2011年5月23日月曜日

戒めの時

ガンジー七つの大罪 
~小出裕章氏(京都大学・原子力)からの戒めの言葉~
1.原則なき政治 2.道徳なき商業 3.労働なき富 4.人格なき教育 5.人間性なき科学 6.良心なき快楽 7.犠牲なき宗教

今、この世界はこれらガンジーの示した七つの戒めの言葉をことごとく踏みにじった世界である。
同じ時代を生き共有する者として、これら七つのうちいくつかは自分自身の人生と関わるものだろう。
完全に方向を見失っている政治状況の中、商業は道徳とは無縁の利益追求のみ、金融一人勝ちという労働なき富の偏向、内申点で生徒を縛り付け質と量をはき違える理念なき教育環境、人間の暮らす世界に関心を持たない科学的視点、良心など嘲笑う快楽主義者、現世利益を煽る宗教。これらは自分にはなにひとつ当てはまらないものだろうか?寧ろ事態は逆で、全てとは言わないけれど、複数が自分と関わりを持つというのがもっとも一般的なありかたではないかな。
この七つのカテゴリーの中に僕らは確実に存在している。
人生の最後に「右翼」というレッテルを貼られ、自らの死を選んだ作家「三島由紀夫」は生前、安田講堂で東大の全共闘の学生達と議論したことがある。彼はその中で、右翼も左翼もないよ!と強く言い放ったのだ。彼がひたすら憂えたのはまさにガンジーの示した七つの大罪を実現させる愚劣な世の中が始まろうとしていることへの警鐘でありました。昭和四十年代初頭に、高度経済成長のまっただ中で三島は堕落した日本の未来を垣間見ていたようだ。

僕は昨日一人の生徒を叱った。
これまでもいろいろな生徒を叱ってきたけれど、昨日の出来事はもう一度生徒と向き合うということを考えさせられるものだった。
「わからない」「かったるい」「ねむい」を口癖にする彼に僕は「馬鹿野郎!!」と言うしかなかった。
なぜなら、「わからない」「かったるい」「ねむい」が言い訳になり、本当の自分をごまかし、己自身と向き合わないように、傷つかないように習慣づけてしまっている人間に説明は「かったるい」だけだからだ。
人間は一人一人見事に違っている。だから面白い。成績がいいなんていうのは結果に過ぎないだろう。
寧ろ重要なのは「逃げない自分」になることだ。
「言い訳しない自分」になることだ。
「馬鹿野郎な自分」と向き合うことだ。
だから、俺は「馬鹿野郎!!目ぇ覚ませ!!」ってどなるんだぜ!!

言葉は具現化し実体化する。
わからない、と言えば、わからなくなるのだ。かったるい、と言えば、かったるくなる。ねむい、と言えば、途端にねむくなるのだ。
すべてこの世界は僕らが無意識に創り出した総体だろう。
言葉を慎む必要も時にはありそうだ。
わからないではなく「わかりたい」って言おうぜ。かったるいなんてもうやめようぜ。ねむい人生は死と変わらんぜ。目を覚まそう!
切実に生きようぜ!!!
これはただ一人生徒の問題ではありません。僕らすべてこの地上に暮らすものの問題だと思う。坂口安吾のかつて示したあの堕落と今世界を覆う暗い堕落とは質が決定的に異なる。安吾の堕落は「覚醒」であった。僕らは目を覚まさなくてはならないのだ。

様々な問題が日々あふれ出てくる昨今、戒めの時なのだと、僕は思う。

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