2010年4月18日日曜日

Father And Daugther

短編アニメーションというのは、あまり目にする機会がありませんが、傑作、佳作が多いのです。
「父と娘」というこのアニメーションもその例に漏れず傑作だと思います。
まぁ、オスカーに輝いたというのは、当然かもしれません。
でも、賞に輝いたなんてどうでもいいな、この作品自体がすばらしい!

一言も台詞がありません。 セピア調のアンバーな白黒で、華やかな色合いがありません。
手書きの雑な感じの絵です。 でも、 登場人物の「心」が本当に丁寧に描かれているんだ。
丁寧というのは今の世にあってキーワードかもしれません。
というのも、様々な部分で「雑」で「がさつ」がまかり通っている現代日本では「丁寧」は「もったいない」に次ぐ、いやそれ以上に重要な取り戻すべき価値観のような気がします。
仕事でも、勉強でも、遊びでも、丁寧にやりたい。
丁寧な仕事は、心に響く。 丁寧な仕事は、いずれ開花する。 丁寧に、丁寧に、丁寧に、、、、、。
この八分間のアニメーションは、ひょっとすると意味がつかみにくいかもしれません。
でもね、 不意に伝わるかもしれません。
この小さな物語の持つ意味が。 人生というのは、こんなものかもしれません。人生万歳だな!!
作者の本当に丁寧な仕事のおかげで、僕たちは八分間の奇跡を楽しむことができるのかもしれませんね。
良かったら見てみてください。
僕は好きだな、この小さな物語が。国も文化も、時代もイデオロギーすら超えていく。

『Father and Daughter』

2010年4月9日金曜日

コンピューターが復活☆

今回、突然のコンピューターの不調に見舞われ、ここ数週間、パソコン・ワークがちっとも進みませんでした。
何とか危機を脱したようで、仕事を再開しております。
またブログも継続していきます。
よろしくね!

2010年4月1日木曜日

銀座

久しぶりの銀ぶら。

天気は春めいて、ゆったりと散歩、
のはずだったのですが、実際は我が愛用のパソコンの修理に行きました。

なんとかHDは無事のようですが、初期化は否めません。
穏やかな春の日に大ショック〜!
データよ、とぶなァァァアア!!!
どうも先月あたりから調子が悪かったんだよな。

皆さまもお気をつけください。

泣きそうな気分の銀座ワコー前。。。。

☆上野火山☆

2010年3月24日水曜日

オレたち

高校生たちと小さな舞台を創っています。
あんまり小さなものなので、アハハハ!って笑っちゃうぐらい可愛いです。

でもね、若者たちは本気なんだ!
いいなぁ☆

CobraというOi-Punk系のバンドが昔あって、90年代の初め頃好きで聴いていました。
わりと早くに解散しちまったと思っていたのですが、いやいや、今もなおメンバーチェンジはありながら、現役で頑張ってるようです☆

彼らの曲の中でも、「オレたち」は特に好きな曲。
「あれだぞ、オレたちだって~、馬鹿じゃないんだぞ~
 あれだぞ、オレたちだって~、頭いいんだぞ~~~」
という、どうしようもない歌詞に惚れてます。

本気というのは、本当に恥ずかしいものです。
できたら、本気の自分なんか見られたくないし、見せたくないもない。

でもさ、あれだぞ、オレたちだって、みんな恥ずかしいんだぞ☆
でもさ、あれだぞ、そんなオレたちだって、見栄やてらいをすてたら、ステキなんだぞ~☆

だから、本気で行こうぜ、何事も!
そう思えるだけで、オレたち、
馬鹿じゃないんだぜ、頭いいんだだぞぉおおおおお!!!

