2009年9月12日土曜日

ソコカラナニガミエル?

青ク深イヨル
セカイヲカエヨウ
ソコカラナニガミエル?
ー ASIAN KUNG-FU GENERATION  或る町の群青 ー


「小さな小説」ソコカラナニガミエル?

自転車を走らせていた。
その日、帰宅したのが早かったので、娘を近所の塾まで迎えに行って、と妻。夜九時。階段を六階から一気に駆け下りて自転車置き場までダッシュ。
風は吹いてはいないけど、空気がやけに冷たい。12月ですからね、当然か?凍ったアスファルトの上を自転車で走り出す。

坂道を下る。左側にいつもの花壇が見える。
左折する。マンションの間の道をしばらく直進。
T字路が見えてきた。そこを右折。
更に坂を下るが、ここは思い切りペダルをこいでやる。やがて上り坂にさしかかるが、勢いでそのままぐんぐん進んでいく。
正面に府中街道が見えてくる。
その向こうに小さな公園が見える。
鼻をすする。息が白い。手がかじかんできた。だいぶペダルをこぐ足が重くなってきた。歳かな。
白いものがハンドルを握る指先にあたっては消えていく。顔にもぽつぽつ当たり始める。
雪だ。おお珍しいな。12月に雪かよ。

府中街道を車が走る。
僕はいつもこの横断歩道のところで娘を待つことにしている。
待っても待っても、彼女は来ない。時計を見ると、もう十五分も過ぎている。さすがに足下が冷えてくる。雪は大粒になり、空中を漂いながら、地面に落ちては消えていく。二十代の頃は冷えるなんて考えたこともないんだけどなぁ、などと考えてみる。
でも冷える。それにしても遅い。

「ったくしょうがねぇな・・・」

何かが動いた。正面の暗い小さな公園のジャングルジムの上で何かが動いた。四車線で結構幅のある車道の向こうに眼をこらす。
ジャングルジムの上にちょこんと座って夜空に両手を挙げている。
娘だ。
なにやってんだよ、と思って見ていると、彼女がジャングルジムの上に立ち上がり雪を食べようとしているのか、大きく口を開けている。
声をかけようとした。おーい!声をかけようとした。
でも、やめた。
雪の降る空に向かって手を広げ口を開け、何かを見ているのがわかったから。
紺色の夜空の向こうに、何かを探しているのがわかったから。

ねぇ、
ソコカラナニガミエル?




※ 本物のPVではありませんが、すっごくいいですよ☆
『ASIAN KUNG-FU GENERATION  或る町の群青』

2009年9月11日金曜日

Back to Fifties’


Kitty Daisy & Lewis
are a three-piece band comprising the teenage siblings of the Durham family. The 3 members are 15, 18 and 20 respectively!
Their music is influenced heavily by R&B, swing, jump blues, country and Western, blues, Hawaiian and rock 'n' roll. They are all multi-instrumentalists playing guitar, piano, banjo, lapsteel guitar, harmonica, double bass, ukulele, drums, trombone, xylophone and accordion between them.
(by Blog: To Darrin Hudson)

五十年代のロカビリーへ一気に戻る音楽を、今のティーンエイジャーがやってるところがおもしろい。
恐らく今は音楽のベースを作る時期なんだと思いますが、今後どんな風に育っていくんだろうと思うと楽しみです。
アルバムはほとんどカバー曲ですが、三人を基本にいい味出してます。ロックンロールを喜ぶ、なんていうか、嬉しさ、幸福さ、そんなものが満ち満ちているんだ。
さて、懐かしき50年代から、やがて、どんな「今」を、音楽で見せてくれるのでしょう。それが問題だ。つまでも懐かしいままではいられない。
PVもとてもレトロ感たっぷりでいいですよ!
でも、
いつの日かレトロを越えろよ!!!

今日は、彼らを音楽を聴きながら仕事します☆☆☆



そして、これも!

半世紀少年☆

最近、ユニコーンが再結成したと思ったら、「半世紀少年」という曲をリリースするようです。

う~ん、微妙だなぁ~。
えとね、僕もまさに半世紀少年だからさ。

その歌の中で「Don’t think, feel.」って歌詞があるんだけど、これは確実に昔本当の少年だった頃憧れたブルース・リーの科白の引用だね。
懐かしいッス。

「考えるな、感じろ・・・」

いいねぇ、まさに半世紀少年の合言葉だね。
でもね、今はね、ちょっとは考えた方がいいと思うけどね。うん。
半世紀少年もあれこれ考える今日この頃。

で、そのブルース・リーのシーンがこれ。

Don’t think, feeeeeeel!!!!!!

