妻がかつて発声のクラスに通っていたことがある。
ある日、そのクラスにも歌の発表会というのがあって、観に来るように言われた。僕は仕事の都合で一部の途中から、会場に駆けつけ見ることになった。様々なミュージカルナンバーが、手作りの衣装を着た一人あるいはグループで演じられていった。
僕がその歌を聞いたのは、2部も終わりかけた最後から2,3、曲目ぐらいだったように思う。元気のいいコーラスが続いたあと、一人の女性が青白いスポットライトの中で歌い始めた。あの歌、アメージング・グレースを。
スポットライトの中で歌っていた彼女と出会ったのは十年以上も前。まだ仲間と素人に毛が生えたような舞台作りに夢中になっていた頃だ。僕らはまだ半分学生で、彼女はスタッフとして衣装を担当してくれていた。口数の少ない彼女は黙々と衣装を縫っていたのを覚えている。お金も評判も大して持ち合わせのない僕らにとって彼女たちスタッフの存在はかけがえのないものだった。
なぜあの頃彼女は僕らのところに来ていたのだろう。ある日、彼女に尋ねたことがある。
「好きだから」と言うのが彼女の返事。
その頃は、ミュージカルが多くて、小さな舞台でも結構派手で、それなりに満足感もあった。その興奮の渦中に参加できただけでも、何か心踊るような幸福を彼女は感じていたようだ。たとえそれが舞台の袖であっても。
確かに「好き」という感覚を持てることは何よりもまして「幸福」の第一歩だ。実際、どんな副次的メリットが伴おうと「好き」でなければ、人は悲しいほど不幸である。そして、あの頃彼女も僕らも幸福であったはずだ。
しかし、人生の面白さは、幸福イコール楽しいということにはならないということである。
彼女がたまたまある時キャストとして舞台に立つことになった。ほんとに頑固な人で、稽古が滞ることもしばしばであった。怒鳴りつけたり、怒鳴り合ったり、泣いたり、笑ったり、お互いに不愉快になったりもしたが、それでも、それはそれで幸福だったのだと思う。それぞれが好きに生きていたから。
その舞台を最後に彼女とは会わず終いになり、月日はやがて流れ、一年、二年・・・と過ぎ去っていった。
十年後。僕は思わぬところで彼女と再会したのである。その晩、話をすることはなかったが、彼女の歌声を聞いた。決してうまい歌であるとか歌唱力があるとかいうのではない。が、観客の前で歌うことの悦びがそこにはあった。アメージング・グレースがあんなに心にしみる歌だということがはじめてわかった。あの歌は確かにひとつの祈りであった。
それから、数年して妻から彼女が子供を産んだということを聞く。
その子の身体が不自由だという話も風の便りに聞く。
彼女は母になり、不自由な子を乳母車で押しているという話も聞く。
彼女は乳母車を押しながらアメージング・グレースを歌っているのだろうか。
もっと若かった頃、夢中になって衣装を縫っていたことを覚えているだろうか。
舞台の夢は遠くなってしまったが、
熱く燃えた時代は過ぎ去ってしまったが、
彼女が我が子のために、アメージング・グレースを歌っていることを僕は願う。
幸福とは、たった一人の人間に、心の底から歌を歌うことができるということ。
耳をすませば・・・・。
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