2011年2月16日水曜日

バンド活動☆

日々、格闘しつつ忙しく生きています。
ブログの更新もままならず、申し訳ありません。
芝居の準備も着々と整いつつありますよ!!

ですが、そんな中で先日、久々のバンド練習をしてきました。ビートルズの懐かしい曲や、ストーンズの「ホンキートンク…」、そしてRCの「雨上がりの…」等々。いずれオリジナルになりますが、今はとにかく懐かしい曲で練習を積むのが楽しい☆

楽器にはちょっと前までまったく触れたことがなかったメンバーもいるんですが、四時間に渡るセッションで、終わってみれば見事なコードのストロークを見せてくれてましたよ。素晴らしい!
僕も今更ながらキーボードが楽しいな。面白いコード進行に出会うとガンガン!燃えてくるもんね☆

ストーンズのホンキートンクウーマンにはコード「A-D-E」の中に「B」が入ってるんだね!ディープ・パープルとかばっかりだったから、ストーンズはコピーしたことがありませんでした。なので、今更ながら彼らのコード進行の発明に驚かされ、感動するんだよね。「B」がいいんだよな!RCサクセションもやっぱり最高だね。循環コードを何度繰り返しても決して飽きることがありません。いいんです!!!(ごめんね、ジェイ)

さて、メンバーはリードギター、サイドギター、ドラムス、ブルース・ハーモニカ、そして次回(今月末にあるんだけどね)ベースが加わります。その後、金管楽器(サックスやトランペット)等が合流し、しまいにゃとんでもないバンドが出来上がるんじゃないかな。

久々に新生ロックバンド☆
これも我が人生☆

Rolling Stones "Honky Tonk Woman"

2011年1月12日水曜日

年の初めに

一月も半ばです。
あっという間に時は過ぎていきますね☆
こんな言葉があります。

『あきらめるな」とよく言います。だから誰でもあきらめさえしなければ夢がかなうような気がしてきますが、そんなことはあまりない。頑張れば何でもできると思うのは幻想だと僕は思う。成功した人にインタビューするからそうなるのであって、失敗者には誰もインタビューしてないじゃないですか。
人間は、生まれ落ちた時からものすごく不平等なものです。国籍も容姿も選べない。親も子供も選べない。配偶者だって、2、3の候補の中から選ぶのがせいぜいで、それでもいいくらいのものでしょう?つまり限界だらけで僕らは生きているわけで、そんなにうまくいかないのが普通なんです。その普通がいいんだと思わなければ、挫折感ばかり抱えて心を病んでしまう。
僕は一握りの成功者が「頑張れば夢はかなう」というのは傲慢だと思っています。多くの人が前向きに生きるには、可能性のよき断念こそ必要ではないでしょうか。』
                                                                ー 山田太一

やはり山田さんは鋭いことを言いますね。確かに「諦める」ことは大切ですから。「諦める」とは「明らかにする」こと。
本質的に、諦めない限り物事の本質は見えてきません。その意味では可能性の断念というのは正しい、そして必要なことだと思われます。

だが、僕はあえてここで言いたい。
この考え方は大きく間違っている!
「そんなにうまくいかないのが普通なんです。その普通がいいんだと思わなければ、挫折感ばかり抱えて心を病んでしまう。」
ここがまずおかしい。
「うまくいかない」のが普通なのではなく、「うまくいかないがうまくいかせようと努力する」ことが普通なんだよ。
「挫折感ばかりで心が病んでしまう」というのも過剰な期待と過剰な前向きの結果でしょう。
むしろ、日々淡々と努力する姿勢以外に物事を為し得る土台は存在しないのではないですか。

僕らは過剰に期待したり、過剰に前向きになろうとする必要はありません。
しかし、うまくいかないことが普通だと己に言い聞かせる必要もない。

一握りの成功者が「頑張れば夢はかなう」というのは傲慢かもしれないけれど、「可能性を断念せよ」と他人に言われる筋合いは誰にもないのである。そして、その「可能性を断念した方がいい」としたり顔で語る姿勢こそ成功者の視線ではないだろうか。

年頭に当たって確認しておきたいのは、「普通」というのは挫折することではない。「普通」というのは「挫折してもなお努力する姿勢」のことなのだということ。
真に諦めるとは、飽くなき努力を愚か者のように続ける勇気の証なのだ。

今年もロックするぜ!!!!!!

