1974年頃
「生活の柄」
歌詞・山之口貘 作曲・高田渡
歩き疲れては、夜空と陸との隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです。ところかまわず寝たのです
歩き、疲れては、草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ、寝たのですが眠れないのです
近頃は眠れない。陸を敷いては眠れない
夜空の下では眠れない
揺り起こされては眠れない
歩き、疲れては、草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ、寝たのですが、眠れないのです。
そんな僕の生活の柄が夏向きなのでしょうか
そんな僕の生活の柄が夏向きなのでしょうか
寝たかと思うと寝たかと思うと
またも冷気にからかわれて、
秋は秋からは、
浮浪者のままでは眠れない。
秋は秋からは、
浮浪者のままでは眠れない。
高田渡さんの「武蔵野タンポポ団」のコンサートに行ったのは中学二年の秋でした。
吉祥寺を思うとき、高田さんを忘れるわけにはいきません。
「生活の柄」は明治から昭和にかけて生きた現代詩人・山之口貘の詩に高田さんが曲を付けたものでした。他にも金子光晴なんかの詩に曲を付けています。まさに吉祥寺そのものだと思うんです、その不思議なほど音楽家でありながら同時に文学に入り込んでいく様子が。
父親が元共産党員だったというのもあるのでしょう、高田さんの歌は時に非常に政治的なものがありました。しかし、それがわざとらしいプロパガンダにならない、どこか笑っちゃう大らかさがありました。
そして、焼き鳥の「いせや」。
今では改装もすっかり終わり新しく生まれ変わった吉祥寺の名物焼鳥屋ですが、この店こそ高田渡という伝説のフォークシンガーを発見できる場所でもありました。
僕が中学の時に観た時には、高田さんは髪が黒々として、無精髭も黒く濃い彫りの深い人でした。
だから、遠くからでも顔がはっきりわかった。
「生活の柄」を聴くと、ホイットマンの「草の葉」を読んだときのような感覚を覚えます。
幼い頃、言葉(歌詞)とカントリー調のメロディーで、のんびりした気楽な感じに聞こえていたこの歌の核には、今まさにこの世界を覆い尽くしている「拝金主義的」価値観に対する「否」No!が示されています。
金融資本主義が蔓延し、格差の固定化と、非人間的な「卑怯者」の時代にあって、高田渡という人は、長く生き続けることはできなかったのかもしれません。56歳という若さで逝った彼は、相変わらず「生活の柄」を歌い、深く絶望しつつ、希望も捨てることはなかったのでしょう。
というのも、亡くなる直前に、彼は洗礼を受け、パウロという名を頂き、それまでの生きるスタンスとはまた違った生き方へ転換しようとしていた矢先の死だったのです。宗教にすがったというより、宗教をも自己の人生に受け入れようとした新たな展開だったのかもしれません。
いずれにせよ「生活の柄」。
この歌は、特に高田渡という特異な歌手の人生を通じて歌われ、今もなお、そしてこれから未来に渡っても、確実に歌い継がれていくであろう曲です。
この辺で、自分自身の「生活の柄」を、今一度見直してみてもいい時期じゃないかな。
本当に、吉祥寺は「詩」と「音楽」の街だな。
高田渡さんの「武蔵野タンポポ団」のコンサートに行ったのは中学二年の秋でした。
吉祥寺を思うとき、高田さんを忘れるわけにはいきません。
「生活の柄」は明治から昭和にかけて生きた現代詩人・山之口貘の詩に高田さんが曲を付けたものでした。他にも金子光晴なんかの詩に曲を付けています。まさに吉祥寺そのものだと思うんです、その不思議なほど音楽家でありながら同時に文学に入り込んでいく様子が。
父親が元共産党員だったというのもあるのでしょう、高田さんの歌は時に非常に政治的なものがありました。しかし、それがわざとらしいプロパガンダにならない、どこか笑っちゃう大らかさがありました。
そして、焼き鳥の「いせや」。
今では改装もすっかり終わり新しく生まれ変わった吉祥寺の名物焼鳥屋ですが、この店こそ高田渡という伝説のフォークシンガーを発見できる場所でもありました。
僕が中学の時に観た時には、高田さんは髪が黒々として、無精髭も黒く濃い彫りの深い人でした。
だから、遠くからでも顔がはっきりわかった。
「生活の柄」を聴くと、ホイットマンの「草の葉」を読んだときのような感覚を覚えます。
幼い頃、言葉(歌詞)とカントリー調のメロディーで、のんびりした気楽な感じに聞こえていたこの歌の核には、今まさにこの世界を覆い尽くしている「拝金主義的」価値観に対する「否」No!が示されています。
金融資本主義が蔓延し、格差の固定化と、非人間的な「卑怯者」の時代にあって、高田渡という人は、長く生き続けることはできなかったのかもしれません。56歳という若さで逝った彼は、相変わらず「生活の柄」を歌い、深く絶望しつつ、希望も捨てることはなかったのでしょう。
というのも、亡くなる直前に、彼は洗礼を受け、パウロという名を頂き、それまでの生きるスタンスとはまた違った生き方へ転換しようとしていた矢先の死だったのです。宗教にすがったというより、宗教をも自己の人生に受け入れようとした新たな展開だったのかもしれません。
いずれにせよ「生活の柄」。
この歌は、特に高田渡という特異な歌手の人生を通じて歌われ、今もなお、そしてこれから未来に渡っても、確実に歌い継がれていくであろう曲です。
この辺で、自分自身の「生活の柄」を、今一度見直してみてもいい時期じゃないかな。
本当に、吉祥寺は「詩」と「音楽」の街だな。
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