2014年5月27日火曜日

お知らせ


Facebookの方ではお知らせしたのですが、改めてこちらのブログでもお伝えします。


『東海大学出版部から「賢治学」が出版されます☆岩手大学宮澤賢治センター編です。僕も一文書いております。
岩手大学から宮澤賢治に関する知を発信、ということで、今の拝金主義的傾向の真逆の精神が語られています。新自由主義からの離脱は賢治を考えることから始まるかもしれません。
ぜひご一読を!』

お知らせでした☆

ご購入はこちらで:
『賢治学』アマゾン 

ならず者たち


哲学も芸術も、リアルな政治的状況の前では無力ではないか、そんなことを思っていた。思想とは単純に硬化したドグマの謂ではないのか。そんなことを思っていたのだ。
というのも八十年代以降、脱構築とポストモダンの安売り状態で、人間の思考も行動も表層的になり、全てが商業的な深みのない浅薄なエンターテインメントに成り果てた印象を持っていた。事実、八十年代以降「軽佻浮薄」の合い言葉の下、テレビを中心に思考を停止し経済活動こそが唯一の真理であるかのようにこの世界は進んできたように思う。バブル時代だろうが、バブルがはじけただろうが、そんなことにお構いなく、この時代と世界の価値観として「利益」、「得」、「儲け」が人の究極の目的であるかのように僕らは老いも若きも「教育」されてきたように思う。そうして、なし崩し的に意味の解体がはびこりはじめ、いつのまにか金銭的な価値に還元できなければ全て無意味といった、ハイエク以来のミルトン・フリードマン的な価値観が一般化した時、硬化した既成の価値観から一旦抜け出ようというジャック・デリダの「脱構築」論は魅力的でありながら、同時に僕個人は、どこか宿敵のような感覚を憶えていた。すなわち、八十年代以降のこの抜き差しならぬ価値状況を創り出した原因は、デリダにも少なからずあったのではないかと思っていたわけだ。

そんな僕が、今、彼の「ならず者たち」(みすず書房)を読む。
実に面白い。何が面白いのかというと、その哲学的視点からの現在の思想もしくは価値観を叩き切っているその率直さかもしれない。

深い言葉の洪水の中で、彼は端的にこう言う。
「…ならず者国家に対し戦争ができる立場にある諸国家は、先験的に、このうえなく正統なその主権において、その権力を濫用するならず者国家だということを現しめるだろう。主権があるやいなや、権力の濫用およびならず者国家がある。濫用は使用の法である。それが法そのものであり、それが分割なき全統一性においてしか支配できない主権というものの<論理>である。」
すなわち、ある国家を「ならず者国家」と呼ぶ時、その呼んでいる国家自体がすでにひとつの「ならず者国家」なのである。

彼の問である「来るべき民主主義」とは少なくとも、現在ある資本主義やグローバリゼーションやシカゴ学派による新自由主義経済・純粋資本主義であるはずがない。民主主義とはプロセスであって、すでに成し遂げられた完全な政治体制ではない。日本はこれまで民主主義国家ではなかったし、良くも悪くも社会主義的な国家であった。だからこそ、社会保障も充実していたし、社会福祉は他の国家では例を見ないほど完成されたものだった。

しかし、今、この国はより完全な民主主義国家に向かっていると首相は言うが果たしてそうなのか?今向かっているのは企業による純粋な資本主義体制であって、より厳密な意味での民主主義に向かっているのではない。むしろ、民主主義的要素が日ごとに失われているのである。社会主義と民主主義は同時に存在できるが、資本主義と共産主義は同時に存在できない。
ならず者と呼ばれた国々が、独裁者による暗黒の国家のように喧伝されていたが、例えばカダフィ大佐のリビヤなど先進的な「無償社会保障制度」など他国では考えられない社会保障制度を持っていたにもかかわらず、ならず者国家の烙印を押され、大佐亡き後、すべてそうした社会保障制度は一掃されてしまい、更に石油利権も欧米に収奪されたのである。

