2009年6月6日土曜日

今日の線路

今日も雨の中、仕事に出たよ〜♪


今日の線路はこんな感じ☆

そしてご本人で〜す(爆)
携帯からちゃんとアップできるかなっ???


☆上野火山☆

2009年6月3日水曜日

決定的瞬間


Henri Cartier - Bresson
French, b. 1908, d. 2004
Born in Chanteloup, Seine-et-Marne, Henri Cartier-Bresson developed a strong fascination with painting early on, and particularly with Surrealism. In 1932, after spending a year in the Ivory Coast, he discovered the Leica - his camera of choice thereafter - and began a life-long passion for photography. In 1933 he had his first exhibition at the Julien Levy Gallery in New York. He later made films with Jean Renoir.
Taken prisoner of war in 1940, he escaped on his third attempt in 1943 and subsequently joined an underground organization to assist prisoners and escapees. In 1945 he photographed the liberation of Paris with a group of professional journalists and then filmed the documentary Le Retour (The Return).
In 1947, with Robert Capa, George Rodger, David 'Chim' Seymour and William Vandivert, he founded Magnum Photos. After three years spent travelling in the East, in 1952 he returned to Europe, where he published his first book, Images à la Sauvette (published in English as The Decisive Moment).
He explained his approach to photography in these terms, '"For me the camera is a sketch book, an instrument of intuition and spontaneity, the master of the instant which, in visual terms, questions and decides simultaneously. It is by economy of means that one arrives at simplicity of expression."
From 1968 he began to curtail his photographic activities, preferring to concentrate on drawing and painting. In 2003, with his wife and daughter, he created the Fondation Henri Cartier-Bresson in Paris for the preservation of his work. Cartier-Bresson received an extraordinary number of prizes, awards and honorary doctorates. He died at his home in Provence on 3 August 2004, a few weeks short of his 96th birthday.


「決定的瞬間」という言葉はこの人カルティエ・ブレッソンが述べた言葉であったことなどとうに忘れ去られ、陳腐に成り果ててしまった感があります。
しかし、芝居をしているとき、たえず僕の頭の中を過ぎるのがブレッソンの「決定的瞬間」なのです。
僕が俳優たちに繰り返し言う「モーメント」とはまさにこのこと。
一瞬にして通り過ぎていくかけがえのない「瞬間」。
俳優たちは芝居という作為的な疑似空間を生きながら、それでもなお真実の瞬間と向き合います。瞬間は作為できないのです。だからこそ、毎回芝居は異なったモノになり、一瞬一瞬が新鮮で新しい、つまり芝居とは固定することができない流れ続け変化し続ける流動体そのものです。
ブレッソンのDecisive Momentという考えは、僕の演劇観と合致しています。
そして、ここに彼の撮った一枚の写真があります。
サミュエル・ベケット。
Samuel Beckett   At home, Paris 1964.

鋭い眼光と孤独を抱えた一人の劇作家の風貌。
この静かな一枚の写真に「演劇」と「写真」の出逢いを感じます。撮影者と被写体が言葉ではなくモーメントを共有することで意思の疎通をしあっていることが見てとれます。
決定的瞬間とは、時には振り向きざまに、あるいは視線をふいに落としたときにやって来るのかもしれません。
決定的瞬間とは、今そこに在りながら、人がなかなか見つけられないでいる「時の一点」のこと。
その時の一点こそ、人生を人生たらしめているものかもしれません。

ブレッソンの言葉:
Quote: "To take a photograph is to align the head, the eye and the heart. It's a way of life." 
Henri Cartier-Bresson was a Magnum founder and a full Member since 1947.

2009年6月2日火曜日

Cry Me A River☆

今話題の人「Susan Boyle」さん。

確かに、久々に歌声でグッと来る人です。確かに。

今から十年ほど前にチャリティーで作ったCDに入っている彼女の声を聴くと、プロとかアマとか、もうどうでもよくなってしまう力があります。

迫ってくるんだな。声が。
聴いてみて、声の力がそこにある。

Susan Boyle Singing “ Cry Me A River ”  For A Charity CD

MillerとNewYork

Henry Valentine Miller (26 December 1891 – 7 June 1980) 
was an American novelist and painter. He was known for breaking with existing literary forms and developing a new sort of 'novel' that is a mixture of novel, autobiography, social criticism, philosophical reflection, surrealist free association, and mysticism, one that is distinctly always about and expressive of the real-life Henry Miller and yet is also fictional. His most characteristic works of this kind are Tropic of CancerTropic of Capricornand Black Spring. He also wrote travel memoirs and essays of literary criticism and analysis.

ブルックリンは残念ながら車で通りすぎただけ、

降りて歩ったことがありません。

なのに、懐かしいのは何故?

