今回の記事は一番下の動画を観てから読んで下さいね☆
YouTubeのコメントより(引用)ーーーーーーーーーーーー
「何か上手く言えないが、何か違っている気がする。
作品の意図は何?また、そもそも作品化することが今必要なのか?
悲惨な状況はもう知っている。しかし、悲惨な状況をずっと続けていくことはできない。
前向きに一つひとつ前進することが大切なのに、何か前進が止まっているような風景を見せられて、あきらめの境地にしか思えない。
今は、写真家の作品展に、つきあわされている暇は無いと思う。
他の人が書いている通り、いつか見る時が来ると思うが、今ではないと思う。」
ryuichi4532 14 時間前 in playlist 1105123/11 Tsunami Photo Project 2
「なんというか・・・・
アートのモチーフとしてしか捉えていないような写真が多い
記録を残すことは大切だと思うけど、
功名心とか表現に対する欲求とか
そういう野心的な部分が見えすぎる。
正直あまりいい気分はしないなぁ。」
jimigui1979 15 時間前 27
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上
東日本大震災の写真がYouTubeにアップされていますが、その動画に対するコメントの一部です。コメントなのだから引用お許し下さいね。
引用した責任として、僕もまたこの方達と同様、己の考え方を語らねばならないと思います。
僕はこの方達の感想は当然出てくるだろうと思っていた、まさに思った通りのものだったので、色々と考えてしまったのです。
まず、上の方の「今は、写真家の作品展に、つきあわされている暇は無いと思う。」という考え方は写真を生業にしている人間を完全に誤解していると思われます。この言い方だと戦場でその悲惨な現実を伝える戦場カメラマンの仕事も同様に最低の仕事だと言えますね。写真家は作品展を開いて、被災地で必死に生きる人々をネタに悠長に暮らしているわけではありません。写真を通して現実を伝えるのが彼らの仕事だ。
「何か上手く言えないが、何か違っている気がする。
作品の意図は何?また、そもそも作品化することが今必要なのか?
悲惨な状況はもう知っている。しかし、悲惨な状況をずっと続けていくことはできない。」
しかし「悲惨な状況はもう知っている」というのは当事者であっても、世界はまだこの事実を理解しかねているのです。僕らが六十五年前の戦争の事実を未だに理解できていないのと同様です。更に写真を公表し見ることと、その悲惨な状況をずっと続けていくことは別物です。僕らはなんとしても記憶にとどめなくてはならない。辛い現実から目をそらすことはできない。
「他の人が書いている通り、いつか見る時が来ると思うが、今ではないと思う。」というのは確かに被災地の人々です。ですが、世界の名も知れぬ大勢の人々はこの現実を知らなければならないのです。目をそらさないでください。写真家の仕事をそんなに簡単に否定しないで下さい。そのような否定が「自粛」を生むのだと僕は思う。写真家は写真家の仕事をすればよいのです。教師は教師の仕事をすればよい。歌手は歌手の仕事をすればよい。農家は農業をすればよい。演劇家は演劇をやるのです。
決して他人の仕事を否定しないで下さい。「今はそんな時じゃない」という言葉ほど残酷な言葉はないと思う。この国はかつて大きな戦争をした時も「今はそんな時じゃない」と言ったのです。そして、芸術はすべて否定され、戦争へと向かったのじゃないですか。いつも、いつでも、人は自分に与えられた仕事をすべきなのです。「作品の意図は何?また、そもそも作品化することが今必要なのか?」これは大きな間違い。今必要なのですよ。そして意図は写真という媒体で切り取った一瞬を永遠にしようとする試みでしょう。それは「記憶喪失」や「無責任」に対する戒めでしょう。明らかじゃないか。
下の方。「記録を残すことは大切だと思うけど、功名心とか表現に対する欲求とか、そういう野心的な部分が見えすぎる。正直あまりいい気分はしないなぁ。」
写真家に功名心も表現に対する欲求は当然あるでしょう。野心的だと駄目ですか?いい気分がしないというのは、悲惨な現状を写真に捉えたからですか?見る者の心が掻き乱される作品は常に気分のいいものとは限りません。それこそテレビ的な「ぬるま湯」毒されている兆候のような気がします。ネガティブにも様々な質の違いがあります。生きる気力を萎えさせるもの。立ち上がるべききつい現実や原点を伝えるもの。写真に写るすべての人々が必死に生きようとしているその瞬間だというのは、確実にこちらに伝わってくる。この写真はすべて必要なネガティブです。僕らは決してネガティブな要素を遠ざけてはならないと思います。逆に言えば、誰だってネガティブな現状から立ち上がるしかない、それが人生だったんじゃないのだろうか?
僕は思う。金融工学で大儲けする態度と、被災地に赴き出会った人々の写真を撮る態度と、どちらが意味があるかと言えば「意味」を産み出し、出来事を伝える写真家の態度の方こそ敬意を表すべきものがあると思う。あのウォール街という金融の城がこれまで何かを産み出し何かを伝えたことがあったのか?
心からお願いがある。今のような厳しい時代は芸術家は何か下らない必死さのない無意味なことをしているとこの国ではよく思われるようです。ですが、創造する仕事を軽蔑しないで頂きたい。自粛を強要しないで頂きたい。
自粛する精神が、この国を蝕んでいると僕は思う。写真も音楽も映画も演劇も、、、すべて大事です。
その仕事に対して「今はそんな時ではない」というのは、まさに「今」のこのような状況の中で、もっとも有害な心ない態度だと僕は思う。
自粛なんかすんな!!!!
んで、同時にこんな意見もあるのですよ。
YouTubeのコメントより(引用)ーーーーーーーーーーーー
「世界へ向けた素晴らしいプロジェクトだと思います。 TVや新聞・ニュースでさんざんの映像や写真を見ることがあり、 あまりの多さにPTSDも心配されています。 もう、見あきた。もうさんざんだ。という方も多いと思います。 しかしながら、これらの写真は決して過去の出来事ではありません。 先日災害記録ボランティアで9日間にわたって被災地を歩きまわり、 いろいろな方に話を伺い、そして撮影してきました。 そこで感じた被災地の現実・・・ まだまだ復興への一歩を歩み始めたとは言い難い状況です。 出来ることならすべての人に被災地に立ち感じ・考えてほしい。 これから先、復興への道のりが相当長いであろうと痛切に感じます。 そんな中、これらの写真は単なる記録にとどまらず様々なことを伝 えてくれます。 被災という現実、自然の恐怖、人間の無力さ・・・ 撮影者が感じた想い、メッセージ、 被災者の方の悲しみ、苦脳、努力、優しさ、そして希望・・・ 世界中の人たちがこの映像を見ることで被災者の心に寄り添い、 さまざまな思いを感じ、同苦し考えることが必要だと思います。」
Ichigoichie151e 14 時間前 3
「「前を向いて」、「ポジティブに!」と我々は早く笑っていられるようになれたらいいですね。でも、「復興が進んでいます!」って言ったって、それは取り返しがつかない2万人の犠牲者の上にでしょ。 。
そんな風に人生を楽しめるようにならないといけないし、応援しなくちゃいけないけど…。
この苦しみにフタをして前に進む事なんて出来るのかな…。今は苦しみながら笑う事を学ぶしかないんじゃないかって思います。
僕は明日を生きる為に、現実と向き合いたいと思います。」
Tadpole2316 14 時間前 5
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上
うれしいね。
時の翼に乗って悲しみは飛び去る。【ラ・フォンテーヌ】
3/11 Tsunami Photo Project
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