デリダを読むことで、現在の世界と価値観の状況を、しっかりと見据えることができたように思う。彼は911以降の世界の異様な動きに正確な観察眼で哲学的営為をすすめているが、この著作は一種の羅針盤のように、日々のニュースや報道で狂わされた方向感覚をもう一度是正してくれる力があるような気がしますね。

今、デリダが面白いな。

独立国家なのだろうか☆

気がつけば、311以後怒濤のように新法案が可決され、毎日のように個人の自由が規制されながら、多国籍企業もしくは海外金融資本に対する規制はどんどん緩められていきます。規制緩和や自由主義とは個人に対してではなく、明らかに既得権益を持つ海外株主にとっての自由であり、個々の国民の自由は範疇外というのが正直なところではないでしょうか。国家は自存すべきと言うならば、それは極右になり、社会保障はなくてはならないと言えば、それは極左になる。ところが、これは何度も言ってきたことですが、まったくデタラメであり、それらは本来共存するものなのです。自由と平和、そして平等は時には対立概念になりえます。が、海外勢力からの文化的地域的独立と社会保障の整備にはなんの矛盾もない。
僕らは、右だ左だと、これまでの表層的な言説に惑わされ、本質を見失っているようです。


日本人が日本語を失って良いはずがないのと同様に、この国の文化を売り渡してはならない。日本は戦後、一度たりとも独立国家であったためしがないのです。この国は植民地でした。だからこそ、気がつき考えなくてはならない。日本を護ることは戦争に駆り出して日本国民を殺すことではない。今、この国が傾いているのは外国の代理戦争への道でしょう。知らない間に、「航空自衛隊経ケ岬分屯基地(京丹後市丹後町)への米軍早期警戒レーダー(Xバンドレーダー)配備計画で、市は26日、関連工事の着工が27日に決まったと発表した」(産経新聞)そうです。そう、知らない間に、この国は最前線に立たされているようです。本来必要のない衝突を起こし「愛国」という美名の元で、日本人のためではなく、海外金融資本のため、彼らの手先になろうとしているわけです。
民主党から現在の自民党に代わり、なにが代わったのか?なにも代わっていない。ただひたすら、国民の状況は過酷になっているのではないですか。
本質を見極めたいと思います。


また、少しずつ、このブログで語っていきたいと思います。よろしくおねがいします☆


2014年1月8日水曜日

2014年も八日も過ぎて


しばらくブログというものに嫌気がさしていて、遠ざかっていました。ごめんなさい。
そのうちに、年も明け、2014年すなわち平成26年になったのでした。
また、いろいろアップしていきますので、今年もよろしくお願い致します。



去年は友人が二人あちらへ旅立ちました。

 一人は俳優で監督の塩屋俊さん。そして、もう一方は振付師・演出家の竹邑類さん。
塩屋さんは大学の先輩でもありましたし、僕が演劇を志す最初のきっかけを作って頂いた方でもありました。彼の抱いていたその志は決して忘れません。


そして、竹邑さんは僕の翻訳劇を演出していただいたご縁でおつき合い頂きました。「まずは続けないさい」と、演劇を続けることの真の重要性を教えてもらいました。作家・三島由紀夫さんが短編小説『月』の中で、夜になると70歳になる17歳の少年として描いた竹邑さん。その三島作品の登場人物でもあった竹邑さんが、17歳の少年時代からアートに関わりながら、やがて物語とほぼ同じ71歳で此の世を旅立たれるというのは、なんとも不思議な感じがします。現実も一つの物語のような気がしてなりません。ホワイト・レビューという竹邑さんの珠玉の舞台を僕は忘れません。





仕事に追われながら、年末から新年にかけて、映像作品を色々と観ることができました。
その中で、是枝裕和・監督:NONFIX『しかし… 福祉切り捨ての時代に』(1991年)というドキュメンタリーは、強く強く心に残りました。この映像を観せてくれた、僕の大学のクラスの学生であり、是枝監督にも指導を受けている「橘田さん」に心から感謝します。ありがとう!


