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2006年6月29日木曜日

Joe Cockerを聴きながら

雨が降り続いていた。
窓に降りかかる雨粒が音もなく流れ落ちるのを、僕は見ている。

30年も前に聴いていた懐かしい歌声を聴いている。
Joe Cocker。

もう六十をとうに過ぎたロッカーだ。あのしわがれた絞り出すような声は健在だった。
かつてラジオに耳を擦りつけるようにして聴いていた声を、僕は聴いている。

‘Every Time  It Rains“から始まり、”Respect yourself”、”This is your life"、そして“You can’t have my heart”まで、僕の中で雨がやむことなく降り続く。

この人の決して順調とはいえなかった人生の断片が、唸り声のような歌声からかすかに見えてくる。人生は悲劇であり、同時に喜劇だ。そして、どんな人生にも意味がある。たとえ虫けらのごとき人生にも意味がある。そのことに気がつくことがない限り、僕らの人生は無意味である。

太陽の光が嬉しかった十代も二十代もとうの昔に過ぎ去った。
思えば、いつだって光はかすかで、いつだって雨が降っていたのだ。
かつては分からなかったことが、今は少しだけ分かる。
雨粒の中にも、光があることを。

しわがれた声のむこうがわに、時の無情より、むしろ時の恩寵が聞こえる。
永遠とは、絶望の果てに見える一瞬の煌めきのことかもしれない。
ガラス窓を滑りおちる雨粒。
雨粒は、涙だ。

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