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2011年2月19日土曜日

東京の空の下で

 
今日も東京の空の下で青空を見上げる。
空のモチーフは、僕の生活の中では決して消えることがない。

大海原を飛行機で飛ぶとプロペラ機の時代は、飛んでいるうちに空と海の区別がつかなくなり、いつの間にやら飛行機が上下逆さになり、気づくのが遅れると気絶してしまうパイロットがいたとか。
実際、空と海の青は似ていると思う。

その海のような青い空の下で、窓の外に西荻窪のとある教会の十字架が見える。
随分と立派な大きな教会なので屋根の上の十字架がまるで巨大な避雷針に見える。
かつて暮らした岩手の家は茅葺き屋根の農家の母屋を借りていたので、教会とは名ばかりの十字架などどこにもない、唯一便所の中でイエスが微笑んでいたのだ。だから、あんな立派な教会を見るとその違いに驚かされるのと同時に、父が説教し母がオルガンを弾く僕の育った茅葺き屋根の教会とあの日々が遠く遠く思い出されてくる。
窓の外のその避雷針のような十字架を見つめながら、あれこれ考えてみる。
まだ見ぬ未来を思い煩う事なかれ、というどこかで聞いた言葉が脳裏をかすめる。

東京の空の下で今日もいつもと同じ一日が過ぎて行くけれど、それでも昨日とは違う今日のような気がするし、明日という日がもしあるならば、その明日も今日とはまた別の一日であるはずだ。

ありとあらゆる欲望と憎しみと嫉妬や恨みが混じり合いながら絡み合っているのがこの地上だが、それでもなお、そんなものには決して屈することのない強い魂が生まれるのもこの地上なのだと思う。
冷笑などくそ食らえ!青い空の下では、誰もが本当は強くなろうとしているんだ。人生はその過程なんだ。

たまたま撮った青空の写真。
その青空の下に僕らの暮らしがあって、そこに喜びや哀しみや怒りがある。
結論など当分出せそうにありませんが、そんな結論のでない思考が、今日も踊りを踊っているようです。
☆上野火山☆

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