「しかし… 福祉切り捨ての時代に(1991年)」はフジテレビのNONFIXで放映されたドキュメンタリーであります。しかし、この小さな作品の扱う問題は、放送から二十年以上経った今なお解決されてはいないどころか、問題は深く広く、まるで小さかった傷口が広がり周囲が壊死していくようなそんな印象さえ受けます。事態は確実に悪化している。監督した是枝裕和さんはこの作品を本としても出版しておられます。

1990年(平成2年)12月5日。環境庁次期事務次官候補が自ら命を絶った。山内豊徳さん。53歳。水俣病裁判の国側の責任者として和解拒否の弁明を続けていた企画調整局の局長でありました。さらにもう一人の登場人物、銀座での売れっ子ホステスから一転、当時荒川区で難病に一人苦しみながらなんとか日々を生き抜こうとしていた原島のぶ子さん。二人にはまったく接点はないけれど、福祉政策の歪みと福祉の受給という、「福祉」のその一点で人生が交差しているのです。

近年でもメディアが、お笑い芸人等の生活保護不正受給を大問題化することによって、巷ではあたかも生活保護を申請すること自体が良くないという印象操作が行われていました。この流れから、社会保障自体をいずれ廃止すべきではないか、といった極論が今やまるで当然のことのように大手を振って歩き出しています。勿論これは、昨日今日始まった民主党や自民党といった政権の持つ問題ではなく、むしろ今世界に蔓延している新自由主義的価値感の生み出す問題なのです。がしかし、この生活保護をはじめとした福祉の切り捨てという問題は、何十年も前から国民に気づかれないほど小さな小さな形で、止むことなく続けられてきたこの国の決定的な政策、政府の決定事項なのだと思われます。そしてそれが、今現在、更に悪化しているというわけです。山内豊徳さんは水俣の患者と国側の間に挟まれ、自死に追い込まれました。官僚として死に逃げるよりも根回しの技術を持てば良かった、等と後付けの評価はこの種の出来事では無意味です。なぜなら、この問題はこの国が欧米と共に「個人の幸福」もしくは「個人の福祉」よりも、「国家の一部の層の幸福」を取る方に確実に舵を切ったからこそ起こっている出来事だからです。問答無用のこの状況では、根回しなど何の役にもたたない。だからこそ、心ある山内さんのような官僚には頑張って欲しかった。しかし、彼の陥ったその抜き差しならぬ状況は想像するに余りあります。

原島さんという女性の人生も、まったく動こうとしない福祉関係の役人の心ない対応の中で、年末に命を絶つというなんともやりきれない最後であり、無縁仏として荼毘に付されるという哀れさは、観る者に他人事ではない切実さで迫ってくるものでした。
決して忘れてはならないドキュメンタリー作品ですね。そして是枝監督の原点にあるものとも言えるのではないでしょうか。何度も観て心に刻みつけたい作品です。



年の初めに、暗い話題と思われたかもしれません。
しかし、世の中では、やれアベノミクスだの、その効果で金融関係の給料が上がるだの、やれ東京オリンピック開催だの、一見明るいニュースが沢山あるようですが、その実、矛盾ばかりが露呈しています。
例えば、東京オリンピックの主要開場になるであろう新国立競技場は、ザハ・ハディッドという英国の女性建築家による設計で建設費は約1800億円、年間維持費は約41億円にものぼる見通しであり、更にそのあまりにも巨大な構築物のせいで、国立競技場周辺の景観は全て変わってしまうということだ。これなども、本当にそんな巨大施設を建設する必要があるのだろうか。そんな中で今、真剣に言われているのは、オリンピック直後に日本を戦後最大の不況が襲うのでは?という懸念。これなどは明らかに国力を上げるよりも、寧ろ日本という国の国力を減退させる方に向かってはいないか?という疑問も出てくるように思う。

 
今年もまた、世界と巷と時代と歴史をあれこれ考えつつ、しっかりと歩みを進めていこうと思います。
見えにくい問題をしっかりと見つめたい。世界はまだまだ捨てたものじゃないのだから。
今年も、よろしく!

