エイゼンシュタイン
Sergei Mikhailovich Eisenstein (Russian: Сергей Михайлович Эйзенштейн Sergej Mihajlovič Ejzenštejn; January 23, 1898 – February 11, 1948) was a revolutionary Soviet Russian film director and film theorist noted in particular for his silent films Strike, Battleship Potemkin and October, as well as historical epics Alexander Nevsky and Ivan the Terrible.
「~は亜流だ」という表現は、なにかを表現しようと思う者にとって、決して褒め言葉ではないだろう。
ですが、僕はこの「亜流ーエピゴーネン」という言葉を褒め言葉としてとらえてみたい。
かつて書いたように、僕らはいつの頃からか「新しさの病」に取り憑かれている。それはまるで熱病のように人の心の中にはびこるので、それを批判する者はあたかも単なるひねくれ者のような感じさえしてくる。
「新しさ」を無用に無反省に求める態度は、無思考状態の無意識の現れであると思います。
なぜなら、僕らにできることは、新しいことを生むことではなく、これまで気がつかなかったことに気づくことだからです。すべては、最初から存在し、目の前にあるにもかかわらず、僕らが常に見ようとしないから見えないだけなのです。それこそ、知覚における無意識の取捨選択と同じ事です。僕らはたえず無意識のうちに見るものと無視するものを選んでいるんですね。
その線で言えば、「新しい!」などと自画自賛することほど恥ずかしいことはありません。それは己の無知と、その己の無知に対して無自覚であることを露呈しているからです。
だからこそ、僕はこう言いたい。
この世界は「亜流ーエピゴーネン」で溢れている。
或いは、正しくエピゴーネンであろうとすることこそ、正しい創作態度である、と。
僕たちは正しく引用し、正しく先駆者たちにリスペクトを示さなければならない。
その先駆者と言えど、必ずその前に何らかの先駆者がいたのである。従って、このリスペクトする真摯な態度こそが、真の創作態度といえるのでないだろうか。
新しさを殊更標榜することは、恥知らずの傲慢さである。そこにはリスペクトする真摯で謙虚な態度が皆無だからだ。まずは先駆者たちに対するリスペクトからはじめたい。それこそが、学習と修練と呼ばれるものなのではないか。
僕はそう思う。
エピゴーネンの力強い例をひとつあげよう!
映画の、特に劇映画の文法の創始者といわれるセルゲイ・エイゼンシュタインの代表作「戦艦ポチョムキン」と、ブライアン・デ・パルマの「アンタッチャブル」のワンシーン。
有名な「階段落ち」と呼ばれるシーンですが、デ・パルマは当初もっと派手なシーンを予定していながら予算の関係上、この階段落ちを思いついたということになっています。
ですが、これは意図的な引用であり、パロディー以上に正しくエピゴーネンであろうとした監督の意図を感じます。
引用であることを知らなければ「不安」を覚え、引用を知っていれば更に「戦慄」を覚えるシーンになっています。
僕らは、みなひとつの「亜流(エピゴーネン)」である。
「戦艦ポチョムキン」1925
「アンタッチャブル」1987
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