ここでしか在り得ないもの

ここでしか存在し得ないものがあります。

ドラマでも音楽でも文学でも哲学でも、場所から離れることはできない。
むしろ、その場所が在るからこそ生まれ出てくるもののようです。
どんなに「物語」から離れようとしても、場所が物語を生むからだろうと思います。

日本人であることを、今一度意識したい。
国籍などにさほど興味はなかったし、もっと外側へ、などと考えていた時期もありました。でも、本当にそんなものなのか?意識しようがしまいが、僕は日本人であり、この島の中で育った。あまりにも当たり前なので、今この場所を意識するのは、外国から成田に帰ってきたときぐらいだと思う。
この西欧から見れば極東と言われる国と文化の中で、どれほどここでだけ生じるドラマを意識してきただろう?

それにしても、かつて以上にややこしい時代になってきました。
日本文化を見直そうとすると「愛国主義者」、日本の抱える問題を自覚しようとすると「反日文化人」。いろんなレッテルを貼られるようです。勿論どうでもいいことですが。
あらゆる出来事には善い側面と悪い側面が同時に存在しています。どんなに社会や世間が善いといっても納得してはいけないことがある。生前の江藤淳さんの仕事にしても、アメリカのチョムスキーの仕事にしても、殺された石井紘基議員にしても、様々な誹謗を浴びながら、与えられた場所で最善を尽くそうとしていたし、しているんだと思う。

ここに、以前ご紹介した黒木和雄監督の「龍馬暗殺」のラストシーンがあります。アップされた方に感謝です。日本映画史に残る名シーンだと思います。有名な坂本龍馬が中岡慎太郎とともに近江屋で暗殺される場面です。
この映画も、ここ日本だから成立する物語であり、作品です。

坂本龍馬は今でもヒーローのように扱われる歴史上の人物ではありますが、彼の背後にグラバーがいて、そのグラバーを通じてイギリスのロスチャイルドと繋がっているともいわれています。彼が歴史の中で有名にはなりましたが、一人の捨て駒として使われた可能性だってあるわけです。単純に日本の夜明けを夢見ながら夭逝した青春のヒーローとして扱うわけにはいきません。
龍馬とはだれだったのか?
彼はなんのために命を落としたのか?
この映画には、なにか底知れぬ大きな陰謀めいた力に絡め取られ、時代に翻弄され、自分の座標軸を見失い、後悔と怒りを爆発させる龍馬という人物が描かれています。斬り合いのシーンもあっという間です。どこかリアルなんだ。
黒木監督がどこまで意識していたのかはわかりませんが、坂本龍馬と中岡慎太郎という二人の人間の中に蠢くイライラ感が、この映画を龍馬を描いた数多くの作品の中で、稀有なものにしています。
それは、七十年代というその時代と、日本という場所でしか存在し得ない何かをフィルムに定着したからだと思います。
いつか機会があったら、全篇観て欲しい。
雨の中を穴が開いて指が突き出たまま革靴で走る龍馬の足下からはじまるこの映画は、他の多くの映画と比べ、何かが違うんです。

モノクロの素晴らしい映像を楽しみながら、同時に今ここでしか成立しないもの、そしてここでしかあり得ない問題意識を喚起させたいと思う。左も右も、老いも若きも、もはやどうでもいい時代に入っていると思う。今ここで耳を澄まし、目をこらそう。


2009年9月10日木曜日

9人の1973年

"NOVEM", is an American Independent Film, produced and directed by Brad Kimmel, a filmmaker from Evansville, Indiana. Brad is also the creator and producer of My Classic Car. The film tells the story of NOVEM's epic six-day recording session in May 1973 and chronicles the modern day discovery of their lost tapes and who they were.
"NOVEM" has made its way around the film festival circuit and received great acclaim, winning many awards.
Though the movie is a work of fiction, it has often been portrayed as a documentary.


『わずか6日間しか存在しなかったバンドの物語

1973年、幻のバンドNOVEMが残した たったひとつのメッセージ…
“この世界、ありのままに 歌にしたかった。”

一人の大学生がガレージセールで、NOVEMの音源とフィルムを偶然手に入れる。彼はそのクオリティの高さに興奮し、インターネットを通じてその物語と音楽を紹介した。「彼らが作り上げた音楽は本当にピュアなんだ」「NOVEMの音楽は時代を超えた要素を持っているんだ」 こんな熱い声とともに、その興奮は瞬く間にアメリカの大学中に広がっていった。