2013年12月4日水曜日

短編小説の感想☆

久しぶりのブログアップです☆
短編小説の感想を書いてみました。素晴らしく良く書けている小説でした。
ますます素敵な作品を書いて下さいね!

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小説『おっとナンテン』に寄せて
—今は亡きものに物語ることー



先日、大学で新聞を一部渡された。講義の終わりに学生の一人が出席カードを出す代わりに新聞を渡してくれたのだ。
そっと差し出された山梨日日新聞の一面にその作品は書かれてあった。
小林けい子さん作の「おっとナンテン」である。
僕は早速帰宅するとその小説を読んでみた。

その短編の中には、昭和を生きた家族の肖像が書かれてあった。四人姉妹と父と母。そして、家族はやがてばらばらになるが、何かが微かに受け継がれていく風景がそこにあった。

家族と共に暮らすとき、人はその日常が永遠に続くような錯覚の中で生きている。やがて一人、また一人、と家族は姿を消していき、家自体も拡大したり縮小したり、場合によっては消滅する。しかし、その渦中にある時は、人はその栄枯盛衰に意識が及ばない。しかしながら、だからこそ我々人間は日々の暮らしを営んでいけるのだろう。

物語る人とは、その時間の中で変化し、遷ろう世界の有り様を魂に留め置き、それを言葉という手段や、絵画や彫刻、あるいは音楽という手段で他者に伝える人のことだ。人は記憶する生き物だが、己の人生を生きるのみ。従って、そもそも限定された経験枠の中で、物語を読んだり見たり聞いたりして、その不可能な経験を「追体験」として味わうのである。己自身の人生の枠を超えるとき、他者への「共感」も生まれるのかもしれない。
その意味では、この世界に、「私と無関係な物語」などないことになる。

まさしく、この「おっとナンテン」という小説も、作者自身の経験を描きながら、そこに読むものが己自身の経験を投影する「追体験」と「共感」の余地を残しているのだ。私自身、商売の家庭で育ってはいないけれど、キリスト教会で頑固に牧師にこだわっていた父や、貧しいその暮らしを支えた母を思い出さずにおれなかった。

物語を読むという行為は、そこに「私」を見いだすことだ。
「おっとナンテン」は、その「私」の物語なのだと思う。他人行儀な、観察に基づいたどこかで見た風景や知識で武装された物語世界ではなく、そこには自分自身の生きた日々と、読む者を裏切ることのない人間の「愚かさ」と「賢さ」が見事に書き込まれているのだ。
読み終わった後、不思議に涙が溢れてくる。それは単なる懐かしさではなく、失われいくものと、今もなお現在進行形のこの人生に対する愛惜の情から溢れ出た涙かもしれない。
それでも人生はつづく。そして、やがて誰かに何かを手渡してこの去って行くのだろう。
この短い小説の中に、人が此の世を生きる小さな小さな知恵があった。
それは、最後に出てくる言葉だ。

人生とは「懐かしく」「可笑しい」。
そして「愛おしい」。

素晴らしい物語を、ありがとうございました。
   

2013年7月22日月曜日

知価Bar. にて

知価Bar. とは「知価場」。

すなわち、「知」恵をつなげて新しい「価」値を生み出す「場」となる。ということだそうです。
月に一度、青山にあるお店で、様々な分野の方たちと語る場が「知価場」です。


