2011年5月28日土曜日
ずっとウソだったんだぜ
“ To believe in a child is to believe in the future. Through their aspirations they will save the world. With their combined knowledge the turbulent seas of hate and injustice will be calmed. They will champion the causes of life's underdogs, forging a society without class discrimination. They will supply humanity with music and beauty as it has never known. They will endure.”
Henry James (1843-1916)
「子供を信じることは未来を信じることだ。子供たちの強い願いが世界を救うのだ。子供たちが学ぶことで嫌悪と不正の猛り狂った海が静まるのだ。子供たちが人生に敗北した者を守り、階級のない社会を生み出すのだ。子供たちがこれまで誰も知らなかった音楽と美で人の愛を伝えてくれる。彼らは耐える者たちだ」(上野火山・訳)
ヘンリー・ジェイムズのこの言葉は胸に突き刺さる。
未来は子供たちのためにある。当たり前のことだ。この当たり前のことを忘れた大人たちが今世界を蹂躙している。
無責任な原子力保安委員会、無責任な政府、無責任な企業、無責任な官僚と政治家、どれもこれも無責任な大人たちである。そして、僕自身その一人だと思っている。
自己責任を口にする人間ほど自己に無責任である。
アドルフ・ヒトラーはその死の直前言ったそうである。
映画「ヒトラー最後の12日間」より:「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは、平然と「国民の自業自得(自己責任)」だとうそぶく。「(ドイツ)国民が地獄を味わうのは当然の義務。われわれを(選挙で合法的に)選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ」 (はなゆー)
ナチスを台頭させたドイツの責任はヒトラー一人に帰せられるべきではない。民主主義という幻想の中で国民が彼を選び未来を託したのである。
ヒトラーの言説は「子供たちの未来」という視点をまったく欠いているのである。
僕らは今まさにこのような状況の下にいる。
かつての子供であった僕たちも、今の子供たちも、ずっとウソを信じ込まされてきたのである。そして、自己責任を突きつけられている。
今果たすべき責任は、これまでのウソをウソとして認識することだ。
かつて今は亡き石井紘基が述べたように、日本はそもそも民主義国家ではない。むしろ完全な統制国家。全体主義に近い。
戦後六十六年の間、日本は植民地国家であった。
従って、日本にはそもそも国家主権というものは存在しなかった。
戦中戦後を通して、日本は棄民政策を行ってきた。「カネ」と交換に地方に原発を押しつける紛れもない棄民政策である。
東北は大戦中最も強い部隊を排出したと言われている。それは東北がかねてより棄民の対象となっていたからこそ、わずかの米で東北の部隊は強い戦闘部隊となり得たのだ。日本の中枢は関東より西南にあるというのは日本人の暗黙の了解ではなかったか。そんなことがなかったかのようなふりをしているだけで、東北は長い間棄民の対象だったのではなかったのか。この震災でその実態が少しばかり見えてきたような気がする。
僕はかつて暮らした東北を決して忘れない。今またあらたに棄民政策を行うのか。
あまりにもウソが多すぎる。
原発がクリーン・エネルギーのはずがないじゃないか。世界中の災害で利益を得ている連中は確実に存在しているじゃないか。地震で原発の問題が取りざたされる中、CMがほとんど流れなくなった頃、盛んに流されたのがACとガンワクチンとガン保険のCMだった。ウソだろう?なんでこんなに都合のいいCMのみが流されるんだ?
未来は子供たちが創る。
だが、その未来を用意するのは大人の役割だ。
だから、まず気がつこう!
ずっとウソだったんだぜ!
斉藤和義 ずっとウソだった
2011年5月27日金曜日
卒業して失業だと?
もはや日本の記事は何も伝えていないので、英語で海外の状況を知る以外手はなさそうだ。
もちろん日本の状況もだが。
こんな記事がある。(一部抜粋)
“Moving Home: When College Grads Face Uncertain Futures” (クリックするとソースへ)
She's hardly alone. Malik is part of a generation of 20-somethings that's experiencing what it's like to graduate from college, move back in with your parents, and then get stuck there. Though estimates vary, a recent study by Twentysomething Inc., a consulting firm specializing in marketing to young adults, predicted that of the 2 million graduates in the class of 2011, 85 percent will return home because they can't secure jobs that might give them more choices and more control over their lives.
Added to the lack of jobs is an increased amount of debt. Student loan debt recently outpaced credit card debt in terms of total amounts owed by borrowers. By year's end, it is on track to surpass a trillion dollars, according to Mark Kantrowitz, an expert on student financial aid who runs the websites FinAid.org and Fastweb.com.
According to the Institute for College Access and Success, an independent, nonprofit organization that works to make higher education more affordable, the average graduate finishes school with $24,000 of debt -- though many struggle to repay far more.
Like Malik, many 20-somethings are experiencing early adulthood as one long pause in their lives, affecting not only conventional coming-of-age milestones such as becoming financially independent, but more deeply personal things as well -- like their hopes and their dreams.
この記事が伝えているのは、アメリカの大学卒業生の85%が職に就けず実家へ舞い戻っているという事実だ。
更に、卒業時には平均的な学生は二万四千ドルの負債を抱えている。その借金を背負いながら仕事に就けないことになる。
この事実を見ても、反米だとかアメリカは悪いなどといった単純な問題ではないことがわかる。
すなわち、米国は今米国の政府、企業、金融機関が一丸となって国家解体を進めている。85%が大学を出て即失業者でしかも二百数十万円の負債を抱えているというのは、どう考えても異常だろう。
日本の原発問題も自然災害も実際こうした政治経済の問題とリンクしているのだ。
未だかつてこれほど広範囲にわたって信じがたい問題が次から次と毎日出ている時代などなかったのではないだろうか。
The Lost Generation:
もちろん日本の状況もだが。
こんな記事がある。(一部抜粋)
“Moving Home: When College Grads Face Uncertain Futures” (クリックするとソースへ)
She's hardly alone. Malik is part of a generation of 20-somethings that's experiencing what it's like to graduate from college, move back in with your parents, and then get stuck there. Though estimates vary, a recent study by Twentysomething Inc., a consulting firm specializing in marketing to young adults, predicted that of the 2 million graduates in the class of 2011, 85 percent will return home because they can't secure jobs that might give them more choices and more control over their lives.
Added to the lack of jobs is an increased amount of debt. Student loan debt recently outpaced credit card debt in terms of total amounts owed by borrowers. By year's end, it is on track to surpass a trillion dollars, according to Mark Kantrowitz, an expert on student financial aid who runs the websites FinAid.org and Fastweb.com.
According to the Institute for College Access and Success, an independent, nonprofit organization that works to make higher education more affordable, the average graduate finishes school with $24,000 of debt -- though many struggle to repay far more.
Like Malik, many 20-somethings are experiencing early adulthood as one long pause in their lives, affecting not only conventional coming-of-age milestones such as becoming financially independent, but more deeply personal things as well -- like their hopes and their dreams.
