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2009年8月19日水曜日

セックス・ピストルズ☆☆☆

Sex Pistols

Punk Rockというスタイルを世界に広めたのは彼だった。
勿論、その前にラモーンズがいて、ラモーンズがいたからこそのピストルズだった。

ほぼ僕と同い年の彼らの軌跡は、僕らの世代の持つ軌跡に似ている。うん、共通の何かがある。
三十年ほど前にイギリスに現れた彼らは世間に唾する音楽をがなり立て、無軌道の典型のように思われた。とりたてて人生に目標があるわけじゃなく、前の世代のように社会革命を標榜するでもなく、かといって社会制度に過剰適応するわけでもない。つまり、シラケ世代から新人類といわれる世代への移行期だったのだ。
仮想敵が見つからない時代。すべてが許されながら、なにも許されていない感覚。豊かさと格差を徐々に感じ始めた時代。そろそろ誰もが金があれば何とかなると思い始めた時代。
まさに、現代に直接結びついている時代の夜明けが、あの三十年程前の風景だったのではないかと思う。
イギリスは1979年のサッチャー政権が登場するギリギリの時代。そのギリギリの時代にピストルズは現れ、サッチャー政権下でスターになり、潰れていく。イギリスは日本よりも一足早く構造改革と民営化を押しすすめ新自由主義的経済がまかり通る社会になってしまう。
そんな時代背景を背負いつつ、ピストルズは矛盾と嘘くささに牙をむいたのだ。
でも、単なる牙は自滅の一歩。真の敵を見出せずに空中分解してしまう。
シドの加入と、その死は、伝説化されてしまったが、まことに陳腐の極みであった。と同時に、その陳腐さこそがピストルズのいかがわしさのパワーの源でもあったのだが・・・。
彼らは挫折したのだ。
彼らは抵抗の、その直線的なスタイルに挫折したのだ。

だからこそ、三十年経った今、ジョニー・ロットンを中心に復活したピストルズを観ると、腹の出た中年のオッサンの未だ枯れることのない抵抗のスタイルが、最早直線的でなく「演技」であり「道化」であり、だからこそ時代は変わっても問題の所在は変わらず、その大げさなパンクスタイルでじっくりと生涯をかけて抵抗してやろうじゃないかという真の「ふてぶてしさ」を感じるのである。

真の「東京メリケンサック」がここにいる。
昭和が平成になろうとも、パンクはパンク、そしてロックはロックであることに変わりはない。
この世界には、結局、ロックする者とロックしない者だけがあるんだ。
俺は、ロックを信じる。
たとえ何度挫折しようとも、俺はロックを信じる☆

1977


2007

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