2009年7月7日火曜日

スミスとウェッソンと俺


Sudden Impact: ”Dirty Harry“ Directed by Clint Eastwood 1983

今でこそ巨匠として崇められる存在になったクリント・イーストウッドです、その監督としてのキャリアは七十年代の名作「ダーティ・ハリー」でドン・シーゲル監督の代わりに映画の一部を演出・監督するところからはじまりました。

彼の作品は、よく骨太だと言われますが、どこか黒澤明に通じる「保守的父性回帰」というような男臭さと政治的右の香りが漂っています。頑固なほど初期の段階から彼の作品は常にほぼ同じ雰囲気を発し続けていて、その保守主義的傾向故に、レッドフォードの作り出すリベラルな作品より商品価値としては高く評価されているのかもしれません。勿論、レッドフォードの作品を僕は敬愛するものですが。
その意味では、レッドフォード作品の対極にあるイーストウッドの映画作品は社会的な認知のみならず、「受け入れられやすさ」という娯楽作品の重要な要素を満たしているんだと思います。
ただ二人の共通部分をあえてあげれば、「国家に対する不信」という点だと思われます。官僚や一部の政治家主導の国家体制に対する嫌悪感は、この二人の右と左を共通の地盤に立たせるんです。

僕は前々から思っているのですが、彼の作品はアメリカの保守層に支持されるばかりでなく、外国の日本人にさえ、共感できる様々な要素で出来上がっているような気がします。
「許されざる者」しかり「硫黄島」しかりです。

さて、これからもイーストウッドの作品は機会を見つけて語っていきたいと思いますが、今日扱いたいのは「ダーティ・ハリー:サドゥン・インパクト」です。

イーストウッドの作品は、切ない男のやりきれなさや、どうしようもない絶望的な社会の在り方等を描きますが、同時に「笑い」もあるんです。眉間に皺を寄せて、いつものどこか「まぶしそうな」表情でクールなギャグをぶちかましてくれます。
たとえば、これ。

Crook: [during a diner robbery] What's you doing, you pighead sucka?
Harry Callahan: Every day for the past ten years, Loretta here's been giving me a large black coffee- except today she gives me a large black coffee and it has sugar in it. Alotta sugar. I just came back to complain.
Crook: Say what, sucka?
Harry Callahan: Well, we're not just gonna let you walk out of here.
Crook: Who'se we sucka?
Harry Callahan: [slowly drawing his .44 Magnum] Smith and Wesson... and me.

レストランに入った強盗とのやりとり。
で、ハリーが店員のロレッタがいつもとちがってとんでもない量の砂糖をコーヒーに入れたから文句を言いに戻ってきた、と言います。強盗が「なんだって?」というと、ハリーが「だから、俺たちはおまえらをここから出さないってことさ」「お、俺たちって誰よ?」すると、ハリーは拳銃を出しながら言う。
「スミスとウェッソンと・・・俺だよ」
ナイスッ☆
ちなみに彼の持っている拳銃がSmith & Wesson社の44 Magnamという奴です。

で、このシーン最後に来るのが有名な次の科白だ。

[Callahan dares a crook to shoot his hostage]
Harry Callahan: Go ahead, make my day.

人質を撃っても平気な感じで、「おお、やってくれ、今日は最高の日だぜ・・・」
なんて言うわけさ。でもって、犯人はビビルというわけです。

たぶんこういうノリは、イーストウッドがジャズ・ピアニストでもあるという側面から発しているのかもしれません。ここんとこ書いてきた音楽性とドラマ性の関連に関しては重要な部分があると僕は考えています。
演劇で最近音楽が大量に使われる傾向が出てきましたが、果たして効果音や背景音を越えて音楽を重要視する舞台がどれだけあるだろうか?
音楽性はリズムであり、音楽性は音楽だけに留まりません。音楽は言葉遣いにも現れている。言葉を発し、そこから生まれる間や、瞬間の意思の疎通の仕方、そんなものがすべて音楽性から発しているのだと僕は思っています。
人間がコミュニケーション不全であることを前提に物語がすすむ昨今の日本の芝居の多くは、大量に音楽を使うわりには、実際音楽的には貧困なのではないでしょうか。
なぜなら、人が(登場人物が)向き合って会話を成立させようとする真摯な態度が失われているからです。その点、保守のイーストウッドから学ぶべき点は多々あると思います。こういう映画をきちんと観るべきなんだ。俺はそう思う。

イーストウッドの音楽とは無関係の、それもアクション映画の「やりとり」から、ジャズのセッションを感じてしまうんですが。
音楽って、こんなところに現れるんじゃないッスか?

A Scene from“ Sudden Impact ”: Dirty Harry

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