この記事が伝えているのは、アメリカの大学卒業生の85%が職に就けず実家へ舞い戻っているという事実だ。
更に、卒業時には平均的な学生は二万四千ドルの負債を抱えている。その借金を背負いながら仕事に就けないことになる。
この事実を見ても、反米だとかアメリカは悪いなどといった単純な問題ではないことがわかる。
すなわち、米国は今米国の政府、企業、金融機関が一丸となって国家解体を進めている。85%が大学を出て即失業者でしかも二百数十万円の負債を抱えているというのは、どう考えても異常だろう。
日本の原発問題も自然災害も実際こうした政治経済の問題とリンクしているのだ。
未だかつてこれほど広範囲にわたって信じがたい問題が次から次と毎日出ている時代などなかったのではないだろうか。
The Lost Generation:
嘲笑う者たち
小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教、工学研究科都市環境工学専攻助教)と大橋弘忠 (東京大学工学系研究科システム創成学専攻教授)という二人の人物の議論がある。
四十年間助手という立場を続けながら原発廃止を考えてきた小出裕章氏を、東大教授の大橋弘忠氏が嘲笑う場面を見て、様々な思いが心の中をよぎった。
嘲笑う者たちの顔を見よ!
嘘八百を並べながら、今もなお嘘を突き通す。専門家という上から目線で議論を煙に巻きながらあざ笑い続ける。
この様子は世界のあらゆる場面で目撃できる典型的な権力による議論の操作である。
嘲笑う者たちを信用してはならない。どんな場面であっても、多数で嘲笑うとき、人は嘘をついている。
孤独の人の言葉に耳を傾けよう。
それは今も変わらないのだ。
今も大多数ではない言葉に耳を傾けることができるか?原発は当然廃止だろう。だがそれ以外の問題に耳を傾けることができるか?
今のこの状況の根本問題、すなわち経済的及び政治的問題の本質に耳を傾けることができるか?
日本は事実上、六十年以上植民地で原発という爆弾を背負い込まされ、脅迫され続けてきたことまで耳を傾けることができるか?
それが、問われてもいるのだと思う。
小出裕章氏は危険でなければ都会に原発を作るはず。危険だから地方に背負わせたのだ、と考えている。これは最も基本だな。
大橋弘忠氏は原発は安全だと言う。ならば、東京に作るべきだろう。そうしない彼は全て知っていたのだ。
「プルトニウムは飲んでも安心」という驚くべき動画
四十年間助手という立場を続けながら原発廃止を考えてきた小出裕章氏を、東大教授の大橋弘忠氏が嘲笑う場面を見て、様々な思いが心の中をよぎった。
嘲笑う者たちの顔を見よ!
嘘八百を並べながら、今もなお嘘を突き通す。専門家という上から目線で議論を煙に巻きながらあざ笑い続ける。
この様子は世界のあらゆる場面で目撃できる典型的な権力による議論の操作である。
嘲笑う者たちを信用してはならない。どんな場面であっても、多数で嘲笑うとき、人は嘘をついている。
孤独の人の言葉に耳を傾けよう。
それは今も変わらないのだ。
今も大多数ではない言葉に耳を傾けることができるか?原発は当然廃止だろう。だがそれ以外の問題に耳を傾けることができるか?
今のこの状況の根本問題、すなわち経済的及び政治的問題の本質に耳を傾けることができるか?
日本は事実上、六十年以上植民地で原発という爆弾を背負い込まされ、脅迫され続けてきたことまで耳を傾けることができるか?
それが、問われてもいるのだと思う。
小出裕章氏は危険でなければ都会に原発を作るはず。危険だから地方に背負わせたのだ、と考えている。これは最も基本だな。
大橋弘忠氏は原発は安全だと言う。ならば、東京に作るべきだろう。そうしない彼は全て知っていたのだ。
「プルトニウムは飲んでも安心」という驚くべき動画
報道されない出来事
ジャスミン革命 (ジャスミンかくめい、Jasmine Revolution, アラビア語: ثورة الياسمين; thawrat al-yāsmīn) とは、2010年から2011年にかけてチュニジアで起こった革命 (民主化運動)。 一青年の焼身自殺事件に端を発する反政府デモが国内全土に拡大し、軍部の離反によりザイン・アル=アービディーン・ベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命し、23年間続いた政権が崩壊した事件である。ジャスミンがチュニジアを代表する花であることから、このような名前がネットを中心に命名された。
この民主化運動はチュニジアにとどまらず、エジプトなど他のアラブ諸国へも広がり、各国で長期独裁政権に対する国民の不満と結びつき、数々の政変や政治改革を引き起こした。
一連の暴動では情報共有のため、Facebookなどを通じたインターネットによる情報交換が力を発揮したほか、YoutubeやTwitter、WikiLeaksといったネットメディアも重要な役割を果たしたという意見がある。<wikipedia より>
今、スペイン全土で激しいデモが行われている。各地で数千人規模から数万人、総計では膨大な人数になるだろう。
中東を中心に起こった民主化を求めたいわゆる「ジャスミン革命」は独裁国家を打ち倒し民主化したと言われてはいるが、実際は反米イスラム国家を産み出している。というのも、エジプトのムバラクを見ても明確だが、チリのピノチェトにしても独裁者と呼ばれる者たちの多くは、よくよく見てみれば実は親米である。そうした国の政体が変わるということは、表面に見える以外の別の意味がありそうだ。今中東アラブ諸国はイスラムかが進んでいるのだ。イスラエルを囲むようにして。
そこでスペインだが、スペインの事情は少し違っているようだ。
すでに民主国家であるスペインは民主化する必要などないが、国内の経済状況がかなり荒廃してきているのだ。実に国民の20%が失業している。五人に一人が仕事を失っているのだ。更に追い打ちをかけるように住宅ローンをはじめとするローンに追われ、企業トップと銀行との金融一人勝ち状態になっている。政府は一向に打開策を打ち出さない。寧ろそうした状況を放置している。
こうした政治家や官僚、そして資本家たちによる人でなしな政治体制に対し国家全土で巨大なデモが起こっているというわけだ。
スペインのこうした動きはジャスミン革命の一種ではないという人もいるが、僕はジャスミン革命の変化形と捉えている。
権力を持たない国民にとってデモは社会変革に対する最大のツールだが、非常に危険なツールでもある。なぜなら常に暴動化、若しくは暴徒化する要因を内側に持ち、制御不可能なパワーを持つのが巨大でもである。
エジプトの場合でもTwitterやfacebookが使われて巨大デモが起こったと言われている。先導したのがfacebookを使うgoogleのエジプト支社の人物であったのは偶然だろうか。彼は何者だ?
思い出すのはルーマニアの革命の際、先導した人物たちは実際何者だったのか、未だに謎だということ。独裁者チャウシェスクを人民裁判で裁いた数分後に射殺し、政体ががらりと変わり、ルーマニアはEUに加盟することになる。少なくともEU成立の障害とされたルーマニアは独裁者の死と共にヨーロッパにとって都合の良い政治体制に作り替えられたわけである。民衆は当時、自国がEUに組み込まれるなどと想像もしていなかったのだ。巨大デモの先導者たちは、目的達成の後に姿を消した。信じられないことだが、今、チャウシェスク独裁時代の方が良かったと回想するルーマニア国民も存在するのである。
さて、こうして巨大デモというものは、表面上の目的とは違った目的で動かされる可能性を多分に含んだ危険性の高いものだというのは念頭に置いておくべきだと思う。
日本人は怠惰で消極的でぼんやりしているので、まったくデモがデモにならないという話しも耳にする。
果たしてそうだろうか?
