ジャスミン革命 (ジャスミンかくめい、Jasmine Revolution, アラビア語: ثورة الياسمين; thawrat al-yāsmīn) とは、2010年から2011年にかけてチュニジアで起こった革命 (民主化運動)。 一青年の焼身自殺事件に端を発する反政府デモが国内全土に拡大し、軍部の離反によりザイン・アル=アービディーン・ベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命し、23年間続いた政権が崩壊した事件である。ジャスミンがチュニジアを代表する花であることから、このような名前がネットを中心に命名された。
この民主化運動はチュニジアにとどまらず、エジプトなど他のアラブ諸国へも広がり、各国で長期独裁政権に対する国民の不満と結びつき、数々の政変や政治改革を引き起こした。
一連の暴動では情報共有のため、Facebookなどを通じたインターネットによる情報交換が力を発揮したほか、YoutubeやTwitter、WikiLeaksといったネットメディアも重要な役割を果たしたという意見がある。<wikipedia より>
今、スペイン全土で激しいデモが行われている。各地で数千人規模から数万人、総計では膨大な人数になるだろう。
中東を中心に起こった民主化を求めたいわゆる「ジャスミン革命」は独裁国家を打ち倒し民主化したと言われてはいるが、実際は反米イスラム国家を産み出している。というのも、エジプトのムバラクを見ても明確だが、チリのピノチェトにしても独裁者と呼ばれる者たちの多くは、よくよく見てみれば実は親米である。そうした国の政体が変わるということは、表面に見える以外の別の意味がありそうだ。今中東アラブ諸国はイスラムかが進んでいるのだ。イスラエルを囲むようにして。
そこでスペインだが、スペインの事情は少し違っているようだ。
すでに民主国家であるスペインは民主化する必要などないが、国内の経済状況がかなり荒廃してきているのだ。実に国民の20%が失業している。五人に一人が仕事を失っているのだ。更に追い打ちをかけるように住宅ローンをはじめとするローンに追われ、企業トップと銀行との金融一人勝ち状態になっている。政府は一向に打開策を打ち出さない。寧ろそうした状況を放置している。
こうした政治家や官僚、そして資本家たちによる人でなしな政治体制に対し国家全土で巨大なデモが起こっているというわけだ。
スペインのこうした動きはジャスミン革命の一種ではないという人もいるが、僕はジャスミン革命の変化形と捉えている。
権力を持たない国民にとってデモは社会変革に対する最大のツールだが、非常に危険なツールでもある。なぜなら常に暴動化、若しくは暴徒化する要因を内側に持ち、制御不可能なパワーを持つのが巨大でもである。
エジプトの場合でもTwitterやfacebookが使われて巨大デモが起こったと言われている。先導したのがfacebookを使うgoogleのエジプト支社の人物であったのは偶然だろうか。彼は何者だ?
思い出すのはルーマニアの革命の際、先導した人物たちは実際何者だったのか、未だに謎だということ。独裁者チャウシェスクを人民裁判で裁いた数分後に射殺し、政体ががらりと変わり、ルーマニアはEUに加盟することになる。少なくともEU成立の障害とされたルーマニアは独裁者の死と共にヨーロッパにとって都合の良い政治体制に作り替えられたわけである。民衆は当時、自国がEUに組み込まれるなどと想像もしていなかったのだ。巨大デモの先導者たちは、目的達成の後に姿を消した。信じられないことだが、今、チャウシェスク独裁時代の方が良かったと回想するルーマニア国民も存在するのである。
さて、こうして巨大デモというものは、表面上の目的とは違った目的で動かされる可能性を多分に含んだ危険性の高いものだというのは念頭に置いておくべきだと思う。
日本人は怠惰で消極的でぼんやりしているので、まったくデモがデモにならないという話しも耳にする。
果たしてそうだろうか?
全共闘時代のデモが何かを生んだのだろうか?あの頃の日本人が熱くてまともだったのだろうか?今そうならないことは情けないことなのだろうか?
デモはその大きさ故に方向を必ず見失う。更に目の前の問題のみに囚われれば、本質的な問題から注意がそれてしまう。毎日テレビや新聞で垂れ流されるデタラメな原発のニュースはもはや報道の体をなしてはいないし、情報ではない。もはや残念ながら必要な情報はまったくどこからもやってこないことがわかった。
スペインの様子をテレビも新聞もまったく報道しない。日本は江藤淳さんが生前仰っていたように、完全に言論が封殺された統制国家だったのだと思う。メディアはその意味で一枚岩である。完全な自粛という名の検閲がまかり通っている。
かの国スペインで起こっている社会不安は、この日本にも完全に当てはまることだ。世界中で同じように金融不安と失業、人件費カットの嵐が吹き荒れている。災害もまったく同じように世界各地で起こっている。数日前のアメリカのミズーリで起こった竜巻をある議員はまるで核爆弾が破裂したようだ、と喩えた。
世界で同時多発で同様の事象が今起こっていることに注目したい。
一日中飛行機とヘリコプターの音が鳴り止まない東京で、世界に目を向けている必要があると僕は思う。そして、この国ではまた別の行動をすべきなのだと思う。同じことは同じ結果しか生まないのだ。
東電の前でプラカードを振る前に知っておこう。三月の末の段階ですでに東電の筆頭株主はアライアンス・バーンスタインという外資系ファンドであることを。エネルギー業種を外資に奪われてしまったことは、すでに次にステップがはじまっているということなのだ。
恐らくデモ以外の行動とは、点を線でつなぐ個人的努力とこの時代の価値観にはっきりと「否」を突きつける生き方だと思う。
決してレミングのような「盲目の行進」をしない生き方をしたいと思う。
「改革」や「革命」、そして「変化」という表現は次の危険な一歩への甘い誘惑である。
ミルトン・フリードマンは言った、「変化は極端な災害だけがもたらしてくれる。その時人は思考停止状態だから」と。
Spanish Revolution 2011 Mainstream Media Ignoring the Story
*これを見るとスペインの現状が日本とほとんど同じであることがわかる。
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