世界中を混乱させたヴェトナム戦争が終わり、映画『アメリカン・グラフィティ』がヒットし、日本はオイルショックで揺れていた1973年。アメリカ・インディアナポリスでは、ミュージシャンを目指す9人の大学生が、6日間に渡るキャンプを楽しんでいた。彼らは昼夜を共にしながら、曲を作りレコーディングを行った。キャンプ最終日までに彼らは、それぞれの想い、時代への期待と不安を歌った9曲を生み出した。しかし、キャンパスに帰る途中、彼らが乗った車は事故に遭ってしまう。9人のミュージシャンは全員、帰らぬ人となってしまった。彼らの名はNOVEM、ラテン語で“9”の意味をもつバンドだった。約30年の時を経て、NOVEMのすべてが明らかになる。』
(アミューズ・シネカノンより引用転載)


この『NOVEM』という映画は、まるで作りはドキュメンタリーですけど、完全なフィクションです。
でもね、フィクションだからといって、価値が下がるわけでもない。
73年当時の雰囲気と時代背景(ベトナム直後とアメリカングラフィティーの頃)が見事に描写されて、主人公の九人の学生達がその時代を生きているかのようです。
フェンダーの復刻版を掻き鳴らし、悩みながらも幸福なロックを生きる青春がそこにある。
小さな独立系の映画ですが、これもまた、ドラマと音楽の関係を考えさせてくれる作品です。
そして、ロックするということが、生活に染みこむとはどんなことなのかが、垣間見える。
そんな映画です。
あまり観た人がいないと思うのでちょっと紹介。
いいよ。この映画。忘れられなくなるかもよ。
僕は、好きです。

音楽は、時の桎梏を越えて、僕たちを何ものかに近づけてくれる。
音楽で、僕らは、互いに近づける。

2009年9月9日水曜日

InclusionとIdentify

昨日と今日は二冊ほど本を一気読みした。
両方とも、宮台真司氏の作品。
同世代の中でも団塊に媚びることのない数少ない批評家・社会政治学者だと思っています。

1冊目、『日本の難点』幻冬舎新書。


新書は初めてらしいですが、まさにチャート式。森一郎著「英文法の原点」を思い出しました。
わかりやすい理解しやすい極力平易な言葉遣いで、現代日本の抱える問題42項目の論点を明確に示してくれています。
彼の立ち位置は、明らかにネオリベ的(新自由主義的)です。ネオコン(新保守主義)ではなくてネオリベです。何故なら序文にも述べてあるように、9.11以降のアメリカの対処の仕方は杜撰であった、という言い回しから、あの出来事を彼は意識的か無意識的かわかりませんが、米国政府の政治的手際の悪さで説明を済ませている。ネオリベは肯定するが、ネオコンを否定するわけです。更にオバマ大統領に対する期待感が述べられたページ数から見ても、ブッシュの取り巻きであるネオコン連中の馬鹿さ加減に対し、オバマの周辺のクールさに対する期待と共感から、宮台真司氏は確かによい意味のネオリベラリズムの人であると思う。そして、同時にある種のアカデミズム特有のナイーブさも感じる。

この本の中で語られている「相互扶助」と「包摂(Inclusion)」という中心的なタームは、僕が「共感の次元」というイメージの中で、Identification(他者の中に自己を見る視点)と言っている概念と似ているような気がします。
単なる共感は、同情や「わかるわかる」程度のものですが、全体に含まれ(Inclusion)、自分自身がその一部であるという感覚(Identification)は人間存在にとって欠かせないものです。かつてあらゆる共同体(Community)が内包していた要素なのですが、今はほぼ完全に壊滅してしまっています。
そのような状況から「フラット化」や「コミットメントの脱落」、つまりバラバラな変化に対する後追い姿勢が生まれてきて、中心点や核を持たない、あるいは持つ必要のない人間が生まれてくる。
その結果、包摂(Inclusion)から排除(Exclusion)へと向かうことになる。
彼の主張はその逆をめざそう、ということなわけだ。