全共闘時代のデモが何かを生んだのだろうか?あの頃の日本人が熱くてまともだったのだろうか?今そうならないことは情けないことなのだろうか?
デモはその大きさ故に方向を必ず見失う。更に目の前の問題のみに囚われれば、本質的な問題から注意がそれてしまう。毎日テレビや新聞で垂れ流されるデタラメな原発のニュースはもはや報道の体をなしてはいないし、情報ではない。もはや残念ながら必要な情報はまったくどこからもやってこないことがわかった。
スペインの様子をテレビも新聞もまったく報道しない。日本は江藤淳さんが生前仰っていたように、完全に言論が封殺された統制国家だったのだと思う。メディアはその意味で一枚岩である。完全な自粛という名の検閲がまかり通っている。
かの国スペインで起こっている社会不安は、この日本にも完全に当てはまることだ。世界中で同じように金融不安と失業、人件費カットの嵐が吹き荒れている。災害もまったく同じように世界各地で起こっている。数日前のアメリカのミズーリで起こった竜巻をある議員はまるで核爆弾が破裂したようだ、と喩えた。
世界で同時多発で同様の事象が今起こっていることに注目したい。
一日中飛行機とヘリコプターの音が鳴り止まない東京で、世界に目を向けている必要があると僕は思う。そして、この国ではまた別の行動をすべきなのだと思う。同じことは同じ結果しか生まないのだ。
東電の前でプラカードを振る前に知っておこう。三月の末の段階ですでに東電の筆頭株主はアライアンス・バーンスタインという外資系ファンドであることを。エネルギー業種を外資に奪われてしまったことは、すでに次にステップがはじまっているということなのだ。
恐らくデモ以外の行動とは、点を線でつなぐ個人的努力とこの時代の価値観にはっきりと「否」を突きつける生き方だと思う。
決してレミングのような「盲目の行進」をしない生き方をしたいと思う。
「改革」や「革命」、そして「変化」という表現は次の危険な一歩への甘い誘惑である。
ミルトン・フリードマンは言った、「変化は極端な災害だけがもたらしてくれる。その時人は思考停止状態だから」と。
Spanish Revolution 2011 Mainstream Media Ignoring the Story
*これを見るとスペインの現状が日本とほとんど同じであることがわかる。
この民主化運動はチュニジアにとどまらず、エジプトなど他のアラブ諸国へも広がり、各国で長期独裁政権に対する国民の不満と結びつき、数々の政変や政治改革を引き起こした。
一連の暴動では情報共有のため、Facebookなどを通じたインターネットによる情報交換が力を発揮したほか、YoutubeやTwitter、WikiLeaksといったネットメディアも重要な役割を果たしたという意見がある。<wikipedia より>
今、スペイン全土で激しいデモが行われている。各地で数千人規模から数万人、総計では膨大な人数になるだろう。
中東を中心に起こった民主化を求めたいわゆる「ジャスミン革命」は独裁国家を打ち倒し民主化したと言われてはいるが、実際は反米イスラム国家を産み出している。というのも、エジプトのムバラクを見ても明確だが、チリのピノチェトにしても独裁者と呼ばれる者たちの多くは、よくよく見てみれば実は親米である。そうした国の政体が変わるということは、表面に見える以外の別の意味がありそうだ。今中東アラブ諸国はイスラムかが進んでいるのだ。イスラエルを囲むようにして。
そこでスペインだが、スペインの事情は少し違っているようだ。
すでに民主国家であるスペインは民主化する必要などないが、国内の経済状況がかなり荒廃してきているのだ。実に国民の20%が失業している。五人に一人が仕事を失っているのだ。更に追い打ちをかけるように住宅ローンをはじめとするローンに追われ、企業トップと銀行との金融一人勝ち状態になっている。政府は一向に打開策を打ち出さない。寧ろそうした状況を放置している。
こうした政治家や官僚、そして資本家たちによる人でなしな政治体制に対し国家全土で巨大なデモが起こっているというわけだ。
スペインのこうした動きはジャスミン革命の一種ではないという人もいるが、僕はジャスミン革命の変化形と捉えている。
権力を持たない国民にとってデモは社会変革に対する最大のツールだが、非常に危険なツールでもある。なぜなら常に暴動化、若しくは暴徒化する要因を内側に持ち、制御不可能なパワーを持つのが巨大でもである。
エジプトの場合でもTwitterやfacebookが使われて巨大デモが起こったと言われている。先導したのがfacebookを使うgoogleのエジプト支社の人物であったのは偶然だろうか。彼は何者だ?
思い出すのはルーマニアの革命の際、先導した人物たちは実際何者だったのか、未だに謎だということ。独裁者チャウシェスクを人民裁判で裁いた数分後に射殺し、政体ががらりと変わり、ルーマニアはEUに加盟することになる。少なくともEU成立の障害とされたルーマニアは独裁者の死と共にヨーロッパにとって都合の良い政治体制に作り替えられたわけである。民衆は当時、自国がEUに組み込まれるなどと想像もしていなかったのだ。巨大デモの先導者たちは、目的達成の後に姿を消した。信じられないことだが、今、チャウシェスク独裁時代の方が良かったと回想するルーマニア国民も存在するのである。
さて、こうして巨大デモというものは、表面上の目的とは違った目的で動かされる可能性を多分に含んだ危険性の高いものだというのは念頭に置いておくべきだと思う。
日本人は怠惰で消極的でぼんやりしているので、まったくデモがデモにならないという話しも耳にする。
果たしてそうだろうか?
全共闘時代のデモが何かを生んだのだろうか?あの頃の日本人が熱くてまともだったのだろうか?今そうならないことは情けないことなのだろうか?
