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2009年3月16日月曜日

ラストシーン


ラストシーンは映画でも芝居でも、その作品を特徴付ける重要な部分だと思う。
仮に、アンチ・テアトロめいたドラマ否定論者から見れば、どう終わろうが関係ないということなのかもしれない。むしろ、予定調和的に収斂していくそのドラマのプロセスに虫酸が走るというところか。

だが、僕は思う。
よいラストシーンは、人生そのもの。
よいラストシーンに出会うと、その作品を忘れられなくなる。
ラストシーンから現在を考えることもある。
ラストシーンこそが僕らのめざす場所かもしれない。
ラストシーン。
僕らは一人一人が、それぞれのラストシーンに向かっている。

だから、ラストシーンなんてどうでもいいとは僕には思えない。

ラストシーンにこだわりたい。
ラストシーンから、今を始めたい。

ラストシーンをセピア色にして、ストップモーションの中に、死を封じ込めた作品がある。

それが「明日に向かって撃て」だ。
(原題)「Buch Cassidy and the Sundance Kid」1969年

中学、高校を通して、アメリカン・ニュー・シネマの洗礼を受けた僕は、主人公が消えていく映画を何本も観た。それまで、主人公は決して死ぬことはなかったが、あの時代から、主人公も死ぬかもしれない、いやむしろ我々と同じ死の運命にいることを痛切に感じさせられるようになっていった。
今では当たり前かもしれないが、アメリカン・ニュー・シネマという作品群がなかったら、主人公だけは決して死ぬことはなかったかもしれない。勿論、それ以前のフランスのニューベルバーグもそうなんだが。


ここに見事なラストシーンがある。
明日を信じながら、人は命を落とす。
そんな単純で明白なことが、ラスト1分47秒でわかる。
僕は四十年も前に観た映画なのに、このラスト1分47秒が忘れられないのだ。

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