好きなもの。

好きなものは、いろいろありますが、やっぱりドラマが一番好きだ。

もちろんドラマはテレビだけのものではありません。人間とその生活と歴史を物語れば、それがドラマです。ドラマドラマドラマドラマ、、、四六時中、ドラマを考えています。

石川寛監督の映画が好きだな。
「Tokyo.sora」と「好きだ、」の二本。

現在リアリズムを最も慎み深いやり方で体現している映画作家の一人だと思う。
静かで、起伏があり、それでいてどこかに激しさがある。この二本の映画に共通した要素です。
殊更ドラマを創り出すのではなく、人がいて、人が行き交えば、そこにドラマが生ずることを信じているのだろうと思います。

単なる心象風景ではない「空」の風景は、二度と戻ることのない一瞬を伝えてくれています。
人生時間は決して派手ではないが、静かに確実に流れているんだな。
そんな当たり前の時間に、そして、当たり前の空の色に感謝したくなる。

時々、僕は、そんな好きなものをだれかと共有したくなる。

『tokyo.sora』


『好きだ、』

2010年3月23日火曜日

The Blind Man‘s Meal

“The Blind Man's Meal” ー 盲目の男の食事

パブロ・ピカソ 1903年


この絵の中の人物が、視力を持たないことは、その手の動きで分かる。
指先の繊細な感触が見る側に伝わってくる。
五感を当然と思い込んでいる者には、感覚の欠損は想像しにくい。けれども、僕らの五感をひとつひとつ確かめることをし、確認してみると、あまりにも無意識にそれらがあることに驚かされる。

俳優の訓練法の中に、Sense Memoryという「感覚の記憶」というものがある。
五感で体験したことを、意識的に再現してみるというエクササイズ。僕の主宰するワークショップでも極力初期の段階で導入するエクササイズの一つですが、意外なほど己自身を取り巻く世界を活き活きと感じさせてくれるものなんだな。
それほど、意識的にならねばならないほど、五感は無意識の感覚なのですね。

ピカソのこの絵は、見えないという状況と、同時に視覚に変わる触覚の存在を感じさせてくれているんだな。彼の「青の時代」の傑作一つだと僕は思っていますが、最近この絵から様々なインスピレーションをもらってます。

見えないことはきついことですが、同時に世界に対する愛情が芽生える契機かもしれない。
そしてそれは、視覚に限ったことではありませんね。
実際、五感以外にも本当は、人間誰しも何らかの欠損部分を抱えているんじゃないだろうか。
そのことに意識的になれば、すなわち、世界に対する目覚めの契機になるはず。

この世には当たり前のことなどなにひとつない。
特権意識や選民意識を持つ前に、己の欠損部分に意識的になることは精神の健全を保つ上でも必要なことだと思う。なにしろ、僕らはみんな、ほっときゃ自分だけは見ないで時を過ごすものだから。他人を批判したり憐れんだりしながら決して自分を見ない。ところが、この「盲目の男の食事」という絵には憐れみも皮肉も軽蔑も、同情もない。
あるのは、単なる共感のみ。自分自身の盲目性と向き合っている。
僕のめざす演劇も、こんな所にヒントがありそうだ。

2010年3月22日月曜日

『シェルター!!』を観る☆



本日、中目黒の「ウッディーシアター中目黒」にて、友人の俳優、高杉瑞穂君の初主演舞台を見せて頂きました。

物語は未来。
ある日突然巨大な隕石が地球上に落下してくるその直前、隕石落下四時間半前の出来事を、地下のシェルターに逃げ込んだ四人の人物を通して描いていました。
人間はもう未来がないと分かったとき、果たしてどんな行動をとり、何を思うのだろうか?
いろいろと考えされるストーリーでした。

毎日を最後だと思い生きていこうと思っても、唐突に終わる残り数時間を人はどう過ごすことができるのだろう?
舞台を観ながら、あれこれ考えていました。

高杉君演じる「星野」という青年の軽さは、最初、違和感を持つほどあっけらかんとした軽さでした。が、やがてわかってくる過去と深い絶望から、その軽さの正体が見えてくるのです。挫折したまま死を迎えることを決めつけられた人間は、軽く軽薄に振る舞う以外に何ができるだろう。
僕は見ていて思った。
ひょっとして、このなんともいえない軽さこそ「リアル」なのかもしれない、と。
そう思ったとき、エンディングに唐突に現れた心臓マッサージの風景は、最後の最後に漏れ出てきた人間の本性である「必死さ」そのものであったような気がします。
ラストよかったなぁ!!


この舞台のテーマは、まさに最後に取り戻すべき「必死さ」の復権であったように思います。

テレビドラマでお馴染みの高杉瑞穂という役者の、ライブの演技という新たな飛躍を見せていただきました。ありがとね!
演技はさ、やっぱりライブだぜ☆
舞台の一期一会を、今一度確認した一日でした☆

また会おう!!

☆上野火山☆

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