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2010年8月4日水曜日

踊る兵士たち

今から一ヶ月ほど前ですが、ネット上の動画サイトで評判になったのが、「Israeli soldiers dancing 」という映像です。

真偽のほどはわかりませんが、恐らく作られたものなのでしょう。

でも、情報によればこの映像に参加したイスラエルの兵士たちは全員処分されたとか。

そしてもう一本。

「Israel soldier shoot Palestinian boy」という作品。

投石したパレスチナ人の少年を射殺したというイスラエル兵の話を、こんな風にアレンジするんだな。

どちらを観ても、思うことはひとつ。

あらゆる国家が、己の国の国民を食い物にし、苦しめるという事実。

イスラエル人は、何よりもまずイスラエルという国に苦しめられているのだと思う。

アメリカ人はアメリカに苦しめられ、日本もまた同じだ。

先日、ハローワークに次のような求人広告が出たそうだ。

「工学系修士必須 TOEICー900点以上 経験者のみ(6年以上の経験)30歳まで 時給~750円(応相談)」

あるいは、

「次のような方を希望します。『熱意を持っている方』雇用形態:契約社員 (09年4月~7月、延長なし)」

この他にも信じられない求人広告が多数出されているようです。

こんな滅茶苦茶な求人広告が当たり前のように掲載されるというのは、いったいどんな国なんだろう。

いや、まさにこの国、日本なのだ。

インターンシップという心地よいネーミングで、「研修」「職場体験学習」という隠れ蓑で、学生にただ働きを強いる企業があるのも日本だし、それを支援するのもこの国の大人たちである。

ひょっとすると国家などという枠組みはとっくの昔に破綻しているのかもしれない。

しかしながら、その中に暮らす市民は決して破綻してはいない。

踊るイスラエルの兵士たちも、国家の思惑ではなく、音楽に踊りたいのである。

パレスチナの少年に照準を合わせるイスラエルの兵士は、少年ではなく石に照準を合わせたのかもしれない。

こんなにも穏やかそうな表面のすぐ下で、日本も暗い策謀のすえ、いずれ足下から瓦解してくのかもしれない。

大事なことは、権力に踊らされるのではなく、己の判断で踊ることだ。

もしかしたら、選挙などではなく、個人の「踊り出す」行動こそが今必要とされているではないかと思う。

人がそれぞれの場所で、うまくだまして切り抜けようとするのではなく、踊り出そうとすることこそが必要なんだと思う。

踊るというのは、自分ができる最大限の喜びの表現ということだ。

喜ぼうとする人間の足を、他人は引っ張ることができない。

踊るが勝ちだと、僕は思うな。



Israeli soldiers dancing


Israel soldier shoot Palestinian boy

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