先週、ボアソナード・タワーから! |
本年の大学の講義も開始して二週間とちょっと。
今日で三回目の講義です。
当初の予想よりも受講生の数が多く、ありがたいかぎりです。なにしろ後にも先にも演劇と政治経済もしくは思想史と比較しながら進める講義は、この講義しかありません。まったく比較対照されることのない別次元に見える事柄を、僕はあえて関連づけてみたいのです。
「知」とは、細かく分けることばかりではありません。要素還元で知ることのできる知の代表が「科学」だとすれば、人文学は寧ろ分けられてしまったものの関連性を取り戻す作業のことではないでしょうか。
一見無関係の要素を「関連づける」ということが、文学乃至は芸術的営為の本質だと僕は思います。
2009年以降、世界はあからさまになり、これまで巧妙に隠していたことを、大胆に見せ始めています。これは自信の表れなのか末期症状なのかは分かりませんが、いずれにせよ、目を開き、耳を澄まし、直感と推論とを駆使して様々な無関係に見えるものを積み上げてみれば、世界の今向かおうとしている現実が見えてきます。
その現実を新世界秩序(New World Order)と呼ぶのでしょう。
世界中で連続して起きる災害もテロ事件、そしてその後のショック・ドクトリン的政策決定も、多国籍企業(例えばユニクロ等)による世界で賃金統一を行うという宣言や、世界中で「水道事業」等のライフラインのインフラが私企業により民営化されていく流れも、金融資本によって市場原理のみで価値が決まっていく有様も、民主化という名の下で暴走する資本主義も、TPPというあからさまな不平等条約も、もはや何はばかることなく世界を揺るがせながらその邪悪な姿をさらけ出しています。
しかしながら、それも個々の「点」にのみ気がとられていては気づけない。関連づけること、関係性に注目し、点を「線」で結ばなければ、見えてこないのです。だからこそ、あからさまに、嘲笑うように人々の心を揺さぶり不安に陥れているのではないでしょうか。人々が点にばかり目が行く装置こそテレビであり新聞であり劇場であり、メディアそのものだと思われます。一度冷静にテレビや新聞や劇場を見つめ直してみれば、装置として機能するものと、装置であることを拒否し戦うものとが区別できるようです。もちろん単純に分けることはできませんが。
今日は現在公開中のアメリカ映画「リンカーン」について語る予定です。
このスピルバーグによる映画で描かれているリンカーンは奴隷解放のヒーローでありながら、苦悩する人間的で慈愛に満ちた実に魅力的な人物です。しかしながら、僕が興味を持ったのは脇の登場人物であり、キーパーソンのサディアス・スティーブンスです。リンカーンはこの共和党の議員である絶対的な平等主義者サディアス・スティーブンスに妥協を迫り、奴隷制の撤廃を謳う修正第13条を通そうとする物語を縦軸にした物語です。正しいことを実現するためには「妥協」と「裏工作」の必然を描いているこの作品は、確かに政治の本質的現場を描いているのでしょう。ですが、「正しいこと」もしくは「正義」の基準とは、サンデル教授に訊くまでもなく「曖昧」で「不透明」です。
その不明の「正義」を土台に政治は行われている。その辺を、同監督の映画「ミュンヘン」なども重ねながら考えたいと思います。
今日は更に、名作の誉れ高いイギリス映画「英国王のスピーチ」についても、その内容の素晴らしさと同時に、隠された「意味」を読み解きたいと思っています。
昨今氾濫する「伝記映画」はいったいどのような真の目的を背後に抱えているのだろうか。
これは是非考えてみる必要がありそうです。
また後ほど☆教室でお会いしましょう!!