暑いね〜…!!
ほんとに綺麗な空
がんばろね!
☆上野火山☆
空を見上げれば、いつの間にか怪しい飛行機雲が空を覆っているなんてことも多い今日この頃、
風に吹かれて移動する雲の風景は何とも気持ちのいいものですね☆
そんな動画を見つけました!
アップされた方に感謝☆
ちょっと涼んでみましょうか。。。。。数日前の空だって
「雲の通り道」
今から一ヶ月ほど前ですが、ネット上の動画サイトで評判になったのが、「Israeli soldiers dancing 」という映像です。
真偽のほどはわかりませんが、恐らく作られたものなのでしょう。
でも、情報によればこの映像に参加したイスラエルの兵士たちは全員処分されたとか。
そしてもう一本。
「Israel soldier shoot Palestinian boy」という作品。
投石したパレスチナ人の少年を射殺したというイスラエル兵の話を、こんな風にアレンジするんだな。
どちらを観ても、思うことはひとつ。
あらゆる国家が、己の国の国民を食い物にし、苦しめるという事実。
イスラエル人は、何よりもまずイスラエルという国に苦しめられているのだと思う。
アメリカ人はアメリカに苦しめられ、日本もまた同じだ。
先日、ハローワークに次のような求人広告が出たそうだ。
「工学系修士必須 TOEICー900点以上 経験者のみ(6年以上の経験)30歳まで 時給~750円(応相談)」
あるいは、
「次のような方を希望します。『熱意を持っている方』雇用形態:契約社員 (09年4月~7月、延長なし)」
この他にも信じられない求人広告が多数出されているようです。
こんな滅茶苦茶な求人広告が当たり前のように掲載されるというのは、いったいどんな国なんだろう。
いや、まさにこの国、日本なのだ。
インターンシップという心地よいネーミングで、「研修」「職場体験学習」という隠れ蓑で、学生にただ働きを強いる企業があるのも日本だし、それを支援するのもこの国の大人たちである。
ひょっとすると国家などという枠組みはとっくの昔に破綻しているのかもしれない。
しかしながら、その中に暮らす市民は決して破綻してはいない。
踊るイスラエルの兵士たちも、国家の思惑ではなく、音楽に踊りたいのである。
パレスチナの少年に照準を合わせるイスラエルの兵士は、少年ではなく石に照準を合わせたのかもしれない。
こんなにも穏やかそうな表面のすぐ下で、日本も暗い策謀のすえ、いずれ足下から瓦解してくのかもしれない。
大事なことは、権力に踊らされるのではなく、己の判断で踊ることだ。
もしかしたら、選挙などではなく、個人の「踊り出す」行動こそが今必要とされているではないかと思う。
人がそれぞれの場所で、うまくだまして切り抜けようとするのではなく、踊り出そうとすることこそが必要なんだと思う。
踊るというのは、自分ができる最大限の喜びの表現ということだ。
喜ぼうとする人間の足を、他人は引っ張ることができない。
踊るが勝ちだと、僕は思うな。
7月までの喧噪が止み、少しばかり静かに集中できるようになりました。
教える仕事以外の時間は、作品造りに集中しています。
こんなに熱いのに、なぜか蝉の声がちょっと少ない気もします。今日は薄曇りだからだろうか?
You Tubeに懐かしい映画の予告編がアップされていました。
1975年のATG映画『祭りの準備』です。
この作品に関してはかつて何度か書いたことがあるので、このブログを読んでくれている皆さんはもうすでにご覧になっているかもしれません。
中島丈博さんのシナリオが強く胸に迫る青春物語ですよ。
ひょっとして文学が映画よりジャンルとしては上にある、などと思っている人がいたら、それは間違いです。
下らぬ文学より、優れたドラマは映画であれテレビであれ舞台であれ、文学を遙かに超えます。
この映画は映像小説といってもいいかもね。
ワンカットワンカットが濃く出来上がっています。
今風の薄っぺらな薄笑いを浮かべたシニカルなポストモダン派には、到底作れるはずもない良い意味の「濁り」があるんだな。
八十年代以降、この「濁り」のようなものを排除して美味しい生活をかさね、格差を基礎にした奴隷社会が今立ち現れているんじゃないですか?
濁り。
この濁りを見つめることで、泥臭く小綺麗ではないが、しっかりと踏みしめるべき大地の在処がわかる。
この三十年間の中で、よって立つべき足下と濁りのような得体の知れない「希望」を失ってしまったのだと思う。
青春という言葉は、メディアに植え付けられたイメージよりずっとどす黒く情けなく濁っているんだよ。
でも、だからこそ忘れられないのさ。
昔が良かった、というのでは決してありません。
置き忘れてきたもののひとつだろう、と僕には思えるだけなんです。
ブザービートの青春もいいけれど、濁ってみっともない「祭りの準備」の青春を僕は置き去りにしたくないだけなんだ。
あの映画の中に、恥ずかしながら、僕はいましたよ。
たぶん、あれは、僕です。
それは、確かだ。
夏の日に、外の蝉の声を聴きながら観たい映画。
是枝監督の『歩いても 歩いても』はそんな映画だ。
少年を助けようとして命を落とした兄の十五回目の命日、実家に戻った弟の一家と年老いた父と母、そして姉の一家。
物語は淡々と過ぎてある一夏の風景が描き出される。
しかし、ありふれた風景の中に、静かだが激しく行き交う情と情。心と心。
当たり前の普通の風景が、たまらなく胸に迫る。
日常はこんなにもドラマに満ちている、と改めて思わせてくれる。そんな映画。
大宣伝映画にうんざりする向きには、心の糧となり、魂の清涼剤になる映画だと思うな。
ただし油断は禁物。
口に優しい、人情喜劇ではありません。毒のたっぷりこもった物語ですよ。
日常生活にちりばめられた毒の数々。
それに気づき、知るほどに胸が締め付けられるのです。
この映画はもっと知られて良いと思うんだけどね。
映画『歩いても 歩いても』予告編
近未来SF小説を読みながら、漂う雲に現実確認している。空想は日常をほんのわずかずらしたところにあるんだぜ。
ああ、僕は仕事の合間に小説を読みながら、青空と白い雲のリアリティに身を浸している。
この風景を忘れたくないんだ。
そして、get back to my work!!
☆上野火山☆