デモはその大きさ故に方向を必ず見失う。更に目の前の問題のみに囚われれば、本質的な問題から注意がそれてしまう。毎日テレビや新聞で垂れ流されるデタラメな原発のニュースはもはや報道の体をなしてはいないし、情報ではない。もはや残念ながら必要な情報はまったくどこからもやってこないことがわかった。
スペインの様子をテレビも新聞もまったく報道しない。日本は江藤淳さんが生前仰っていたように、完全に言論が封殺された統制国家だったのだと思う。メディアはその意味で一枚岩である。完全な自粛という名の検閲がまかり通っている。
かの国スペインで起こっている社会不安は、この日本にも完全に当てはまることだ。世界中で同じように金融不安と失業、人件費カットの嵐が吹き荒れている。災害もまったく同じように世界各地で起こっている。数日前のアメリカのミズーリで起こった竜巻をある議員はまるで核爆弾が破裂したようだ、と喩えた。
世界で同時多発で同様の事象が今起こっていることに注目したい。
一日中飛行機とヘリコプターの音が鳴り止まない東京で、世界に目を向けている必要があると僕は思う。そして、この国ではまた別の行動をすべきなのだと思う。同じことは同じ結果しか生まないのだ。
東電の前でプラカードを振る前に知っておこう。三月の末の段階ですでに東電の筆頭株主はアライアンス・バーンスタインという外資系ファンドであることを。エネルギー業種を外資に奪われてしまったことは、すでに次にステップがはじまっているということなのだ。
恐らくデモ以外の行動とは、点を線でつなぐ個人的努力とこの時代の価値観にはっきりと「否」を突きつける生き方だと思う。
決してレミングのような「盲目の行進」をしない生き方をしたいと思う。
「改革」や「革命」、そして「変化」という表現は次の危険な一歩への甘い誘惑である。
ミルトン・フリードマンは言った、「変化は極端な災害だけがもたらしてくれる。その時人は思考停止状態だから」と。
Spanish Revolution 2011 Mainstream Media Ignoring the Story
*これを見るとスペインの現状が日本とほとんど同じであることがわかる。
2011年5月24日火曜日
神の仕業
Heaven's Hammer: A monster tornado unleashes its wrath across Alvo, Nebraska, travelling at over 70mph |
この世には奇妙な一致が数え切れないほどあるが、これもそのひとつかもしれない。
「福島原発事故は「神の仕業」=東電の責任否定-与謝野経財相
与謝野馨経済財政担当相は20日の閣議後会見で、東京電力福島第1原発事故は「神様の仕業としか説明できない」と述べた。同原発の津波対策に関しても「人間としては最高の知恵を働かせたと思っている」と語り、東電に事故の賠償責任を負わせるのは不当だとの考えを重ねて強調した。」
ーーー引用終わり
米国のハリケーン・カトリーナがニューオーリンズ地区を壊滅させたとき、同地区出身で共和党のリチャード・ベイカー議員が述べた言葉が次のものだ。
「We finally cleaned up public housing in New Orleans. We couldn’t do it, but God did. 」
(訳)「我々はついにニューオーリンズの公共住宅を一掃した。我々にが不可能だったが、神の仕業だ」
ーーー引用終わり
神の仕業、便利な言葉である。
日本においては企業にもその企業の大株主である外資にもまったく責任追及の必要性がないという理由が「神の仕業」であり、一方米国においては貧困地区の公共住宅を壊滅させた天災に「神の仕業」といって感謝している政治家がいるのである。
昨日もミズーリ州で起きた巨大竜巻で九十人近くの方が亡くなったという小さな記事があった。英国では暴風、トルコでも地震、そしてリビヤではマグニチュード8.5の大地震があったようだが、たちまちその情報がネット上から消されてしまった。しかしガセではないようですよ。
NHKの朝のニュースが典型的だが、海外のニュースをこの数ヶ月すっかり流さなくなってしまった。
いずれにせよ、神の仕業がそこら中で起こっているわけである。
先日の竜巻で亡くなった人々の多くが貧困地区の黒人達であったと言われています。なぜに慎ましく暮らす人々を執拗に神の仕業が襲うのだろうか。自然災害だから?しょうがない?
ただひとつだけ、僕はこう思う。
神の仕業というセリフを吐く人間は、恐ろしく共感を欠いた人間だと。
新自由主義やグローバリゼーションが世界を覆い、新世界秩序をめざす今、恐ろしく「共感」する能力を人間は失いつつあるのだと思う。
その者たちに共通する表情は、土気色の輝きのない顔色と濁った光を失った目である。
神の仕業ではない。
すべて、人間の仕業なのだ。
自然災害を理由に、誰が苦しみ、誰が利益を得ているのか。それを見極めれば、人間が問題であることはすぐにわかる。
日本政府は、今日から「社会保障の効率化」を 目指すそうである。すなわち、国民健康保険等の医療費の見直し、年金の支給年齢の引き上げが決定されていくわけである。
この災害の時に、様々な法案が可決され、次々と改革が行われていく。これこそ、ミルトン・フリードマンの提唱してきた「災害民主主義」の実現なのだと思う。
もう一度言う。
これは神の仕業ではない。人間の仕業なのだ。
2011年5月23日月曜日
戒めの時
ガンジー七つの大罪
~小出裕章氏(京都大学・原子力)からの戒めの言葉~
1.原則なき政治 2.道徳なき商業 3.労働なき富 4.人格なき教育 5.人間性なき科学 6.良心なき快楽 7.犠牲なき宗教
今、この世界はこれらガンジーの示した七つの戒めの言葉をことごとく踏みにじった世界である。
同じ時代を生き共有する者として、これら七つのうちいくつかは自分自身の人生と関わるものだろう。
完全に方向を見失っている政治状況の中、商業は道徳とは無縁の利益追求のみ、金融一人勝ちという労働なき富の偏向、内申点で生徒を縛り付け質と量をはき違える理念なき教育環境、人間の暮らす世界に関心を持たない科学的視点、良心など嘲笑う快楽主義者、現世利益を煽る宗教。これらは自分にはなにひとつ当てはまらないものだろうか?寧ろ事態は逆で、全てとは言わないけれど、複数が自分と関わりを持つというのがもっとも一般的なありかたではないかな。
この七つのカテゴリーの中に僕らは確実に存在している。
人生の最後に「右翼」というレッテルを貼られ、自らの死を選んだ作家「三島由紀夫」は生前、安田講堂で東大の全共闘の学生達と議論したことがある。彼はその中で、右翼も左翼もないよ!と強く言い放ったのだ。彼がひたすら憂えたのはまさにガンジーの示した七つの大罪を実現させる愚劣な世の中が始まろうとしていることへの警鐘でありました。昭和四十年代初頭に、高度経済成長のまっただ中で三島は堕落した日本の未来を垣間見ていたようだ。
僕は昨日一人の生徒を叱った。
これまでもいろいろな生徒を叱ってきたけれど、昨日の出来事はもう一度生徒と向き合うということを考えさせられるものだった。
「わからない」「かったるい」「ねむい」を口癖にする彼に僕は「馬鹿野郎!!」と言うしかなかった。
なぜなら、「わからない」「かったるい」「ねむい」が言い訳になり、本当の自分をごまかし、己自身と向き合わないように、傷つかないように習慣づけてしまっている人間に説明は「かったるい」だけだからだ。
人間は一人一人見事に違っている。だから面白い。成績がいいなんていうのは結果に過ぎないだろう。
寧ろ重要なのは「逃げない自分」になることだ。
「言い訳しない自分」になることだ。
「馬鹿野郎な自分」と向き合うことだ。
だから、俺は「馬鹿野郎!!目ぇ覚ませ!!」ってどなるんだぜ!!
言葉は具現化し実体化する。
わからない、と言えば、わからなくなるのだ。かったるい、と言えば、かったるくなる。ねむい、と言えば、途端にねむくなるのだ。
すべてこの世界は僕らが無意識に創り出した総体だろう。
言葉を慎む必要も時にはありそうだ。
わからないではなく「わかりたい」って言おうぜ。かったるいなんてもうやめようぜ。ねむい人生は死と変わらんぜ。目を覚まそう!
切実に生きようぜ!!!