僕は、先日この「知価Bar. 」でお話しする機会を頂きました。その日ご一緒したもう一人のゲストの方は著名な振付師であり、教師であり、バリアフリーの社会を模索し提案する人でもある「香瑠鼓」さんこと、五十嵐 薫子さんでした。
香瑠鼓さん☆知価BARにて: 2003.7.20

僕がまだ芝居をはじめたばかりの頃、彼女とはミュージカルの舞台でご一緒したのです。かつての共演者が、別々を道を歩んできて、いつしかこうして時を経て再会するとは不思議な感じがします。それも三十年の時を経て。
そもそも、今回の出演は、先月急逝した大学の先輩であり芝居の先輩でもある「塩屋俊」さんの代打で出演を引き受けたものです。それは小さなお店での小さなトーク・セッションでした。だけど、こうして再会というプレゼントが着いてきた。彼が引き合わせてくれたんだな。そんな風に思います。
ところで、薫子さんのお話は非常に興味深いものでした。「共感覚」というテーマで、彼女の開発した「ネイチャーバイブレーションメソッド」という身体論の一部をデモンストレーションして頂いたのです。例えば、目の前にいる人を見た瞬間にその人物から来た波動を感じて即興的に振り付ける、とか、手や身体を開くことで、動作自体が身体を通じて精神に影響を与える、とか…。彼女が言うように、僕らの身体は大方水からできているので、波動を感じやすく、実際はコトバ以上にコミュニューケーションの大半を形作っているのでしょう。小さな「知価Bar. 」の室内が空気や水が行き交い交差し漂い浮き沈む、実に不思議な体験が得られました。
僕は「コトバ」を取り戻そうとして旅してきましたが、薫子さんはコトバ以外の意味を見いだす旅に出ていたのだと思いました。
その意味で、それぞれの旅の途上で、こうして再会できるのは本当に嬉しいことです。素晴らしい体験をありがとう!!


僕です☆知価BARにて: 2003.7.20
この知価Bar. を企てているのが、僕の三十年来の友人にして、僕のロックバンド「FIFTIES」の最強のドラマー・越前広一さんです。以下、コーイチでいきます。
コーイチとはやはり初期の頃舞台を共にし、熱い二十代をすごした仲間でした。やがて、企業戦士となった彼とも数年前に再会し、今度は音楽で、しかもロックで燃えているというわけです。
今回のトーク・セッションでは、彼の中学時代のお友達も参加して頂き、僕も熱くなって激論するという、嬉しいハプニングもありました!ロックしたぜ!!
そのご友人がお話ししてくれたのが、911の時のWTCビル内の様子。
間一髪で社員と共に脱出することのできたエピソードは生々しく、そしてその体験の重さに鳥肌がたちました。部下が一人も亡くならなかったというのは、本当に奇跡なのだな、と思いました。そして、人は、何気なく、驚くべき体験を胸に秘めながら生活しているのだなと改めて思いました。貴重なお話し、ありがとうございました!!
本当に温かい雰囲気の中、あっという間に時間が経ってしまい、話し足りないぐらいでした。
また、ぜひこんな機会を持てたらいいね!

コーイチ☆
ありがと!!!(写真も使わせてもらったよ!)

薫子さん☆
また、お目にかかりましょう!!!

そして、参加して頂いた皆様☆
温かいリアクションに感謝です!!!
また!!!!

 

2013年6月29日土曜日

チーフ・シアトルの手紙


Dances with Wolves 1990
この前、映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ』を考えていた。

不思議な映画で、1990年に公開されたときは高評価プラス大ヒットプラスアカデミー賞受賞とという華々しさだったが、いつしか忘れられてしまった。
勿論、忘れられてなどいないが、今やテレビで放映されることもない、話題に上ることもない、更にその価値も振り返られることがない。
何故なのだろう?