そして、ニューヨーク。

ニューヨークは僕にとって第二の故郷のような気がしてなりません。

生前のHenry Millerのニューヨーク話をYou Tubeで発見☆

貧しく、苦しい時代を話してくれています。
同時に良き時代でもありました。

プラス、そんな時代を生き抜き、よくもまぁ正気でいられたもんだ、なんて言ってます。

う~ん、いいなぁ。

幼い頃、国際電話がかかってきて、聴いた彼の声を思い出します。
まんまこの声。

今だから言えるけど、本当にいろいろありがとね!

弟のことや、バックスキンのブーツやコート、絵やブローチ、、、etc.

一番嬉しかったのは、僕の送ったピアノ曲の入ったカセットを喜んでくれたこと。

Henry! Thanks!
You’ll always be with me!

知られざる名画☆Lions for Lambs

Lions for Lambs:「大いなる陰謀」

昔、’90年代初頭ですが、アメリカの俳優であり監督でもあるロバート・レッドフォードが、ぜひ創りたいと言っていた作品があったんです。
「パックス・アメリカーナ」というそのシナリオは、アメリカという自由の象徴たる大国が覇権国家となり、やがて資本を武器に世界を全体主義的に支配していく様を描いたものでありました。

当時、バブルがはじける一歩手前の日本は海外の映画作品に多く投資していたので、合衆国内部での資金集めを諦めたレッドフォードは日本に資本提供を求めたと思われます。
ともあれ、僕はそんな中で彼の制作予定のシナリオを読み周囲のプロデューサー達に内容を伝える役目を担ったのでした。
若い僕は、ウィリアム・ギブソンのオリジナルシナリオと同じぐらい、このレッドフォードのシナリオに惹かれ、熱心に周りの人間達に語ってきかせたのですが、結局誰一人動く者はいませんでした。その時、結局、その企画は流れ、今日に至るまで制作されたという話は聞いていません。

時は流れ、昨年日本で公開されたレッドフォードの監督作品:邦題「大いなる陰謀」は、僕にかつての彼の企画「パックス・アメリカーナ」を思い出させました。

描かれている細かな状況こそ違え、「大いなる陰謀:Lions for Lambs」は、確かにネオコンとネオリベラリズムに対する批判の映画であり、’90年代初頭の「パックス・アメリカーナ」では来るべき暗黒の将来像だったものが、今では現実になっているということを描いたものでした。

この映画はかつて無視され制作不可能だった作品を、この重要な時期に復活させた奇跡的作品ということが出来ると思います。そのことが僕には衝撃的だな。
レッドフォードは諦めてはいなかったんだな。
二十年間、彼は待っていたのだと思う。

アメリカは、下らない国に成り下がってしまいましたが、こういう人物が存在できるという点で、確かに希望は残ってるんだよな。

この映画のラストは、ハリウッド的なシナリオ構成から考えると、絶対あり得ないラストです。
娯楽映画なら、この映画のラストに更に二十分はアクションシーンを付け加えるでしょう。
ですが、それをあえて捨て去り、いきなりばっさりと唐突に終わるこの映画の在り方は非ハリウッド的であり、映画も含め経済も政治もメディアに対しても、アメリカ自体に修正を迫るものです。
そして、それは、現在のアメリカを後方支援する日本の在り方に対する批判でもあるのです。
こうした映画が(舞台においても)、日本で作られないというのは、まったく残念な状況だと僕は思います。
今、ドラマに関わる人間の仕事は、無意味で笑えるゲイジュツらしきモノを垂れ流すことではなく、意味と価値観の変更を迫るものでないですか?
喜劇であれ、悲劇であれ、日常の生活のドラマであれ、無意味を標榜する八十年代から続くポストモダン的な作品作りをそろそろ終わりにしなけれないけない。

無意味ではなく、意味と価値観の変更をめざしたいと思います。


2009年6月1日月曜日

Buk and Cash ☆☆☆

Henry Charles Bukowski (August 16, 1920 – March 9, 1994), was a German American poet, novelist, and short story writer.


’90年代の中頃、ビートたけしがやたらと吹聴していたチャールズ・ブコウスキー。

たけしは、もう飽きちゃったんだろうなぁ。

はえーなぁ。。。


でも、Buk(ブコウスキー)を僕は愛するぜ。

ほんとに。


調子の良い電波芸人の音頭とは別に、彼の言葉を未だに僕は噛みしめる。


詩とは空気であり、水であり、Bukの場合はアルコールだった。


本当に真面目な人間は、まったく真面目に見えない。

本当の芸術家は、どうしょうもない平凡を引きずっている。

そして、本当は、そんなことはどうでもいい。


言葉を信じ、酔ったものが、何かを得るだけだ。


調子の良いかけ声は、ただのかけ声にすぎない。

そんなことより、

人の評価より、

Bukから学ぶもの、それは「せいぜい楽しめ、下らないけど愛しい人生を」ということ。

そして、「書くことでなんとか正気でいられるよ」ということ。

それは、Cashも同じ。

Johnny Cashの場合はそれが音楽だった。

Buk and Cash are great together.って誰かが書いてた。


Charles Bukowski - Music by Johnny Cash!!!



