小津安二郎(1903~1963)
小津安二郎の映画を「反復とずれ」という言葉で要約した吉田喜重は、確かな目で小津という松竹における先輩監督を見つめていたと思う。
その後、既成の監督たちに反旗を翻し、「松竹ヌーベルバーグ」の名の下に、大島渚らと一緒に松竹を飛び出した吉田喜重監督にとって、松竹映画の中の松竹映画である小津作品を評価するということは、自分の過去の欠落部分を埋める作業だったに違いない。
生意気なことを言わせてもらえれば、失われているものに対する再評価こそ、その時代の最も新しいカッティング・エッジなのだと思う。
「温故知新」とはよく言ったもので、古きを知る以外に前へ進む手立てがないのである。
本日の大学の講義のテーマは「反復とずれ」。
小津の映画と吉田の評論をベースに、自分自身の「反復とずれ」論を語る予定です。
要するに、ワンパターンだとか、変わり映えしないなんてことは本来ないはずなのだ。それは、人は繰り返そうと思いながら、繰り返すことができないから。
つまり、反復には限界があるということ。ワンパターンになりたくても、実際はなれない。
僕らは、たえずずれるから。
繰り返し反復することができないからこそ、あえて繰り返そうと反復することには意味がある。その生じるずれこそが、かけがえのない真実だから。一回こっきりの二度と現れることのない真実だから。
このように僕たちは、ワンパターンの日常を繰り返し過ごしながら、決して同じではあり得ない貴重な人生時間を一瞬一瞬生きていることに気がつくのでしょう。
「反復」と「ずれ」こそ僕らのリアルの本質じゃないかな。
だからこそ、しっかり繰り返しましょうよ!
そして、ずれを実感しましょう!
明日は今日と同じには決してならない。
今日が昨日と違うように。
ワンパターン映画と長い間評価の低かった小津映画は、そんな反復とずれを実践した類い希な作品なんだなぁ。
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