2010年10月23日土曜日

見失ってしまった過去へ

僕らは歴史をイメージで教育されてきたらしい。
というのも、例えば戦前の日本のイメージは現代ほど豊かでなく、それに比べると今はいいなぁ!なんて思ってしまう。
そんなことってないですか?
それは単なるイメージに過ぎません。
例えば1935年(昭和10年)といえばどんなイメージを思い浮かべるだろうか?
世界大恐慌のまっただ中で人々は苦しい生活を強いられていたに違いないと思うかもしれないし、その苦しさが戦争へとこの国を駆り立てたに違いないと思うかもしれない。

ここにアメリカ人の撮影した昭和10年の東京の風景があります。
カラー撮影された貴重な物ですが、人々の苦しい生活の中にも「落ち着き」や「穏やかさ」や「豊かさ」があることがわかります。素晴らしく美しい豊かな風景が人々の表情が写っているのです。ナレーションにもありますが、そんな豊かな国が空爆されたらひとたまりもないだろうと撮影者のアメリカ人は考えていました。そうした事態が起こることが分かっていたのかもしれません。

僕は戦後十三年経って生まれましたが、戦前や戦中、そして戦後間もない頃の日本についての近現代史の知識と情報のなさに愕然とします。アメリカにおいてハワード・ジンが著した「民衆のアメリカ史」に当たるような著作がまだまだ見あたりません。
江藤淳さんの「閉された言語空間」に書かれているように戦後GHQ主導の検閲と焚書7千冊が行われた国ですから、これまでまともな近現代史の授業が教育機関で行われたことはなかったでしょう。
渡辺京二さんの「逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)」を読み、この動画見ると、少しばかりこの国に対するイメージが変わるような気がします。ほんの少しですが。

確かにほんの一部に過ぎないけれども、この昭和10年の東京は確実に存在した実在の東京の風景であり、僕らがどこかに置き忘れてきた風景ではないですか。

忘れたくない、忘れてはならない破壊される前の日本がここにある。
僕らは何を失ってしまったのか、思い出し考える必要があるようです。

民主党は世界がひとつになる方向ですべてを推し進めていますが、世界がひとつになるには、まだ早すぎます。いや、むしろ世界はひとつになってはならないのだと僕は思う。
世界はひとつなんかにならなくていいのです。
世界がひとつになる前に、自分たち自身の見失ってしまった過去と向き合わなければ、他者と向き合うことなんてできません。
どうも我々の歴史は、一般的な常識とは違っているのだから。

昭和10年頃の日本カラー映像

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