「1973年のピノチェト将軍によるチリのクーデター、天安門事件、ソ連崩壊、米国同時多発テロ事件、イラク戦争、アジアの津波被害、ハリケーン・カトリーナ。暴力的な衝撃で世の中を変えたこれらの事件に一すじの糸を通し、従来にない視点から過去35年の歴史を語りなおすのが、カナダ人ジャーナリストのナオミ・クラインの話題の新著The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism(『ショック・ドクトリン:惨事活用型資本主義の勃興』)です。ケインズ主義に反対して徹底した自由市場主義を主張したシカゴ学派の経済学者ミルトン・フリードマンは、「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」と述べました。この主張をクラインは「ショック・ドクトリン」と呼び、現代の最も危険な思想とみなします。近年の悪名高い人権侵害は、とかく反民主主義的な体制によるサディスト的な残虐行為と見られがちですが、実は民衆を震え上がらせて抵抗力を奪うために綿密に計画されたものであり、急進的な市場主義改革を強行するために利用されてきたのだ、とクラインは主張します。…」(Democracy Nowより引用)
ナオミ・クラインの「The Shock Doctrine」は刺激的な書物である。
近年これだけ明瞭に市場経済至上主義の病巣を喝破した論考はないかもしれない。というのも、現実に今日本はこの「ショック・ドクトリン」の実験場、いや舞台になっていると思われるからである。
311の巨大地震は地震と津波のみならず、その後の恐怖を煽るような原発の事故のニュースが連日放送され、朝七時の NHKニュースは海外のニュースなど一切放送しなくなってしまった。ひたすら恐怖を煽る放送を続けている。そしてつい先日には原発の警戒レベルを国はレベル7と発表するに至った。福島、茨城、そして千葉産の野菜も自粛が求められ、自粛というのは任意のはずなのにもはや義務になり、実質的には規制されているわけである。テレビでも千葉の出荷農家が報道番組と地方自治体から断罪される様子が放送されている。原発から十キロ圏内に横たわる遺体は被爆し放射線量が多いという理由で一ヶ月以上も放置され続けた。そうした遺体が回収されて被爆した様子もないことがわかったのはほんの数日前である。
少なくともアメリカ以外の国では、今となってはレベル7の警戒レベルは「過剰」だと報道されてはじめている。ロシアの専門家の発表によればレベル4がいいところで、もし福島原発がレベル7であるならば、今後警戒レベルに8や9を想定しなければなくなるだろうとまで発言している。原発から八十キロ圏内から避難指示を出したあのアメリカでさえ、レベル7という最悪の事態であるにもかかわらず、母国に避難した在日米国人に日本に戻るように促し始めている。いったいレベル7とは何だったのだろうか?
ひたすら「恐怖」が演出されているわけである。近隣諸国に対しても日本は今や災害にあった被災国ではなく「加害国」に成り果てている。
これは「恐怖の演出」ではないのか?
問題は事態がまったく「ショック・ドクトリン」そのものだということである。「恐怖の煽り」だ。
ハリケーン・カトリーナやアジアの津波、あるいはまた911のような出来事と同じように、株の取引が盛んに行われ、例えば今や東電の株は外資に持って行かれ、災害復興をダシに震災前後ゼネコンで不審な株取引が多く行われているのである。恐怖が金を生むのだ。それは今後も続いていくだろう。東電は今後更に原発を14基増やす計画だという。それもまた恐怖の煽りであろう。
復興は何にもまして大切なことだ。そして原発はいらない。これも当たり前のことだ。だからといってデモをする必要はない。それもまた「ショック・ドクトリン」の一部なのだ。不安定で混乱した国内状況がそれだ。
だからこそ、復興しなければならないし、原発もなくさなければならない、が、それらと同時に、同じぐらいしっかりと「ショック・ドクトリン」が実践されているというその事実から目をそらしてはいけないような気がする。ナオミ・クラインの暗に示していることは戦争も災害も偶然に起こっているのではないということだ。
日本において森内閣以降小泉・竹中路線から続いている「新自由主義」的な政治体制は民主党になっても実は変わらないのである。更に一般的には新自由主義などもう古いなどという言説もちらほら出ているけれど、姿を変えた市場経済至上主義は相変わらずなのだ。
ミルトン・フリードマンの「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」という言葉は傾聴に値する。「真の変革という金儲けは、危機的状況を創り出して、はじめて可能になる」と彼ははっきり言っているではないか。
今の日本の危機は創造された危機なのだと僕は思う。戦争も地震も原発事故もすべて創り出されたものだ。この世界の一部の金融寡頭勢力によって、全ては人為的・人工的に引き起こされたものと、僕は今や確信している。
ショック・ドクトリンから退避する方法は、難しいがひとつだけだ。
それは、現状をショック・ドクトリンの実践と自覚することだけ。
後は煽りを真に受けないことだ。全て恐怖心を糧に生まれているのだから。目をそらすまい。全て偶然だなどと水に流すまい。単純な平和運動も復興運動もショック・ドクトリンの実践を念頭に置かない限り、その場限りのものになってしまうのだ。
同時に、そう、同時に覚醒していきたいものだ、と僕は思う。
「ショック・ドクトリン」ーナオミ・クライン
http://youtu.be/Q8p-4ZRNIyE
0 件のコメント:
コメントを投稿