現在、アメリカでネイティブ・アメリカンの権利運動を行っている人物にデニス・バンクスがいる。

Dennis Banks (born April 12, 1937), a Native American leader, teacher, lecturer, activist and author, is an Anishinaabe born on Leech Lake Indian Reservation in northern Minnesota. Banks is also known as Nowa Cumig 

かなり過激な運動家である彼だが、その精神は過去の歴史上の祖先たちと何ら変わらない。神聖な髪を伸ばし、三つ編みにし、デニムに身を包む。その生活はダンス・ウィズ・ウルブズさながらである。実際、映画は彼らの生活を描いていたとも言えるのではないか。そんな風にも思う。
ダンス・ウィズ・ウルブズが忘れられていったのは、AIM(American Indian Movement - インディアン権利団体の「アメリカインディアン運動」)というデニスたちの運動に対するネガティブな反応と軌を一にしているような気がする。
彼らの主張は過去のものではない。
かつて、シッティング・ブルと呼ばれたスー族の酋長・タタンカ・イヨタケは、白人の学校にスー族の若者を入学させようと合衆国政府が言い出したとき、次のように言ったそうだ。「・・・むしろ逆に、君たち白人の若者を我々の所によこしたまえ。自然の中で生き抜く方法を教えてあげよう」
勿論、合衆国政府はすぐに断った。

今もなお、ネーティブ・アメリカンたちのこれまでの過酷な運命をしっかりと世界に伝えられてはいないのである。僕らは彼らの現実をどれだけ知っているだろう。
同様に、僕らは僕らの過去も実はあまりよく分かっていないのである。
デニスたちの態度に、日本人である僕らも学ぶ必要がありそうだ。すなわち、歴史はなにも終わってはいないのだということ。日本人も、ネイティブ・アメリカンも、共に検討し直さなければならない深い歴史の溝を抱えているのである。
そんなことを考えていたとき、不思議なことに、ミュージシャンの友人「キリロラ☆」さんから、一枚のテキストを頂く。
それが、「チーフ・シアトルからの手紙」であった。

はじめに断っておくが、実際にチーフ・シアトルという人物の手に成る手紙かどうかは不確かだ。だが、仮に別の人物によるものだとしても、その手紙の内容は陰るどころか、輝きを増すように思う。ここに書かれているのは、単なる自然保護に対する言説ではない。むしろ、世界と僕らの関係を的確に表現した「世界に対する覚え書き」といった類いのものだと思う。人は、常に傲慢になっていく可能性がある。その傲慢さは、己が世界の中心であるという錯覚から生じるのだが、チーフ・シアトルの言葉は、世界の中心は己にあっても、他のすべてが、同様に世界の中心なのだから、特定の何かがトップに立つなどということはあり得ない、という自然の状況を伝えている。
現代の人間はどこか不自然なのだ。その不自然さを認めないかぎり、その不自然さを受け止めないかぎり、人間は果てしなく自分本位の傲慢で脆弱で破壊的で破滅的な存在に堕してしまうだろう。そんなことをこの手紙は考えさせてくれる。ここには、たとえば鯨を捕ることが残酷だとか、その代わりに牛を喰えだとか、そんな陳腐なことは何ひとつ出てこない。すべてを商業的な視点から見てしまう現在のこの世界において、この手紙には、商業から最も遠い、見事なまでの「詩」があるのである。
僕たちに必要なのは、詩のような世界認識なのだと思う。あの青い空を僕らは、そもそも売り買いできるはずがないのだ。



『チーフ・シアトルの手紙 ーすべての人々へー』翻訳:上野火山

【チーフシアトルはアメリカインディアン・スカーミッシュ族の酋長であり、伝えられるところによれば、1800年代にアメリカ政府に手紙を書いたと言われている。その手紙の中で、彼はあらゆる物事の中にある神というものについて最も深い理解を示したのだった。ここに彼の書いたその手紙がある。それは世界中のあらゆる国々のすべての親や子供がその心や精神に刻みつけておくべき言葉である。】

