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2009年9月20日日曜日

正しいということ

「歴史上の戦争は二つの種類に分けられる。
一つは正義の戦争であり、もう一つは不正義の戦争である。すべて、進歩的な戦争は正義のものであり、進歩を阻む戦争は不正義のものである。
われわれ共産党員は、進歩を阻むすべての不正義の戦争に反対するが、進歩的な正義の戦争には反対しない。」
 ー 毛沢東

この毛沢東の言葉と、合衆国前大統領であるブッシュの「一般教書演説」2003と比べてみたい。

「米国は平和を希求する。そして平和のために戦う。そして、時に平和は守られなければならない。大きな脅威におびえたままの未来では、平和とは呼べない。もし戦火が避けられないならば、われわれは正義の名の下、正しい方法で戦う。それは、罪のない人々に対する危害をできる限り避けることである。われわれは、米軍の力を結集して戦い、そして勝利する。」
 ー G. W.ブッシュ


そして更に、合衆国現大統領オバマの「就任演説」2008ではこうなる。

「この世界を破壊しようとする者たちに告げる。われわれはお前たちを打ち破る。
平和と安全を求める人たちにお伝えします。私たちはみなさんを支援します。そしてアメリカと言う希望の灯はかつてのように輝いているのかと、それを疑っていたすべての人たちに告げます。私たちは今夜この夜、再び証明しました。この国の力とは、もてる武器の威力からくるのでもなく、もてる富の巨大さからくるのでもない。この国の力とは、民主主義、自由、機会、そして不屈の希望という私たちの理想がおのずと内包する、その揺るぎない力を源にしているのだと。」
 ーバラク・オバマ

さて、イデオロギーの違いは、決してその本質の違いを示してはいない、というのが僕の主張だが、この三人の言葉を読む限り、共産主義者、民主主義者の違いなどどこにもないことに気がつくはずだ。
彼らはみな同じだ。
ここにスターリンやヒットラー、そしてルーズベルトやチャーチル、さらにレーガンやサッチャー、日本の歴代の首相達を持ってきても、大きな違いは見あたらないのである。どの人物達も「正しい戦争と正しくない戦争」があると必ずどこかで述べ、世界平和の名において正しい戦争を擁護するという主張をするはずである。
人類がこの世にある限り、戦争はなくならないかもしれない。戦争を利用する人間が必ず存在し、その戦争を利用する一握りの集団に奉仕するのが各国の各時代の政治指導者の使命に他ならないからである。

はっきり言おう。
正しい戦争などない。ただ戦争状態に引きずり込まれるか、身を守るためやむを得ず戦争状態になるだけである。戦争を煽る者の言動に注意しよう。その者達がいったい誰に奉仕しているのかに注意しよう。

オバマの演説に涙する前に、日本の政権交代がなされて手放しで喜ぶ前に、彼らは誰に奉仕している人々なのか、もう一度考えてみてもいいのではないだろうか。

「正しい」と「正しくない」という二項対立は、人々の価値観を誘導する便利な方法だ。ヘーゲルの弁証法は支配者の道具として誕生したのかもしれないな。

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