僕は概ね彼の議論を鋭いと思うし、納得するものですが、ただし、彼の衆愚政治に対する選民主義的エリート主義的方向性を示しながら、民衆の自己責任論に収斂していく辺りに、ネオリベ特有のズルさあるような気がしてならない。
いわゆる、単純な企業批判や資本主義批判や陰謀論ではあまりにもナイーブすぎて、アカデミズムから見れば初歩的すぎるだろう。しかし、時代の「価値観」の問題ということになれば、「企業に責任はない」という言い回しは逆に本質を見ることのない、愚かなる民衆の自己責任ですべて片付いてしまう単純さに陥っているような気がする。
問題は、我々の現在のごくありふれた損得勘定がすべてであるかのような、包摂から程遠い紛い物の価値観が、いったいどこから現れてきたのか、であろう。
それは間違いなく、ネオリベが象徴的に持つ自由観と、それに付随するグローバル化、まさにアメリカを中心とした中華思想の生み出してきた価値観なのではないかと思う。
この本では、その点に対する批判が皆無であり、米国の機嫌を損なわず上手く付き合うということが前提であるということが、オバマに対する肯定的な視点からよくわかる。
米国ではオバマになって、日本は民主党になって、きっとよくなる、という彼の視点こそナイーブな感じがするのは気のせいだろうか。
彼のあえて語らない部分にも問題はあるような気がする。ネオリベラリズムの持つ問題が、単なる批判じゃしょうがないし、企業が悪い、ネオリベが悪い、だけじゃ埒があかないどころか問題が見えにくくなるけれど、解決済みの問題であるわけもない。
アメリカ流のネオリベしかない、もう後戻りはできない、という議論は、実に「官僚的」な発想だと思うのだが。彼の中の「官僚的なるもの」が顕在化しつつあるのかもしれないな。

2冊目、『<世界>はそもそもデタラメである』。


雑誌「ダ・ヴィンチ」に掲載されていたエッセイをまとめたものですが、これがなかなかいいんだよ!
「日本の難点」よりこっちをお勧めします。ほんとに。
同世代の中でなかなか共感を持てる相手がいなかったのですが、久々に鋭く共感できる「映画評論」に出会った気がします。朝日新聞の掲載中の沢木耕太郎氏の映画評論も最近の映画批評では傑出した作品だと思いますが、宮台氏のこのエッセイも素晴らしい☆

54回分の掲載原稿から出来上がっているので、かなりの大著ですが、選び抜いた感のあるトピックです。
無数に引き出したい部分があるのですが、二つほどメモしておきたいと思う。
ひとつは、
『「かけがえのないことがあったから、かけがえがない」という命題を否定し、「どこでもある話だからこそ、かけがえがない」と反転するためである。祝福された世界が祝福されるのは当たり前だ。そうではなく、低俗な世界がそれゆにこそ祝福される。ラテン的な世界観である」』
メキシコ映画「天国の口 終わりの楽園」についての言及である。
この映画は、頭の中がセックスでいっぱいの高校生男子二人が、絶望している人妻と三人で「天国の口」という浜辺に向かう物語。
どうしょうもない二人の若者と美しい人妻の馬鹿馬鹿しい不倫の物語といってしまえば、それまでのこと。でも、映画の中でモノローグで語られるその後の話で事態は一変する。
人妻は余命一ヶ月の末期癌患者だった。
青年たちは一人の人間の人生の最後の旅に同行したことがわかる。そして最後のセックスの相手をしたことがわかる。ふざけた猥雑な感じで描くこの映画の意図は、まさに宮台氏が述べた「低俗さ故の祝福というラテン性」なのかもしれません。
まぁ、要するにロックしてるわけだ。
挿入歌の“ Love Somebody ”は、昔々、幼い恋を描いた秀作「小さな恋のメロディー」でも使用された曲。
下品さの向こうに「純」を見出そうとする姿勢がここにもあるのかもね。
馬鹿馬鹿しいほどありふれた風景の神聖さこそ、今僕も求めたい。

そしてもうひとつ、
「遠い者が勝つ」と「近い者が勝つ」の違いについて。
ひとつの例で言えば、ノスタルジーの危険性と言うことになるかもしれない。遠いところにいる者は、近くにいる者よりも「美しく、かけがえのない」者に思える。しかし、これは幻想なんだ。
僕らは「近い者」の価値に気づかなくてはならない。
宮台氏がその例として「続・三丁目の夕日」を引き合いに出していますが、まさに、この作品は「遠い者が勝つ」典型例と言えるでしょう。
近い者とは「今」であり「ここ」であります、が、遠い者とは「過去」であり「彼方」である。「続・三丁目の夕日」では前作以上に「今、ここ」よりも失われてしまった戻ることのできない過去が残酷なほどよく描こうとしています。それは経験した者の特権意識からくる選民感覚だと僕は思う。「続・三丁目の夕日」を観て、プロデューサーの団塊性と閉鎖性がとうとう明白になったと思いました。
その意味で、僕としては「近い者が勝つ」作品作りをしたいと思うなぁ。

この映画論は、一読すべきものだとおもうな。


メキシコ映画『天国の口 終わりの楽園』2002予告編

2009年9月7日月曜日

ROCK ME BABY☆

太陽が輝き、鋼鉄の線路が鈍く光る。


夕焼け空の前に、太陽は一度大きく輝くんだな!


そんな太陽を撮ってみた。


その光よ!
ROCK ME BABY!♪


☆上野火山☆

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