これはただ一人生徒の問題ではありません。僕らすべてこの地上に暮らすものの問題だと思う。坂口安吾のかつて示したあの堕落と今世界を覆う暗い堕落とは質が決定的に異なる。安吾の堕落は「覚醒」であった。僕らは目を覚まさなくてはならないのだ。
様々な問題が日々あふれ出てくる昨今、戒めの時なのだと、僕は思う。
~小出裕章氏(京都大学・原子力)からの戒めの言葉~
1.原則なき政治 2.道徳なき商業 3.労働なき富 4.人格なき教育 5.人間性なき科学 6.良心なき快楽 7.犠牲なき宗教
今、この世界はこれらガンジーの示した七つの戒めの言葉をことごとく踏みにじった世界である。
同じ時代を生き共有する者として、これら七つのうちいくつかは自分自身の人生と関わるものだろう。
完全に方向を見失っている政治状況の中、商業は道徳とは無縁の利益追求のみ、金融一人勝ちという労働なき富の偏向、内申点で生徒を縛り付け質と量をはき違える理念なき教育環境、人間の暮らす世界に関心を持たない科学的視点、良心など嘲笑う快楽主義者、現世利益を煽る宗教。これらは自分にはなにひとつ当てはまらないものだろうか?寧ろ事態は逆で、全てとは言わないけれど、複数が自分と関わりを持つというのがもっとも一般的なありかたではないかな。
この七つのカテゴリーの中に僕らは確実に存在している。
人生の最後に「右翼」というレッテルを貼られ、自らの死を選んだ作家「三島由紀夫」は生前、安田講堂で東大の全共闘の学生達と議論したことがある。彼はその中で、右翼も左翼もないよ!と強く言い放ったのだ。彼がひたすら憂えたのはまさにガンジーの示した七つの大罪を実現させる愚劣な世の中が始まろうとしていることへの警鐘でありました。昭和四十年代初頭に、高度経済成長のまっただ中で三島は堕落した日本の未来を垣間見ていたようだ。
僕は昨日一人の生徒を叱った。
これまでもいろいろな生徒を叱ってきたけれど、昨日の出来事はもう一度生徒と向き合うということを考えさせられるものだった。
「わからない」「かったるい」「ねむい」を口癖にする彼に僕は「馬鹿野郎!!」と言うしかなかった。
なぜなら、「わからない」「かったるい」「ねむい」が言い訳になり、本当の自分をごまかし、己自身と向き合わないように、傷つかないように習慣づけてしまっている人間に説明は「かったるい」だけだからだ。
人間は一人一人見事に違っている。だから面白い。成績がいいなんていうのは結果に過ぎないだろう。
寧ろ重要なのは「逃げない自分」になることだ。
「言い訳しない自分」になることだ。
「馬鹿野郎な自分」と向き合うことだ。
だから、俺は「馬鹿野郎!!目ぇ覚ませ!!」ってどなるんだぜ!!
言葉は具現化し実体化する。
わからない、と言えば、わからなくなるのだ。かったるい、と言えば、かったるくなる。ねむい、と言えば、途端にねむくなるのだ。
すべてこの世界は僕らが無意識に創り出した総体だろう。
言葉を慎む必要も時にはありそうだ。
わからないではなく「わかりたい」って言おうぜ。かったるいなんてもうやめようぜ。ねむい人生は死と変わらんぜ。目を覚まそう!
切実に生きようぜ!!!
これはただ一人生徒の問題ではありません。僕らすべてこの地上に暮らすものの問題だと思う。坂口安吾のかつて示したあの堕落と今世界を覆う暗い堕落とは質が決定的に異なる。安吾の堕落は「覚醒」であった。僕らは目を覚まさなくてはならないのだ。
様々な問題が日々あふれ出てくる昨今、戒めの時なのだと、僕は思う。
2011年5月14日土曜日
自粛する精神
今回の記事は一番下の動画を観てから読んで下さいね☆
YouTubeのコメントより(引用)ーーーーーーーーーーーー
「何か上手く言えないが、何か違っている気がする。
作品の意図は何?また、そもそも作品化することが今必要なのか?
悲惨な状況はもう知っている。しかし、悲惨な状況をずっと続けていくことはできない。
前向きに一つひとつ前進することが大切なのに、何か前進が止まっているような風景を見せられて、あきらめの境地にしか思えない。
今は、写真家の作品展に、つきあわされている暇は無いと思う。
他の人が書いている通り、いつか見る時が来ると思うが、今ではないと思う。」
ryuichi4532 14 時間前 in playlist 1105123/11 Tsunami Photo Project 2
「なんというか・・・・
アートのモチーフとしてしか捉えていないような写真が多い
記録を残すことは大切だと思うけど、
功名心とか表現に対する欲求とか
そういう野心的な部分が見えすぎる。
正直あまりいい気分はしないなぁ。」
jimigui1979 15 時間前 27
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上
東日本大震災の写真がYouTubeにアップされていますが、その動画に対するコメントの一部です。コメントなのだから引用お許し下さいね。
引用した責任として、僕もまたこの方達と同様、己の考え方を語らねばならないと思います。
僕はこの方達の感想は当然出てくるだろうと思っていた、まさに思った通りのものだったので、色々と考えてしまったのです。
まず、上の方の「今は、写真家の作品展に、つきあわされている暇は無いと思う。」という考え方は写真を生業にしている人間を完全に誤解していると思われます。この言い方だと戦場でその悲惨な現実を伝える戦場カメラマンの仕事も同様に最低の仕事だと言えますね。写真家は作品展を開いて、被災地で必死に生きる人々をネタに悠長に暮らしているわけではありません。写真を通して現実を伝えるのが彼らの仕事だ。
「何か上手く言えないが、何か違っている気がする。
作品の意図は何?また、そもそも作品化することが今必要なのか?
悲惨な状況はもう知っている。しかし、悲惨な状況をずっと続けていくことはできない。」
しかし「悲惨な状況はもう知っている」というのは当事者であっても、世界はまだこの事実を理解しかねているのです。僕らが六十五年前の戦争の事実を未だに理解できていないのと同様です。更に写真を公表し見ることと、その悲惨な状況をずっと続けていくことは別物です。僕らはなんとしても記憶にとどめなくてはならない。辛い現実から目をそらすことはできない。
「他の人が書いている通り、いつか見る時が来ると思うが、今ではないと思う。」というのは確かに被災地の人々です。ですが、世界の名も知れぬ大勢の人々はこの現実を知らなければならないのです。目をそらさないでください。写真家の仕事をそんなに簡単に否定しないで下さい。そのような否定が「自粛」を生むのだと僕は思う。写真家は写真家の仕事をすればよいのです。教師は教師の仕事をすればよい。歌手は歌手の仕事をすればよい。農家は農業をすればよい。演劇家は演劇をやるのです。
決して他人の仕事を否定しないで下さい。「今はそんな時じゃない」という言葉ほど残酷な言葉はないと思う。この国はかつて大きな戦争をした時も「今はそんな時じゃない」と言ったのです。そして、芸術はすべて否定され、戦争へと向かったのじゃないですか。いつも、いつでも、人は自分に与えられた仕事をすべきなのです。「作品の意図は何?また、そもそも作品化することが今必要なのか?」これは大きな間違い。今必要なのですよ。そして意図は写真という媒体で切り取った一瞬を永遠にしようとする試みでしょう。それは「記憶喪失」や「無責任」に対する戒めでしょう。明らかじゃないか。
下の方。「記録を残すことは大切だと思うけど、功名心とか表現に対する欲求とか、そういう野心的な部分が見えすぎる。正直あまりいい気分はしないなぁ。」
写真家に功名心も表現に対する欲求は当然あるでしょう。野心的だと駄目ですか?いい気分がしないというのは、悲惨な現状を写真に捉えたからですか?見る者の心が掻き乱される作品は常に気分のいいものとは限りません。それこそテレビ的な「ぬるま湯」毒されている兆候のような気がします。ネガティブにも様々な質の違いがあります。生きる気力を萎えさせるもの。立ち上がるべききつい現実や原点を伝えるもの。写真に写るすべての人々が必死に生きようとしているその瞬間だというのは、確実にこちらに伝わってくる。この写真はすべて必要なネガティブです。僕らは決してネガティブな要素を遠ざけてはならないと思います。逆に言えば、誰だってネガティブな現状から立ち上がるしかない、それが人生だったんじゃないのだろうか?