2010年12月31日金曜日

もうすぐ☆

今年も残すところあと数時間。
大晦日が元旦になろうが昨日や今日と変わるはずがない。でも、区切りというのはいいものです。
昨年以来、コンパクトでシンプルな暮らし、というのが我が家のテーマでありました。

質素でしっかりとした日々の営みこそ何よりも大事。
その中から創作すべき問題意識や美意識や倫理観が生まれ、狂ったように一生懸命になれる。
夢中になるために、日常の秩序をしっかり保つ必要があるのです。

僕がロックすると言うとき、それはラップするでも、ポップするでもいいのですが、要は夢中になって生きることを言ってるわけです。
そのための下地が、コンパクトでシンプルな暮らし方ということなんです。
あの清志郎が「ストーンズのまねですか?」という嫌みな質問を受けたとき、「そうだよ。知らなかったの?」と答えたロック魂は、彼が人生の最後に愛したのが「自転車」だったという所に集約されているような気がします。
1978年、僕は渋谷の道玄坂でジョン・レノンとすれちがった。そのとき彼もまた自転車に乗っていたのは象徴的です。
つまりこの二人のロック者は、人生の最後に偶然のようにコンパクトでシンプルな日常を生きていたのです。
特に羽目を外した外道の人生ではなかった。ごく普通の日常を生きようとしていた。
それって、やっぱり基本なんじゃないだろうか。

また一年が終わり、あらたな一年が始まろうとしています。
やっぱり大事だよ。気持ちをあらたにすることは。毎日新た。でも更に一層新た。これが大事。

来年はまた素晴らしい一年になるでしょう!
みなさんにとっても素晴らしい一年でありますように!

舞台で会いましょうね☆

2010年12月24日金曜日

ルドルフは今夜も走ってるぜ☆

Merry Christmas ☆

今夜はクリスマスイブ!
とはいえ、例年通りひっそり楽しく家族で過ごします。
仕込んでいたピザ生地もいい感じ☆
焼き上がったらやっぱり例年通りご近所にピザを配りましょう!




でもね、意外にヘビメタ系クリスマスソングが我が家で大受けです。
Motörheadのレミーに素敵な曲を歌ってもらいます。

これが男のクリスマスソングさ!!
みなさんも素晴らしい明日をお迎え下さいね☆


RUN RUN RUDOLPH LEMMY KILMISTER studio 

2010年12月22日水曜日

山頭火のうしろ姿

種田山頭火
(1882年-1940年 松山市「一草庵」にて没)
書家のあいだみつおさんが「うしろ姿は自分じゃ見えぬ 見えぬ姿に人間がでる 」と言ったそうですが、うしろ姿は確かに大事だと思います。
そこで思い出すのが種田山頭火です。
山頭火は「うしろ姿」の人だと思う。

『山頭火句集』は僕の愛読する書のひとつだが、何度詠んでも飽きないし、いつ開いても新鮮な発見がある。

だらしない人だったのだと思う。
でも、そのだらしなさを人一倍知り抜いていたのも本人だったに違いない。

「いただいて足りて一人の箸をおく」

やっとありついた飯を大切に頂いて感謝する。それが、この人の生きる姿勢だったのだと思う。
飯はうまかったですか?
僕はそう彼に訊きたくなる。
味噌汁はうまかったですか?
きっと彼の涙の味がしただろう。

「こんなにうまい水があふれてゐる」

そして旅の途上で出会う水。
何も持たぬことの幸福がここにある。水に感激できる幸せがここにある。
冷笑することのない幸福がここにあるのだと思う。

「今日の道のたんぽぽ咲いた」

家族を捨てた男には、帰る場所はなかった。
路傍の小さな花さえも、彼の家族だったのだ。旅の道のすぐ脇に生と死があった。

「うしろすがたのしぐれてゆくか」

しぐれには雨に濡れること、そして涙することの意がある。人は全ての感情を他人に見せるはずがない。
本物の感情は最も個人的で、ひっそりと陰に隠れ、目には見えないのである。
だから、うしろ姿なのだなぁと僕は思う。
人のうしろ姿を見なければ、その人の本質は掴めない。
欧米流のeye contactという真っ正面からの対峙の仕方は、時に偽りを産み出す方法かもしれない。
僕ら日本人はうしろ姿を見る。

