつつ、相変わらず自分自身の仕事をこつこつと進めていこうと思います。

今後、更にエンジン全開で、様々な企画と作品に取り組んでいきたいと思っていますので、僕のオリジナル作品もご期待下さいね!


2006年8月18日金曜日

あさがお

娘たちが、夏の旅に出た。
その十日ほどの間、僕は飼っている金魚に餌をやり、成虫になったばかりのカブトムシの世話をして過ごした。
玄関の脇に、娘が学校で育てた朝顔の鉢がある。かなり成長し背の高くなった朝顔の蔓が棒に巻き付いて、必死に天に昇ろうとしているのが分かる。本当に天に昇るほど蔓の先端が空中で踊りを踊っている。僕は、この朝顔も世話をすることになると思っていたら、娘たちが勝手にお隣のおばさんと取り決めしていて、隣の彼女が水をやり、なんと不在中の観察日記まで書いてくれるという。
あまりにチャッカリ者の娘たちに、半ば呆れながらも、なかなかやるな、とちょっと感心したりもした。

というわけで、僕は仕事に出る前と、帰ってから朝顔を玄関先で観ることになるわけだが、不思議なことが起きていた。

娘たちが旅立つ日まで、最低四つは毎日のように咲いていた花が、彼女たちがいなくなってから、ぱたりと咲かなくなってしまったのだ。十日間で咲いたのは、ひとつきり。僕は植物を育てるのがあまり上手くない。ああ、このまま枯らしてしまうのか、などど気が重くなってくる。朝と夜に緑の葉を撫でながら、頼むよ、枯れないで、などと気弱に頼んでもみた。
それでも、朝顔はいっこうに咲こうとしない。

僕が彼女たちと旅先で合流する日が来た。
早朝、家を後にするとき、朝顔に「どうか枯れないでおくれ」とお願いしてから駅へと向かった。

娘たちと再会しても、朝顔のことは言えなかった。

五日経ち、僕たちはそろって家の玄関先に立っていた。
そこには四つの花をつけた、朝顔の鉢があった。
紫とピンクの朝顔の花が、二つずつ。

それは、我が家の家族の人数。

奇跡はこんなかたちで、何気なく僕たちを祝福してくれているのかな。


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