2011年5月28日土曜日

ずっとウソだったんだぜ


“ To believe in a child is to believe in the future. Through their aspirations they will save the world. With their combined knowledge the turbulent seas of hate and injustice will be calmed. They will champion the causes of life's underdogs, forging a society without class discrimination. They will supply humanity with music and beauty as it has never known. They will endure.”

Henry James (1843-1916)

「子供を信じることは未来を信じることだ。子供たちの強い願いが世界を救うのだ。子供たちが学ぶことで嫌悪と不正の猛り狂った海が静まるのだ。子供たちが人生に敗北した者を守り、階級のない社会を生み出すのだ。子供たちがこれまで誰も知らなかった音楽と美で人の愛を伝えてくれる。彼らは耐える者たちだ」(上野火山・訳)

ヘンリー・ジェイムズのこの言葉は胸に突き刺さる。
未来は子供たちのためにある。当たり前のことだ。この当たり前のことを忘れた大人たちが今世界を蹂躙している。
無責任な原子力保安委員会、無責任な政府、無責任な企業、無責任な官僚と政治家、どれもこれも無責任な大人たちである。そして、僕自身その一人だと思っている。
自己責任を口にする人間ほど自己に無責任である。

アドルフ・ヒトラーはその死の直前言ったそうである。
映画「ヒトラー最後の12日間」より:「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは、平然と「国民の自業自得(自己責任)」だとうそぶく。「(ドイツ)国民が地獄を味わうのは当然の義務。われわれを(選挙で合法的に)選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ」 (はなゆー

ナチスを台頭させたドイツの責任はヒトラー一人に帰せられるべきではない。民主主義という幻想の中で国民が彼を選び未来を託したのである。
ヒトラーの言説は「子供たちの未来」という視点をまったく欠いているのである。

僕らは今まさにこのような状況の下にいる。
かつての子供であった僕たちも、今の子供たちも、ずっとウソを信じ込まされてきたのである。そして、自己責任を突きつけられている。

今果たすべき責任は、これまでのウソをウソとして認識することだ。
かつて今は亡き石井紘基が述べたように、日本はそもそも民主義国家ではない。むしろ完全な統制国家。全体主義に近い。
戦後六十六年の間、日本は植民地国家であった。
従って、日本にはそもそも国家主権というものは存在しなかった。
戦中戦後を通して、日本は棄民政策を行ってきた。「カネ」と交換に地方に原発を押しつける紛れもない棄民政策である。
東北は大戦中最も強い部隊を排出したと言われている。それは東北がかねてより棄民の対象となっていたからこそ、わずかの米で東北の部隊は強い戦闘部隊となり得たのだ。日本の中枢は関東より西南にあるというのは日本人の暗黙の了解ではなかったか。そんなことがなかったかのようなふりをしているだけで、東北は長い間棄民の対象だったのではなかったのか。この震災でその実態が少しばかり見えてきたような気がする。
僕はかつて暮らした東北を決して忘れない。今またあらたに棄民政策を行うのか。

あまりにもウソが多すぎる。
原発がクリーン・エネルギーのはずがないじゃないか。世界中の災害で利益を得ている連中は確実に存在しているじゃないか。地震で原発の問題が取りざたされる中、CMがほとんど流れなくなった頃、盛んに流されたのがACとガンワクチンとガン保険のCMだった。ウソだろう?なんでこんなに都合のいいCMのみが流されるんだ?

未来は子供たちが創る。
だが、その未来を用意するのは大人の役割だ。
だから、まず気がつこう!

ずっとウソだったんだぜ!

斉藤和義 ずっとウソだった

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