うしろ姿は、嘘をつけないから。


2010年12月20日月曜日

ギネス記録保持者のめずらしい話

一般的に雷は同じ地点には二度と落ちない、と言われているそうです。
しかしながら、アメリカのロイ・サリバンさんという人には生涯で7回雷が落ちたんだってさ。
バージニア州のシェナンドウ国立公園のパーク・レインジャーをしている時(1942年)を皮切りにそれは起こったそうです。

下の動画では彼の体験が時系列で紹介されています。
大変な経験ではありますが、なぜか笑ってしまうんですが・・・不謹慎ですか?
ではでは、その様子をご覧下さい。

世界でただ一人、雷に7回打たれた男。

They say lightning never strikes twice, but it stuck Roy Sullivan a whopping seven times.

Roy was a U.S. park ranger in Shenandoah National Park in Virginia and holds the Guinness World Record for the times lightning has struck one human being. Here’s a timeline of Roy’s strikes.

2010年12月19日日曜日

くつやのマルチン

からし種シアター『くつやのマルチン』
昨日、仕事の合間を縫うようにして国立で一本の舞台を見ました。

からし種シアターの『くつやのマルチン』です。
トルストイの高名な物語です。年老いた靴屋のマルチンはもうだいぶ前に愛する妻と二人の子供達を亡くした男でした。
ある晩、彼の前にイエスが現れるという声が聞こえたので、楽しみにしていた彼は翌日、窓から見る人々に声をかけていきます。
人はそれぞれ何か抱えて生きていますが、マルチンは優しく一人一人に接していきます。
なのに、イエスは現れなかった。
イエスはどこにいたのだろうか?
出会った一人一人がイエスそのものだった、というお話。

僕はこのわずか一時間の小さな小さな劇の所々で涙を抑えることができませんでした。
それは、まずマルチンという存在が、実在したドイツの靴屋にして予言者であった「ヤコブ・べーメ」を彷彿とさせるところ。
教育がなく、ひたすら靴職人として地道に生きていたヤコブ・ベーメがある日突然神の啓示を受けたという実話は、この主人公マルチンに確実に投影され、美しくも力強く生まれ変わっていたと思います。
そして、マルチンが死んだ息子を思い出すとき、幼かった息子がクリスマス・プレゼントを見て目を真ん丸にして喜んだというその出来事をごく自然に語るマルチンの姿に、僕は山田洋次さんの「息子」という映画のエンディングを思い出していました。東京から戻った三國連太郎さん演ずる年老いた父親が誰もいない暗い家の玄関を開けたとき、何十年も前の家族の姿を見たあの場面です。
息子達は大きな声で笑い、亡き妻は笑顔で熱々のご飯をよそっている、そんな風景をたった一人になった老人は幻想のように見るのです。最も心を熱くする素晴らしい場面でしたが、靴屋のマルチンを演じる中村元則さんの語る一言はそれに勝るとも劣らぬ胸に迫る追憶の場面でした。

人はパンのみに生きるのではないと誰もが言いますが、現在は稼ぐ人間が正しいのであって、稼がないもしくは稼げない人間は「駄目」なのだと厚顔無恥にも言い切ってしまう世の中です。何とも残念な世の中になったものです。稼ぎのいい商人ばかりでは世界は豊かであるはずがない。商人以外は全て消費者しかいなくなってしまうではないですか。

トルストイの残したこの物語は単に一人の敬虔なキリスト者を描いたのではなく、いつの世にもつい軽んじられ失われゆく「分け合う」というとても小さな、しかしながら決定的に生きることと結びついた人間の「存在の条件」の重要性を伝えているのだと思います。

政治でも経済でも、日常のあらゆる場面で「分け合う」ということが現代ほど失われてしまった時代はなかったのではないですか。
いつから僕らはこんなに意地が汚くなったのだろう。

僕がこの小さな芝居から感じたのは、人間の本当の「品格」についてでした。
国家でも政治でも経済でもない、人間の品格が壊れてきているのではないですか。
ひとりの靴屋のマルチンになりたいものです。マルチンという人物の持つ素朴さこそが人間の真の品格そのもののような気がします。
このひねくれた時代にこんな作品が上演されることの意味を僕は感じます。

からし種シアターのみなさん、お疲れ様でした☆
音楽も観客とのコミュニケーションもすべてがとてもいい舞台でしたよ!

賛美歌320番 <加賀屋玲 主よみもとに近づかん>
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