Woody Allen & his Wife
"Chapter one. ""He adored New York City.
He idolised it all out of proportion. "
Uh, no. Make that "He romanticised it
all out of proportion. "
"To him,
no matter what the season was,
this was still a town
that existed in black and white
and pulsated to the great tunes
of George Gershwin. "
Uh... no. Let me start this over.
"Chapter one. "
"He was too romantic about Manhattan,
as he was about everything else. "
"He thrived on the hustle, bustle
of the crowds and the traffic. "
"To him, New York
meant beautiful women
and street-smart guys
who seemed to know all the angles. "
Ah, corny. Too corny
for a man of my taste.
Let me... try and make it more profound.
"Chapter one. He adored New York City. "
"To him, it was a metaphor
for the decay of contemporary culture. "
"The same lack of integrity to cause so
many people to take the easy way out...
... was rapidly turning the town
of his dreams..."
No, it's gonna be too preachy. I mean,
face it, I wanna sell some books here.
"Chapter one. He adored New York City,
although to him it was a metaphor
for the decay of contemporary culture. "
"How hard it was to exist in a society
desensitised by drugs, loud music,
television, crime, garbage..."
Too angry. I don't wanna be angry.
"Chapter one. "
"He was as tough and romantic
as the city he loved. "
"Behind his black-rimmed glasses was
the coiled sexual power of a jungle cat. "
I love this.
"New York was his town
and it always would be. "
- Quoted from Woody Allen’s “ Manhattan”-1979
九十年代初頭、まだ911など夢にも思わなかった頃、僕はニューヨークでウッディ・アレンと遭遇した。
それは、まったくの偶然でしたが、素晴らしい出逢いでした。
その頃彼は、若いアジア系の養女にしたお嬢さんと正式に再婚するという複雑な状況にあって、通りを歩いていても、ユダヤ人嫌いや嫉妬に駆られた連中が誹謗中傷を投げかけていました。
まさに、彼とセントラルパーク・イーストの近代美術館そばで会ったときもそうでした。妻と手を繋いで背中を丸めて歩く初老のウッディに、通りに立つ人々、特に男たちが心ない罵声を聞こえよがしに浴びせていました。
だから、僕が彼の肩に触れ、話しかけたとき、ドキッとして身を固くしたのを覚えています。
少し怯えた感じで振り返ったウッディ・アレンに対し、メディアの人間ではなく、個人的にお話しできないか尋ねると“Sure!”と優しい返事が返ってきました。
それから、妻を紹介し、少しばかり立ち話しに付き合って頂いたのです。
当時、映画で嫌な思いをしていた僕は、演劇にもう一度どう取り組んでいいか迷っている時期でもありました。
そんなとき、たまたま出会ったドラマの先輩(といっても父と子ほどの年齢差はあるんですけど)にいろいろ訊いてみたいことは沢山ありました。でも、僕が訊いたのは次のようなことだった。
「これからもずっとニューヨークを描き続けるんですか?」
一瞬、目を見開いた彼は「当たり前じゃないか」とでも言うようにニッコリ微笑んだ。
やがて、僕は気づくんですが、ドラマって人間を描くものではありますが、同時にそれは時代と場所、特に「場所」を描くものなんだな。場所こそがドラマを生みだし存在させるんです。
ウッディ・アレンにとってのニューヨークは、僕にとっては岩手の一関であり、東京の西荻窪や吉祥寺や高円寺なんですね。
やがて気がつくこんなことやあんなことは、ニューヨークでの彼との立ち話しがきっかけになっているような気がします。不思議だね、ただの立ち話しだったのに。
数年前、ウッディは七十になり、インタビュアーに「若い頃とは違って随分いろいろなことがわかってきたんでしょうねぇ?」と訊かれ、「いや、な~んにもわからない」と答えたそうです。
七十になったからといって世界が違って見えるわけじゃない。
むしろ、七十になっても、結局変わらないものだけが重要なんだと思う。
彼がインタビューで言いたかったのはそんなことじゃないだろうか?
カリフォルニアや、場合によってはパリで映画を撮ることもある彼ですが、結局の所ニューヨークではじまりニューヨークこそ彼の描くべき場所なのでしょう。
その街に対する複雑な気持ちを「マンハッタン」という映画の冒頭で、作家が文章の出だしをレコーダーに吹き込んでいるという趣向で表現しています。バックに流れるガーシュインはニューヨークという街に対するフェティッシュな愛情の象徴なのでしょう。
この映画が公開されて十数年後、その作者と道端で楽しくお話しできたことはとても貴重な想い出です。
今のアメリカの変貌ぶりを彼は、現在どう思っているでしょう?
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