Charles Bukowski  reading "Bluebird"

The Parallax Viewという映画


’70年代はアメリカ映画もやりたいことをやっており、ポリティカル・サスペンスなどというジャンルも非常に面白い作品が沢山あった。

「コンドル」と並び「The Parallax View」(パララックス・ビュー)というのもその中のひとつ。

最近「イーグル・アイ」という陰謀を扱った映画が公開されましたが、The Parallax Viewに比べると時代が如何に駄目になっているかがよくわかるのです。
The Parallax Viewという映画に通底しているものは、リアリズムです。
監督のアラン・J・パクラは合衆国要人の繰り返される暗殺とその規則性に注目し、大衆に対するメディアを使った洗脳と合わせ、ミステリー娯楽作品に仕立て上げています。
この作品や「ダラスの熱い日」こそ、本物のリアリズムをベースに創られた傑作だと思います。
これらに比べればオリバー・ストーンの「JFK」なんて陳腐なB級作品に過ぎません。

連続して上院議員が殺害され、その謎に一人で立ち向かうジャーナリストを描いたこのThe Parallax Viewについてこんなことが紹介されています。

「ストイックなエンタメ性も加味された劇場長編としてリリースされたこの作品、先にも述べた通り、その未曾有の緊張感は昨今のサスペンス作品などでは体験出来ないもの。ロングショットを多用する事でその緊張感に幅を持たせる演出や、寸鉄のアクションと無駄の無い特殊効果で醸し出される迫力の映像など、視覚的にも極上の部類に入る作品だが、その最たる醍醐味は、究極の大スクープとでも云いたくなるシナリオのポテンシャル。カーテンウォールの摩天楼に囲われる国家黙認の暗殺者集団と孤高のジャーナリストの対決を描く物語など、昨今では一蹴に伏されてしまう陳腐なシナリオと云う事になってしまうが、その全ては70年代のアメリカでの真実が描かれたものなのである。」(Flyer’s Nostalgiaの記事より引用)

ここで重要なのは、「今では陳腐なシナリオ」ということになってしまうという部分ではないかと思われます。
何故「陳腐」なのか?
2000年代に入り、あまりにもあからさまに様々な出来事が起こるので、人はその非現実的な出来事の理由と原因を説明できないまま、すべてはテロ集団の悪という図式を鵜呑みにし、納得しようと努力している。本当にテレビや新聞の説明で、納得していますか?
そんなはずはないと僕は思う。
「陰謀論」=「陳腐」という図式が出来上がり、The Parallax Viewのような作品が生産されにくくなっているのが現状です。
The Parallax Viewは、かつては存在し、今では絶滅しかけているまっとうなメディアによる巧妙な内部告発の映画です。
「イーグル・アイ」などは子供だまし以上に大衆のミスリーディングを引き起こす可能性すらあると、僕は危惧します。これは遊園地的な娯楽作品であり、現実がこんな風になるわけないだろうと、大衆に念を押す機能を持つ映画です。
ただし、監督によれば'70年代のThe Parallax View等の映画を念頭に入れて作ったということなので、ひょっとしたら新しい風が吹いているのかもしれませんが。
幸いなことに、2009年今現在、ハリウッド製大衆操作娯楽作品は確実に観客動員を減らしています。
The Parallax Viewという映画が示唆したのも、暗殺という陰謀のみならず大衆操作という手段の存在でした。
グレン・エリクソンという人がこの映画について次のように述べています。

「 ......The Parallax Corporation controls the minds of men through the persuasion of cinema propaganda. Are we really affected by the barrage of images in our daily lives? Perhaps the lesson of the 'Audition Film' of Parallax should be that EVERY SHOW and every image we see has the potential to affect us, and that none of us is immune. 」
             (Text Copyright 1999 Glenn Erickson)

つまり、免疫のない我々をメディアが操作するのは容易いということです。
意識のあるジャーナリストを洗脳しようとするこの映画の最も有名な場面を観て欲しい。
きっと、身近な何かに気がつくはずだ。
パララックスとは「視差」のこと。カメラのファインダーから覗いた風景と実際に撮影される風景のずれ。僕らは見えたとおりの現実を生きているわけではないということ。
The Parallax Viewは、今そこにあるのだから。

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