僕は思う。金融工学で大儲けする態度と、被災地に赴き出会った人々の写真を撮る態度と、どちらが意味があるかと言えば「意味」を産み出し、出来事を伝える写真家の態度の方こそ敬意を表すべきものがあると思う。あのウォール街という金融の城がこれまで何かを産み出し何かを伝えたことがあったのか?
心からお願いがある。今のような厳しい時代は芸術家は何か下らない必死さのない無意味なことをしているとこの国ではよく思われるようです。ですが、創造する仕事を軽蔑しないで頂きたい。自粛を強要しないで頂きたい。
自粛する精神が、この国を蝕んでいると僕は思う。写真も音楽も映画も演劇も、、、すべて大事です。
その仕事に対して「今はそんな時ではない」というのは、まさに「今」のこのような状況の中で、もっとも有害な心ない態度だと僕は思う。
自粛なんかすんな!!!!
んで、同時にこんな意見もあるのですよ。
YouTubeのコメントより(引用)ーーーーーーーーーーーー
「世界へ向けた素晴らしいプロジェクトだと思います。 TVや新聞・ニュースでさんざんの映像や写真を見ることがあり、 あまりの多さにPTSDも心配されています。 もう、見あきた。もうさんざんだ。という方も多いと思います。 しかしながら、これらの写真は決して過去の出来事ではありません。 先日災害記録ボランティアで9日間にわたって被災地を歩きまわり、 いろいろな方に話を伺い、そして撮影してきました。 そこで感じた被災地の現実・・・ まだまだ復興への一歩を歩み始めたとは言い難い状況です。 出来ることならすべての人に被災地に立ち感じ・考えてほしい。 これから先、復興への道のりが相当長いであろうと痛切に感じます。 そんな中、これらの写真は単なる記録にとどまらず様々なことを伝 えてくれます。 被災という現実、自然の恐怖、人間の無力さ・・・ 撮影者が感じた想い、メッセージ、 被災者の方の悲しみ、苦脳、努力、優しさ、そして希望・・・ 世界中の人たちがこの映像を見ることで被災者の心に寄り添い、 さまざまな思いを感じ、同苦し考えることが必要だと思います。」
Ichigoichie151e 14 時間前 3
「「前を向いて」、「ポジティブに!」と我々は早く笑っていられるようになれたらいいですね。でも、「復興が進んでいます!」って言ったって、それは取り返しがつかない2万人の犠牲者の上にでしょ。 。
そんな風に人生を楽しめるようにならないといけないし、応援しなくちゃいけないけど…。
この苦しみにフタをして前に進む事なんて出来るのかな…。今は苦しみながら笑う事を学ぶしかないんじゃないかって思います。
僕は明日を生きる為に、現実と向き合いたいと思います。」
Tadpole2316 14 時間前 5
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上
うれしいね。
時の翼に乗って悲しみは飛び去る。【ラ・フォンテーヌ】
3/11 Tsunami Photo Project
YouTubeのコメントより(引用)ーーーーーーーーーーーー
「何か上手く言えないが、何か違っている気がする。
作品の意図は何?また、そもそも作品化することが今必要なのか?
悲惨な状況はもう知っている。しかし、悲惨な状況をずっと続けていくことはできない。
前向きに一つひとつ前進することが大切なのに、何か前進が止まっているような風景を見せられて、あきらめの境地にしか思えない。
今は、写真家の作品展に、つきあわされている暇は無いと思う。
他の人が書いている通り、いつか見る時が来ると思うが、今ではないと思う。」
ryuichi4532 14 時間前 in playlist 1105123/11 Tsunami Photo Project 2
「なんというか・・・・
アートのモチーフとしてしか捉えていないような写真が多い
記録を残すことは大切だと思うけど、
功名心とか表現に対する欲求とか
そういう野心的な部分が見えすぎる。
正直あまりいい気分はしないなぁ。」
jimigui1979 15 時間前 27
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上
東日本大震災の写真がYouTubeにアップされていますが、その動画に対するコメントの一部です。コメントなのだから引用お許し下さいね。
引用した責任として、僕もまたこの方達と同様、己の考え方を語らねばならないと思います。
僕はこの方達の感想は当然出てくるだろうと思っていた、まさに思った通りのものだったので、色々と考えてしまったのです。
まず、上の方の「今は、写真家の作品展に、つきあわされている暇は無いと思う。」という考え方は写真を生業にしている人間を完全に誤解していると思われます。この言い方だと戦場でその悲惨な現実を伝える戦場カメラマンの仕事も同様に最低の仕事だと言えますね。写真家は作品展を開いて、被災地で必死に生きる人々をネタに悠長に暮らしているわけではありません。写真を通して現実を伝えるのが彼らの仕事だ。
「何か上手く言えないが、何か違っている気がする。
作品の意図は何?また、そもそも作品化することが今必要なのか?
悲惨な状況はもう知っている。しかし、悲惨な状況をずっと続けていくことはできない。」
しかし「悲惨な状況はもう知っている」というのは当事者であっても、世界はまだこの事実を理解しかねているのです。僕らが六十五年前の戦争の事実を未だに理解できていないのと同様です。更に写真を公表し見ることと、その悲惨な状況をずっと続けていくことは別物です。僕らはなんとしても記憶にとどめなくてはならない。辛い現実から目をそらすことはできない。
「他の人が書いている通り、いつか見る時が来ると思うが、今ではないと思う。」というのは確かに被災地の人々です。ですが、世界の名も知れぬ大勢の人々はこの現実を知らなければならないのです。目をそらさないでください。写真家の仕事をそんなに簡単に否定しないで下さい。そのような否定が「自粛」を生むのだと僕は思う。写真家は写真家の仕事をすればよいのです。教師は教師の仕事をすればよい。歌手は歌手の仕事をすればよい。農家は農業をすればよい。演劇家は演劇をやるのです。
決して他人の仕事を否定しないで下さい。「今はそんな時じゃない」という言葉ほど残酷な言葉はないと思う。この国はかつて大きな戦争をした時も「今はそんな時じゃない」と言ったのです。そして、芸術はすべて否定され、戦争へと向かったのじゃないですか。いつも、いつでも、人は自分に与えられた仕事をすべきなのです。「作品の意図は何?また、そもそも作品化することが今必要なのか?」これは大きな間違い。今必要なのですよ。そして意図は写真という媒体で切り取った一瞬を永遠にしようとする試みでしょう。それは「記憶喪失」や「無責任」に対する戒めでしょう。明らかじゃないか。
下の方。「記録を残すことは大切だと思うけど、功名心とか表現に対する欲求とか、そういう野心的な部分が見えすぎる。正直あまりいい気分はしないなぁ。」
写真家に功名心も表現に対する欲求は当然あるでしょう。野心的だと駄目ですか?いい気分がしないというのは、悲惨な現状を写真に捉えたからですか?見る者の心が掻き乱される作品は常に気分のいいものとは限りません。それこそテレビ的な「ぬるま湯」毒されている兆候のような気がします。ネガティブにも様々な質の違いがあります。生きる気力を萎えさせるもの。立ち上がるべききつい現実や原点を伝えるもの。写真に写るすべての人々が必死に生きようとしているその瞬間だというのは、確実にこちらに伝わってくる。この写真はすべて必要なネガティブです。僕らは決してネガティブな要素を遠ざけてはならないと思います。逆に言えば、誰だってネガティブな現状から立ち上がるしかない、それが人生だったんじゃないのだろうか?