「チーフ・シアトルの手紙

ワシントンの大統領が、我々の土地を買いたいと言ってくる。
しかし、あなた方は、空や、大地を、どうやって売り買いすることができるのだろう?そのような考え方は我々には奇妙に思える。もし我々が空気の清らかさや水のきらめきをそもそも持っていないとしたら、あなた方はそれをどうやって買うことができるのか?
この地上のすべてのものは我々人間にとって聖なるものだ。すべての輝く松の葉の一本一本が、すべての岸辺の砂粒ひとつひとつが、すべての暗い森に煙る霧が、すべての牧草地が、そしてすべての音を立てるあの虫たち、そのすべてが我々人間にとって、記憶や経験の中の神聖なものたちなのだ。我々は木の中を流れる樹液の存在を知っている。我々が自分の血管の中を血液が流れているのを知っているように。我々はこの地上の一部であり、この地上もまた我々の一部なのだ。あの香しい花は我々の姉妹であり、熊も、鹿も、大鷲も、すべて我々の兄弟なのだ。
岩だらけの頂も、牧草地の露の滴も、子馬の身体のぬくもりも、人も、すべて同じ家族の一員なのだ。
せせらぎや川を流れる輝く水は、単なる水ではなく、我々の祖先の血そのものだ。もし我々があなた方に我々の土地を売るとする、ならばあなた方はその土地が聖なるものだということを忘れてはならない。湖の透明な水に反射するその艶やかな輝きひとつひとつが我々の先祖の生活に起こったことや記憶を伝えてくれる。その水の呟きは、我々の父の、更にその父の声なのだ。
川は我々の兄弟。川が我々の喉の渇きを癒やしてくれる。川が我々のカヌーを運び、子供たちに食べ物をくれる。だから、あなた方は自分の兄弟に与える優しさを、川に与えなければならない。
もし我々があなた方に我々の土地を売るならば、空気が我々にとって貴重なものであり、空気がそれを支えるあらゆる生き物とその魂を共有し合っているということを忘れてはならない。我々の祖父に最初の息を与えた風は、彼の最後の溜息も受け止めたのだ。その風はまた我々の子供たちの命にその魂を与える。だから、もし我々が我々の土地を売るとすれば、あなた方はその土地を他とは区別し神聖なものとしておかなければならない。すなわち、人が牧草地の花によって甘く香る風を味わいに行けるような場所として。
あなた方の子供たちに、我々が我々の子供たちに教えてきたことを教えてはもらえないだろうか?つまり、大地が我々の母だということを。地上に降りかかるものは地上のすべての息子たちに降りかかるということを。我々が知っているのはこういうことだ。大地は人間のものではない。人間こそが大地のものなのだ、ということ。
すべてのものは我々皆を繋ぐ血液のように結び合っている。人が生命の網の目を編んでいるわけではない。人は単に生命の一本の撚糸(よりいと)にすぎないのだ。網の目に対し何をしようとも、人は自分に向かっているだけだ。
我々が知っていること。それは、我々の神も又あなた方の神である、ということ。地上は神にとって貴重なものであり、地上を汚すことは地上の創造者に対し侮辱することになる。あなた方の運命は我々にはわからない。バッファローが絶滅させられた後、何が起こるのか?野性の馬たちが飼い慣らされたら、どうなるのか?
森の秘密の場所が多くの人間の匂いで充満し、熟した丘の景色も、電話線で汚されたら、どうなるのか?雑木林はどこへ行ってしまうのか?消えてしまうのだ!あの鷲はどこへ行くのだろう?消えてしまうのだ!そして、何が、足の速い子馬にさよならを言って、それから狩りをすることになるか?生きることが終わり、生き残る事が始まるのだ。最後の赤い人間がこの野性と共に消えてしまい、彼の記憶はただ平原を吹き渡る一片の雲の影にすぎなくなる時、これらの岸辺や森はこれからもここにあるのだろうか?我々の仲間達の魂が、幾何かでも残っているのだろうか?我々は生まれたばかりの赤子が母親の鼓動を愛するように、この大地を愛する。我々が慈しんできたように、大地を慈しんで欲しい。大地の記憶を、あなた方がそれを受け止めたときのように、心の中にとどめておいて欲しい。すべての子らのために大地を守り、愛して欲しい。まるで神が我々を愛するように。
我々がこの大地の一部であるように、あなた方もこの大地の一部なのだ。この地上は我々にとってかけがえのないもの。それはあなたがたにとってもかけがえのないもの。
我々が知っているのはこういうことだ。
独りの神しかいないということ。赤い人間であれ、白い人間であれ、人は分けることはできないということ。我々は、結局は、皆兄弟なのだから。」


