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2009年8月22日土曜日

グルジェフについて

ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフ(Георгий Иванович Гурджиев, 1866年1月13日? - 1949年10月29日)は、ロシア神秘思想家
神秘思想家として紹介されることが多いが、著作・音楽・舞踏によっても知られる。ギリシャ系の父とアルメニア系の母のもとに当時ロシア領であったアルメニアに生まれ、東洋を長く遍歴したのちに西洋で活動した。20世紀最大の神秘思想家と見なされることもあれば、怪しい人物と見なされることもあるというように、その人物と業績の評価はさまざまに分かれる。欧米の一部の文学者と芸術家への影響、心理学の特定の分野への影響、いわゆる精神世界や心身統合的セラピーの領域への影響など、後代への間接的な影響は多岐にわたるが、それらとの関係でグルジエフが直接的に語られることは比較的に少ない。人間の個としての成長との関係での「ワーク」という言葉はグルジエフが最初に使ったものであり、近年ではもっぱら性格分析のツールとして使われている「
エニアグラム」はグルジエフが初めて一般に知らしめた。精神的な師としての一般的な概念にはあてはまらないところが多く、弟子が精神的な依存をするのを許容せず、揺さぶり続ける人物であった。(Wikiより)


演出家ピーター・ブルックを僕は個人的に敬愛するものだが、彼の自伝である『ピーター・ブルック回想録』を読み、何故演出家としてのピーター・ブルックに惹かれるのかよくわかった。
彼の回想録は単に演出家の仕事のメモワールではなく、むしろ本のほとんどが「G.I.グルジェフ」という一人の思想家に捧げられたものだった。偶然にも、八十年代に僕自身グルジェフと出逢い、ベルゼバブをはじめとするその著作に大いに影響を受けたのです。その謎の多い神秘思想家に紙面の大半をさくピーター・ブルックという人に、個人的に同志のような感覚さえ覚えました。

今でこそ、怪しいスピリチュアルブームが世間を騒がしていますが、八十年代頃にも、ニューアカデミズム以外に、神秘思想がニューエイジの名の下に流行していたのです。オームや人間啓発セミナーの問題もそんな中から登場しました。
ですが、ブラヴァツキー夫人やシュタイナー、そしてグルジェフといった謎や怪しさはつきまとうものの独自の思想という領域まで行き着こうとした骨太な人々の著作は意外なほど取り上げられなかったように思います。流行するにはヘビー級過ぎたのでしょう。ブラヴァツキー夫人の翻訳なども、代表作「秘密教義ーシークレット・ドクトリン」は未だ上巻しか出版されていません。これなども結局原点を読むしかないのです。九十年代、ロンドンの小さな本屋で一冊手に入れたのは、昨日のことのように覚えています。
ルドルフ・シュタイナーに関しては、またあらためて書こうと思います。この人の著作を読むことで、未だに愛読しているクリシュナ・ムルティの著作に出会うことができました。演劇と向き合う決心がついたのもシュタイナーの存在があったからだと思っています。

そして、グルジェフです。
「ベルゼバブの孫への手紙」という彼の代表作である寓話小説によれば、「人間が理解している正義は、客観的意味においては呪うべき迷妄である」ということになる。
これは第三の書・44章に記述されているんですが、そこで彼は、人間の精神の主たる欠陥、つまり宗教について述べたとき、人間の間で最も普及している有害な観念こそ「善と悪」と呼ばれるものだと述べています。
人間の行うあらゆる宗教的教義が、<外なる善と悪>を撒き散らし、その観念を受け入れ、行為によってこれを表現するよう強制していると説き。善を広める霊を「天使」。悪を広める霊を「悪魔」と名づけたのだ。そして、人間が悪魔をとらえる確率はその人の「公正さ」に比例している、と宗教教義は伝えている。
グルジェフはだからこそ人間の「善と悪」の観念は有害だと言い切るのです。

不意に思い当たることがある、アメリカが何故あれほどまでに自国がフェア(公正)であることを主張し、善と悪を明確にわけ、悪を攻撃するという前提で自国のテロを肯定するのか、そして、何故最近の中国は「友愛」の名の下に民族浄化というテロを公然と行っていられるのか。
すべては無批判のまま、様々な観念を簡単に受け入れてしまっている我々が引き起こしている出来事ではないのか?
我々自身が目をつむり、そこにある事実や真実を見ないようにしているだけなのではないのか?

グルジェフは言う。「人は生きながら死んでいるのだ」

この言葉は、怪しい神秘主義者のオカルトの話ではない、むしろ真のリアリストの言葉に僕には思えるのです。
古い書物も、新しい目で見ていれば、そこには今もなお続く出来事の本質を読み解くヒントがちりばめられていると思う。「正義」が怪しいと思えるクリアな精神が必要な時代に、僕らは生きているように思います。
僕らは、生き。目を覚まさなくてはならない。

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