僕は思う。金融工学で大儲けする態度と、被災地に赴き出会った人々の写真を撮る態度と、どちらが意味があるかと言えば「意味」を産み出し、出来事を伝える写真家の態度の方こそ敬意を表すべきものがあると思う。あのウォール街という金融の城がこれまで何かを産み出し何かを伝えたことがあったのか?
心からお願いがある。今のような厳しい時代は芸術家は何か下らない必死さのない無意味なことをしているとこの国ではよく思われるようです。ですが、創造する仕事を軽蔑しないで頂きたい。自粛を強要しないで頂きたい。
自粛する精神が、この国を蝕んでいると僕は思う。写真も音楽も映画も演劇も、、、すべて大事です。
その仕事に対して「今はそんな時ではない」というのは、まさに「今」のこのような状況の中で、もっとも有害な心ない態度だと僕は思う。
自粛なんかすんな!!!!
んで、同時にこんな意見もあるのですよ。
YouTubeのコメントより(引用)ーーーーーーーーーーーー
「世界へ向けた素晴らしいプロジェクトだと思います。 TVや新聞・ニュースでさんざんの映像や写真を見ることがあり、 あまりの多さにPTSDも心配されています。 もう、見あきた。もうさんざんだ。という方も多いと思います。 しかしながら、これらの写真は決して過去の出来事ではありません。 先日災害記録ボランティアで9日間にわたって被災地を歩きまわり、 いろいろな方に話を伺い、そして撮影してきました。 そこで感じた被災地の現実・・・ まだまだ復興への一歩を歩み始めたとは言い難い状況です。 出来ることならすべての人に被災地に立ち感じ・考えてほしい。 これから先、復興への道のりが相当長いであろうと痛切に感じます。 そんな中、これらの写真は単なる記録にとどまらず様々なことを伝 えてくれます。 被災という現実、自然の恐怖、人間の無力さ・・・ 撮影者が感じた想い、メッセージ、 被災者の方の悲しみ、苦脳、努力、優しさ、そして希望・・・ 世界中の人たちがこの映像を見ることで被災者の心に寄り添い、 さまざまな思いを感じ、同苦し考えることが必要だと思います。」
Ichigoichie151e 14 時間前 3
「「前を向いて」、「ポジティブに!」と我々は早く笑っていられるようになれたらいいですね。でも、「復興が進んでいます!」って言ったって、それは取り返しがつかない2万人の犠牲者の上にでしょ。 。
そんな風に人生を楽しめるようにならないといけないし、応援しなくちゃいけないけど…。
この苦しみにフタをして前に進む事なんて出来るのかな…。今は苦しみながら笑う事を学ぶしかないんじゃないかって思います。
僕は明日を生きる為に、現実と向き合いたいと思います。」
Tadpole2316 14 時間前 5
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上
うれしいね。
時の翼に乗って悲しみは飛び去る。【ラ・フォンテーヌ】
3/11 Tsunami Photo Project
2011年5月10日火曜日
Project Cannikin について
先日、電車の中で学生らしき若者がこんな会話をしておりました。
「・・・つか、人間がさ、今まで自分たちで地震なんか起こしたことあるわけねぇし」
「あるかもよ」
「んなのねぇし、お前さ、地震起こすのドンだけエネルギー必要だか知ってんの?俺、理系っすよ」
「むり?」
「むり」
この子達に教えてあげたいな。「プロジェクト・カニキン」のこと。
<Project Cannikin >
1971年11月6日アメリカのアラスカ州アムチトカ島(孤島)で核兵器スパルタンミサイルW71核弾頭(核出力5Mt)を使い地下実験した。
ちなみに広島で落とされた核兵器はリトルボーイ(15kt)。
5Mtは15ktの単純計算で330倍の破壊力がある。
「地下1860メートルで核爆発」させたにも関わらず、地表面にあるもの全てをバウンドさせてた。「マグニチュード7.0」を記録。
これは、深海に場所を移しても、「地球探査船」と「ボーリング」で10000メートルも可能だと思われる。
Amchitka was selected by the United States Atomic Energy Commission to be the site for underground detonations of nuclear weapons. Three such tests were carried out: Long Shot, an 80-kilotonne (330 TJ) blast in 1965; Milrow, a 1-megaton (4.2 PJ) blast in 1969; and Cannikin in 1971 – at 5 Mt (21 PJ), the largest underground test ever conducted by the United States. The tests were highly controversial, with environmental groups fearing that the Cannikin explosion, in particular, would cause(発生させる) severe earthquakes (地震)and tsunamis(津波).
