彼は何故、アラスカの荒野で最期を遂げたのか。
彼の足跡を追った『Into the Wild』は最初本として出版され、やがて、ショーン・ペンによって映画化され、近年のハリウッド映画とは一線を画す、アメリカン・ニューシネマの匂いで満ちあふれた作品として陽の目を見ることになった。
荒野に憧れ、荒野に死すというのは、ヘンリー・ソロー以来アメリカ人の中に在るある種のDNAのように強く彼らの精神構造を創り上げているものかもしれない。
現在のような、拝金主義の新自由主義に踊るアメリカ人は己のDNAを無視し、どこかで確実に歪みを生じさせているような気がしてならない。
彼らは本来荒野に憧れ荒野に向かう人々なのだと、僕は思う。
僕にナイフの素晴らしさを教えてくれたのは、やはりアメリカ人だった。
その意味で無駄死にしたかのように見えるクリス・マッキャンドレスというこの青年の生涯はまさにアメリカ人魂そのものだったのではないだろうか。
親子の鹿に食料のために銃口を彼は向けることができなかった。
旅の先々で、人々と豊かに交流した。
そして何よりも、彼は決して愚か者ではなかった。
僕はふいに思うのです。
日本の引き籠もりの若者たちのことを。
彼らを役立たず、などと呼ぶのは簡単ですが、本来日本人というのは、荒野へ向かうより、家の中でゴロゴロしているDNAの人々だったのはないですか?
朝から晩まで金融や株式のことで頭がいっぱいなんていう日本人は本来いなかったわけで、ほっときゃゴロゴロゴロゴロしてたわけです。
クリス・マッキャンドレスが日本人だったら、ひょっとしたら引き籠もっていたかも、なんて妄想してしまう自分がいます。
結局、荒野へ向かう非常識に思える行動も、引き籠もって非生産的に思える行動も、とどのつまりは、現在僕らを取り巻く異様な金銭的価値観に対する抵抗だったのではないですか?
アラスカのへんぴなところで餓死したこの若者をヒーローにする必要はないけれど、下らないと嘲笑う必要もありません。
彼の物語を冷ややかに笑う態度こそ、現代の価値観に完全にやられている病の兆候かもしれません。
僕は「Into the Wild」が大好きだなぁ☆
"Ballad of Chris McCandless" By Ellis Paul