■原文■
Chief Seattle's Letter To All THE PEOPLE

【Chief Seattle, Chief of the Suquamish Indians allegedly wrote to the American Government in the 1800's - In this letter he gave the most profound understanding of God in all Things. Here is his letter, which should be instilled in the hearts and minds of every parent and child in all the Nations of the World: 】

CHIEF SEATTLE'S LETTER 

"The President in Washington sends word that he wishes to buy our land. But how can you buy or sell the sky? the land? The idea is strange to us. If we do not own the freshness of the air and the sparkle of the water, how can you buy them?
Every part of the earth is sacred to my people. Every shining pine needle, every sandy shore, every mist in the dark woods, every meadow, every humming insect. All are holy in the memory and experience of my people.
We know the sap which courses through the trees as we know the blood that courses through our veins. We are part of the earth and it is part of us. The perfumed flowers are our sisters. The bear, the deer, the great eagle, these are our brothers. The rocky crests, the dew in the meadow, the body heat of the pony, and man all belong to the same family.
The shining water that moves in the streams and rivers is not just water, but the blood of our ancestors. If we sell you our land, you must remember that it is sacred. Each glossy reflection in the clear waters of the lakes tells of events and memories in the life of my people. The water's murmur is the voice of my father's father.
The rivers are our brothers. They quench our thirst. They carry our canoes and feed our children. So you must give the rivers the kindness that you would give any brother.
If we sell you our land, remember that the air is precious to us, that the air shares its spirit with all the life that it supports. The wind that gave our grandfather his first breath also received his last sigh. The wind also gives our children the spirit of life. So if we sell our land, you must keep it apart and sacred, as a place where man can go to taste the wind that is sweetened by the meadow flowers.
Will you teach your children what we have taught our children? That the earth is our mother? What befalls the earth befalls all the sons of the earth.
This we know: the earth does not belong to man, man belongs to the earth. All things are connected like the blood that unites us all. Man did not weave the web of life, he is merely a strand in it. Whatever he does to the web, he does to himself.
One thing we know: our God is also your God. The earth is precious to him and to harm the earth is to heap contempt on its creator.
Your destiny is a mystery to us. What will happen when the buffalo are all slaughtered? The wild horses tamed? What will happen when the secret corners of the forest are heavy with the scent of many men and the view of the ripe hills is blotted with talking wires? Where will the thicket be? Gone! Where will the eagle be? Gone! And what is to say goodbye to the swift pony and then hunt? The end of living and the beginning of survival.
When the last red man has vanished with this wilderness, and his memory is only the shadow of a cloud moving across the prairie, will these shores and forests still be here? Will there be any of the spirit of my people left?
We love this earth as a newborn loves its mother's heartbeat. So, if we sell you our land, love it as we have loved it. Care for it, as we have cared for it. Hold in your mind the memory of the land as it is when you receive it. Preserve the land for all children, and love it, as God loves us.
As we are part of the land, you too are part of the land. This earth is precious to us. It is also precious to you.
One thing we know - there is only one God. No man, be he Red man or White man, can be apart. We ARE all brothers after all." 


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