とまぁ、こんな解説がされている七十年代の実験です。ここでわかることは、地震も津波も人間の意志で産み出すことは可能だということです。
世の中で「トンデモ」扱いされる人工地震ですが、その存在は知っておいた方がいい。なぜならこれは公然の事実であり、あり得ないのではなく、あり得ることだからです。
どなたかが仰った「これまで人類が地震を発生させたことはない」という言説は明らかにミスリードです。
ビンラディンの件でも、報道されたニュースをもはやまともに受け取る人間は数少ないことでしょう。原発の件でも、政府の発表もマスメディアの報告も話半分に聞くほかなくなってきています。自らの頭で点と点を結び、あらゆる可能性に対して自らを開いていくしか、現実に起こっていることに気付く契機はないのかもしれない。
たとえば、福島第一原発の三号機の爆発の映像はテレビでは音がありませんでしたが、外国メディアの映像では音が入っています。しかも、三回爆発音が入っていますよ。建屋内に溜まった水素だけの水素爆発で三回連続爆発するはずがありません。
たとえば、911にしてもハリケーン・カトリーナにしても、311にしても、その後で何が起こったか。
たとえば、日本の第一次産業は今破壊され尽くされようとしているのではないですか。東北の太平洋岸の米所が地震と津波でやられ、新潟の米生産者が例年より多く米を生産しようとしていたところ、国からまったがかかり「減反」を余儀なくされたそうです。米の生産が減った上で更に減反を要求するこの国は誰のためにあるんだろうか。野菜の生産は放射線による風評と自粛により壊滅状態、食肉は近年の口蹄疫等の問題ですでに打撃を受けている上にO111の生肉事件が起こっています。
TPP参加にこれほど一気に条件がそろうとは思ってもみませんでした。もちろん、TPPだけではありません、こうした一連の出来事で実際大儲けする連中がいる。常に同一の連中が。
清志郎が「二十一世紀に入ったら戦争がなくなると思っていたけど、ぜんぜんなくならねぇじゃん!」と言ったけど、むしろ事態は世界が急激に巨大な戦争に向かっているような気がしてなりません。
三月十一日を境に日本はこれまでと違う現実に入ったのだと思います。
津波で何万という人々が一瞬にして亡くなり、原発二十キロ圏内の立ち入り禁止地区「ゾーン」なんてものは、SFの世界でしか想像することのできなかったものです。ですが、これは現実だ。まぎれもない事実だ。二十キロ圏内のゾーンには今もなお留まっている人々がいます。忘れまい。
世界が急激にどこへ向かっているのか。アメリカは国債デフォルト(債務不履行)を八月まで延ばしました。この国家的経営破綻の結果何が起こるのだろうか。更なる民営化を推し進める日本は、アメリカ同様「国民皆保険制度」「年金制度」を近い将来断ち切ってしまうのだろうか。
いずれにせよ、大切なことは「今日の放射線量」に一喜一憂するのではなく、東電や現政権の悪口を垂れ流すのではなく、渋谷辺りで面白おかしく大騒ぎのデモを起こして警察を動かす愚を晒すのではなく、小さな点と点を積極的に結び、あらゆる可能性をシュミレーションすること。
そして、二十キロ圏内にいる人々を忘れないこと。嘲笑ったり、怯えたりしないこと。吹き込まれた常識に固執しないこと。
だから、いつでも人間が起こしうる人工地震の事実は知っておいた方がよい。罰当たりですか?
僕は必要なことだと思うよ。こうして僕たちは有益な情報を共有し合うことができるはずです。
Hydrogen Bomb Underground Test Detonation - Project Cannikin
Amchitka : Cannikin
Amchitka Underground Test Site |
「・・・つか、人間がさ、今まで自分たちで地震なんか起こしたことあるわけねぇし」
「あるかもよ」
「んなのねぇし、お前さ、地震起こすのドンだけエネルギー必要だか知ってんの?俺、理系っすよ」
「むり?」
「むり」
この子達に教えてあげたいな。「プロジェクト・カニキン」のこと。
<Project Cannikin >
1971年11月6日アメリカのアラスカ州アムチトカ島(孤島)で核兵器スパルタンミサイルW71核弾頭(核出力5Mt)を使い地下実験した。
ちなみに広島で落とされた核兵器はリトルボーイ(15kt)。
5Mtは15ktの単純計算で330倍の破壊力がある。
「地下1860メートルで核爆発」させたにも関わらず、地表面にあるもの全てをバウンドさせてた。「マグニチュード7.0」を記録。
これは、深海に場所を移しても、「地球探査船」と「ボーリング」で10000メートルも可能だと思われる。
Amchitka was selected by the United States Atomic Energy Commission to be the site for underground detonations of nuclear weapons. Three such tests were carried out: Long Shot, an 80-kilotonne (330 TJ) blast in 1965; Milrow, a 1-megaton (4.2 PJ) blast in 1969; and Cannikin in 1971 – at 5 Mt (21 PJ), the largest underground test ever conducted by the United States. The tests were highly controversial, with environmental groups fearing that the Cannikin explosion, in particular, would cause(発生させる) severe earthquakes (地震)and tsunamis(津波).
とまぁ、こんな解説がされている七十年代の実験です。ここでわかることは、地震も津波も人間の意志で産み出すことは可能だということです。
世の中で「トンデモ」扱いされる人工地震ですが、その存在は知っておいた方がいい。なぜならこれは公然の事実であり、あり得ないのではなく、あり得ることだからです。
どなたかが仰った「これまで人類が地震を発生させたことはない」という言説は明らかにミスリードです。
ビンラディンの件でも、報道されたニュースをもはやまともに受け取る人間は数少ないことでしょう。原発の件でも、政府の発表もマスメディアの報告も話半分に聞くほかなくなってきています。自らの頭で点と点を結び、あらゆる可能性に対して自らを開いていくしか、現実に起こっていることに気付く契機はないのかもしれない。
たとえば、福島第一原発の三号機の爆発の映像はテレビでは音がありませんでしたが、外国メディアの映像では音が入っています。しかも、三回爆発音が入っていますよ。建屋内に溜まった水素だけの水素爆発で三回連続爆発するはずがありません。
たとえば、911にしてもハリケーン・カトリーナにしても、311にしても、その後で何が起こったか。
たとえば、日本の第一次産業は今破壊され尽くされようとしているのではないですか。東北の太平洋岸の米所が地震と津波でやられ、新潟の米生産者が例年より多く米を生産しようとしていたところ、国からまったがかかり「減反」を余儀なくされたそうです。米の生産が減った上で更に減反を要求するこの国は誰のためにあるんだろうか。野菜の生産は放射線による風評と自粛により壊滅状態、食肉は近年の口蹄疫等の問題ですでに打撃を受けている上にO111の生肉事件が起こっています。
TPP参加にこれほど一気に条件がそろうとは思ってもみませんでした。もちろん、TPPだけではありません、こうした一連の出来事で実際大儲けする連中がいる。常に同一の連中が。
清志郎が「二十一世紀に入ったら戦争がなくなると思っていたけど、ぜんぜんなくならねぇじゃん!」と言ったけど、むしろ事態は世界が急激に巨大な戦争に向かっているような気がしてなりません。
三月十一日を境に日本はこれまでと違う現実に入ったのだと思います。
津波で何万という人々が一瞬にして亡くなり、原発二十キロ圏内の立ち入り禁止地区「ゾーン」なんてものは、SFの世界でしか想像することのできなかったものです。ですが、これは現実だ。まぎれもない事実だ。二十キロ圏内のゾーンには今もなお留まっている人々がいます。忘れまい。
世界が急激にどこへ向かっているのか。アメリカは国債デフォルト(債務不履行)を八月まで延ばしました。この国家的経営破綻の結果何が起こるのだろうか。更なる民営化を推し進める日本は、アメリカ同様「国民皆保険制度」「年金制度」を近い将来断ち切ってしまうのだろうか。
いずれにせよ、大切なことは「今日の放射線量」に一喜一憂するのではなく、東電や現政権の悪口を垂れ流すのではなく、渋谷辺りで面白おかしく大騒ぎのデモを起こして警察を動かす愚を晒すのではなく、小さな点と点を積極的に結び、あらゆる可能性をシュミレーションすること。
そして、二十キロ圏内にいる人々を忘れないこと。嘲笑ったり、怯えたりしないこと。吹き込まれた常識に固執しないこと。
だから、いつでも人間が起こしうる人工地震の事実は知っておいた方がよい。罰当たりですか?
僕は必要なことだと思うよ。こうして僕たちは有益な情報を共有し合うことができるはずです。
Hydrogen Bomb Underground Test Detonation - Project Cannikin
Amchitka : Cannikin
登録:
投稿 (Atom)