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2010年11月2日火曜日

歌謡曲のお話

時代を追想するとき音楽は強烈な導入剤になる。それは確か。

不思議なのは自分の体験しなかった時代の音楽ですら、時代を追体験する重要要素となり得るってこと。

1930年代のアメリカなんて僕にはまったく計り知れない時代と場所だが、トミー・ドーシー・オーケストラの「It’s only a Paper Moon」を聴くと確実に1930年代のアメリカに飛んでいける。勿論、映画「ペーパームーン」のイメージなんですが。

戦後間もない頃の「リンゴの唄」も東京のドヤ街をすぐ想像できるほど映像と強く結びついている曲だな。

最近、映画で聴いて引き込まれたのは是枝監督の「歩いても 歩いても」で挿入された「ブルーライトヨコハマ」でした。
年老いた母が語る小さな物語の背後に流れるこの曲は、苦くそして痛く観る者の心に突き刺さってきました。昭和四十年代を静かに思い出したんですね。

「ハチのムサシは死んだのさ」って知ってます?
これも昭和四十年代のまさに昭和歌謡曲だな。この曲を聴いて特定の何かを思い出すわけではないのですが、ボンヤリと子供の頃の自分を追想してしまいます。随分インパクトのある曲なので、演劇やドラマで使用されたことはあまりないように思います。いつか僕が使っちゃうかも。
聴き直してみるといいんだな!アメリカン・ニュー・シネマの洗礼を受けた世代としては主人公が死んでいくという物語にえらく共感してしまうんですね。人生がトントン拍子にうまくいって最後はハッピーエンドのはずがないじゃないか!!もしそんなものがあれば、そんなのは嘘だッ!!っていう思いに突き動かされていた時代。
世間は高度成長期でイケイケだったけれども、個人の精神状況は決してイケイケではなかった。それどこらかむしろ、どこか「悲しみと哀れ」が世界を包んでいた、そんな気さえします。
昭和歌謡とは殺伐とした世相の中で、それでも生きる意欲と魂を歌い込み描き込んでいたような気がします。
故・内田良平さんの詩は、太陽に向かって討ち死にしたハチのムサシの滑稽だけど潔い生き方を夕陽に照らされた畑の中で描いています。
僕たちはひょっとしたら宮本武蔵よりハチのムサシの生き方を真似した方がいいんじゃないか?なんてこともちょっぴり思います。このドンキホーテ的姿勢こそ今必要な生きる姿勢なんだと僕は思うよ。
たかが歌謡曲。時代のあだ花かもしれない。それでも、こうして思い出す人間もいるんだから、捨てたもんじゃない。
ハチのムサシは死んだのさ、でもオレのムサシは死んじゃいないぜ。

「ハチのムサシは死んだのさ」 平田隆夫とセルスターズ

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