『まにあうかもしれない』
吉田拓郎
作詞 岡本おさみ
作曲 吉田拓郎
僕は僕なりに自由に振るまってきたし
僕なりに生きてきたんだと思う
だけど だけど理由もなく
めいった気分になるのはなぜだろう
思ってる事とやってる事の
違う事へのいらだちだったのか
だから僕は自由さをとりもどそうと
自分を軽蔑して 自分を追いこんで
なんだか自由になったように
意気がっていたのかも知れないんだ
まにあうかもしれない 今なら
今の自分を捨てるのは 今なんだ
まにあわせなくては 今すぐ
陽気になれるだろう 今なら
大切なのは思い切ること
大切なのは捨て去ること
そうすりゃ自由になれるなんて
思っている程甘くはないけれど
だけど今は捨て去ることで
少し位はよくなると思えるんだ
まにあうかもしれない今なら
まにあうかもしれない 今すぐ
なんだか自由になったように
意気がっていたのかも知れないんだ
まにあうかもしれない今なら
今の自分を捨てるのは 今なんだ
はじめてこの歌を聴き、ギターを駅前の質屋の宝屋で買って、友達と歌ったのは中学二年だった。親父のクラシックギターを質に入れて、フォークギターを買ったんだ。
勿論、頭ん中は吉田拓郎から、やがてボブ・ディランへ一足飛びだった。
ギター弾きはじめた中坊に、歌詞の持つ本当の意味なんかわかるわけがない。わからないけど、いい歌だ、とは思っていたんだな。ガキはガキなりに。
何となくさっき、部屋の隅っこに未だに置いてあるあの時のギターを取りだして、弾いてみた。ウアッ!弾・け・るゥ~。
中学二年の文化祭以来だというのに、今も弾ける自分に驚く。三つ子の魂百までも、だね。「ボク~はボクなりに自由にふるまってきたし~♪」完璧。
やがて、すぐに僕の青春はロックへ移行していくんだけれど、拓郎や泉谷や陽水や岡林・・・忘れるわけがない。絶対に。
だって「言葉」というものの強さに気づかせてくれ、「言葉」を使うこと、つまり文学や演劇に誘ってくれたのも、彼らの音楽だったから。
僕は未だにこの世を彷徨い歩いているけれど、そうだ、まだまにあうかもしれない☆
今の自分を捨てるのは今なんだ、というメッセージは今こそ僕に伝わっている。
十四歳で出会って、五十歳になって、その本当の意味を知る。
ああ、情けない。
でもそれが事実だよ。
だから、
まにあうかもしれない。今なら。
まにあうかもしれない。今すぐ。
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